井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

だから言わんこっちゃない

2020-03-31 23:34:05 | 国際・政治
ついに、中国が日本の大バッシングを始めた、というニュースを見た。

「中国はウィルスの制圧に成功しており(もちろんウソ)もはや世界で一番危険なのは日本である」
と一面で報じていた。

日本でも昔から「無理がとおれば道理引っ込む」と言われていたではないか。
ただし、日本人だと、その後嫌われ者になるから、まあそこまで教訓にはならなかったいろは歌留多だった。

ここのところ、中韓は理解しがたい行動が多いので、あれはなぜなのか、様々な意見文献を時間のある時に目を通した。
結果、

【理想、あるべき姿>事実、法律】

この原則で動いている、と多くの方が論じていたことがわかった。

事実確認など必要ないのである。言ったもん勝ち、の世界。

実は、これはアメリカも同じで、土壇場で約束を破り「我々は悪くない」という国だ、ということも同時に今日知った。
事実、フォードはそう言ってブリヂストンを潰したそうだ。

中国が困っているなら、とマスクや防護服を贈った政治家や自治体、今何を考えているのだろうか。

このように恩を仇で返す中国共産党に恩情をかける人の気がしれない。

一応断っておくが、中国人が悪いのではなく、敵は中国共産党である。

今日は卒業式、の予定が中止に

2020-03-25 21:58:40 | 大学
私が小学生の時の話(多分1973年)。
戦争でできなかった卒業式を、28年経ったその時はできるから、やりましょう、ということになって、在校生がいないのは寂しいから、5年生が在校生として参列してくれ、などということがあったことを思いだした。
クラスメイトのお母さんが卒業生だったりして、妙な気分だった。

それ以来、卒業式が中止などという事態にお目にかかったことがない。戦争の時は生まれる前だから、正確には「生まれて初めて」だ。

卒業証書は卒業生に郵送された。

これでいいのかぁ。
これまた、妙な気分だった。

しかし、当の卒業生達は盛装して大学に三々五々集まってきた。式がないなら今日でなくても良いはずだが、やはり今日が都合が良いのであろう。

しかも郵送された卒業証書を、わざわざ持参していた。
この日のために袴をレンタルしてきた者も多かった。なんでも、キャンセルするとキャンセル料が何割かかかるそうで、それはもったいないから、ということもあるようだ。

まあ、経済活動は停滞しない方が良い。

しかし、式がなくて、その後のお別れ気分だけ、という妙な気分の1日だった。

外山雄三:ラプソディー

2020-03-22 22:17:05 | オーケストラ
ショスタコーヴィチの交響曲第9番は、NHK交響楽団の演奏で知った。指揮は岩城宏之。
高校生の私は、生意気にも「岩城さんでも良い演奏をするんだぁ」と思ったものである。
で、その後、別の演奏を聴くともっと良くて「やっぱり岩城さんは……」と思った。

なんてことを思っているのが態度に出るのだろう、その後、岩城さんご本人からちょくちょく意地悪された……。

その岩城さんが40代だった頃の持論に「N響が演奏する外山雄三の《ラプソディー》は世界一」というのがある。

YouTubeなどの無い時代、なかなか聴く機会が訪れなかったが、ある日FMの日本民謡番組で放送されることを知り、待ってましたとばかりにエアチェック。
なるほど面白い、と思ったものだ。演奏は岩城=N響のレコードである。

そのレコードは、その後高校の音楽室にもあることがわかって(なーんだ)、母校で行った教育実習でも使わせてもらった。

この曲のすごいところは、日本民謡のクオドリベットとでも言うのか、同時に二つの民謡を演奏させてしまうことだ。
(なので、教育実習でも「あんたがたどこさ」と《ソーラン節》や《炭坑節》を同時に歌わせたりもした。)

おまけに《炭坑節》の背後ではホルンが《お江戸日本橋》を奏で、民謡が三重に重なっている!

