井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

二日目の練習は?

2009-09-23 18:10:49 | ヴァイオリン

その昔,レッスンにおいて,私の前の人が先生から怒られていた。

「一日目に20回弾いてできたとすれば,二日目の1回目は21回目なんだよ。だから1回目からできなきゃだめなんだ。君のは二日目でも20回目にやっとできるようなやり方だ。それじゃ百回やってもできないことになるだろう?!

それを目の当たりにして,当時は「それは無理だろう」と内心思っていた。二日目には15回目くらいにできて,三日目には10回目くらいにできて?,ではないかなあ,と。

しかし,いつ宗旨替えしたか定かではないが,その後,段々「二日目の1回目」にできるようになってきて,今はかつての先生と同じように考えるようになった。

体には全身に「記憶細胞」があるとのことだ。やはりできるようになったことは体が覚えていてくれる。前の日になかなかできなくても,一夜明けるとできるようになることもしばしばだ。

もちろん何ヵ月かけても,できないものもある。こういう場合は,ひたすら粘り強く,いつかできることを信じてがんばるしかない。

問題は一日目で,とりあえずできてしまった時。二日目でまた同じ時間をかけると頭の中が遊び始める。これは良くない,とフレッシュもガラミアンも指摘していたことである。練習はクリエイティブでなければならない,と両先生ともおっしゃっている。

どうすれば良いか?

とりあえずは一日目と別の内容の練習をした方が実になるだろう。弾いたことのない曲の譜読みでも良い。

そして,三日目,ここでは一日目と同じ内容になっても良いかもしれない。なぜならば,体が「忘れている」可能性が出てくるからだ。

(ここで話題にしているのは,毎日こなすべき日課のことではない。日課は一回で完全をめざすべきものだと思うから。)

毎日内容を変えるというのも,それはそれで易しいことではないから,やはり苦労は伴う。ただ,退屈はしないはず。それを面白い,と思うことができれば,上達したも同然ではないだろうか。

 と,昔の自分に言ってやりたい!


ビブラート vs 癒し

2009-09-06 12:10:32 | ヴァイオリン

高周波の音を流すことで、シャッター通りだった商店街を復活させた、というニュースが報道された。海の波の音や森のざわめきなど、自然界の音には高周波の成分が、多く含まれ、それが人間を心地よくさせている。それを人工的に再現したら、人通りが増えたとのことだ。

ついでに都会の喧騒は高周波成分が含まれず、人間を不愉快にさせる実験まで披露された。

商店街の復活はご同慶の至り、もっと普及することを願うものである。

それはそれとして、ヴァイオリンを弾く身としては別のことが気になる。ビブラートである。

ビブラートは音を震わせる技術だが、それによって高周波成分はカットされる。カットされた音は、長らく「柔らかい音」として「美しい」とされてきた。一方、初心者の音は硬い。高周波成分がとても多い。これを心地良いと感じる人間は私を含めてほとんどいない。

高周波が単独では、とても不快だという実験も併せて行われていた。当然である。悲鳴の成分だから、生命の危険と直結する音である。

ポイントは、高周波成分が多く組み合わさった時、人間は癒されるということ。

ほとんどの方は耳にされたことがないと思うが、弦楽器の初心者集団の音、ジャージャーというあの音、私はそれを聞くと幸せになる。それは、その音の中で育ったからだと今まで思っていたが、加えて高周波の癒し効果もあるのかも、と思ってしまう。

それはともかく、ノンビブラート信奉者が主張する説「ビブラートをかけないことにより、豊かな倍音が響く」に「プラス快感が伴う!」となったら、ビブラートの存在はどうなるのだろう?

ビブラートをかける練習も難しいけど、かけるべきか、かけざるべきか、それも問題だ。