また、ラテンパーカッションが一般的な打楽器と一緒に違和感なく使われているのも素晴らしい。

そして、遠慮なく使われる長三和音も新鮮に響く。

その後、演奏する機会にも恵まれる。

打楽器の有賀誠門先生の指揮だと、
「ここは何回繰り返しても良い」
「ここは岡田君と僕の駆け引きが面白かったところ」
など、初演に携わった人ならではのコメントが興味深かった。

演奏するには、音楽之友社のレンタル譜を使うのが一般的。
ところが、N響ではオリジナルの譜面を使っているようで、カットの仕方が違ったりする(大抵《串本節》が無い)。

実はオリジナルはもっと長かったのだが、長すぎるとの判断で、作曲者自身がばっさりカットしてしまったそうだ。

こうなると、そのオリジナルを聞いてみたくなる。せめてスコアを見てみたい。

と、一ファンでもこれだけのことが書けるのだが、作曲者は現存の作曲家だ。偶然にも、ラプソディーを聞いたその日の夜、別番組で外山雄三先生が司会をされているのを聞いたくらい、バリバリの現役である。
こんなことを、どこかの若造が言っていて良いのだろうか。

カットされる前が知りたければ、直接連絡をとれば良いではないか、と思わないではない。

でもその勇気が、無い。

何せ、恐い指揮者だったのだ。80代になってまで恐いことはないかもしれないけど、できれば誰かがいろいろ訊いてくれれば良いのに、と思ってしまう。

誰か、やってくれませんか?

ショスタコーヴィチ:交響曲第9番「第9ですが、何か」

2020-03-14 23:00:09 | オーケストラ
かなり好きな曲だからといって、演奏の機会がめぐってくる訳ではない。この曲もそのうちの一つ。

ショスタコーヴィチの戦争三部作という言い方がある。第7番から第9番を指す。
第7番は、ナチスドイツとのレニングラード攻防戦を、もろに描いたに近い作品。
そしてこの第9番は、戦争が終わって「さあ、何かおめでたいものを一つ書いてくれ」と言われて書いた曲。第9だから、当然ベートーベンのイメージをソ連政府も持っていたが、発表された曲は30分にも満たない軽妙洒脱な交響曲。
皆さん、肩すかしを食らった。

……くらいまでは、どの解説にも書いてある。

しかし、もっと多様な隠喩、引用、暗号等に満ちみちている曲のはずだ。これが、なかなか文章として表れてこない。
誰かがゲリラ的にどこかで書いて、でも論文扱いされないので、いつの間にか消えてしまい、みたいなことを繰り返すのが、ショスタコーヴィチの場合実に多い。

この曲を知って、かれこれ40年経つが、たった今、気づいたこともある。きっとどなたかも気づいていらっしゃるのだろうが、なかなか一般的な場で紹介されないから、私が今頃気づいてびっくりする、という状況になっている。

今頃気づいたのか、と言われるの覚悟で、私なりの見解を書いてみる。

第1楽章の第2主題の始まりのトロンボーン、これは共産党の会議でいつも同じことしか言わない委員を揶揄している、という説明はどこかで聞いていた。
なるほど、意見がとても的をえている時、場違いな時、本人も多少察して遠慮がちに言う時などが音楽化されていて、なかなか愉快な瞬間だ。

それから、第5楽章の伴奏音型はイエッセルの《鉛の兵隊の観兵式》のトリオの伴奏音型と同じだ、ということは高校生でも気づいた。
しかし、これが何を意味しているのかは、いまだにはっきりとはわからない。

40代の時、この曲を初めて指揮させてもらった。その時の勉強で、第4楽章のファゴットの不思議な旋律は、第1楽章から第3楽章を回想している、ということがやっとわかった。
ということは、ベートーベンの第9でやっていることの踏襲になる。

不惑の40では、ここまでだった。

さて、知命の50で、初めてこの曲の弦楽器トレーニングを頼まれた。
アマチュアオーケストラだが、喜び勇んで、久しぶりにスコアの勉強。

すると、何と!冒頭からベートーベンの第9が出てきているではないか。

冒頭の下行する分散和音は、第9第1楽章の下行する分散和音。続く順次進行(ファソラソファミレ)は例の《歓喜の歌》(ファーソララソファミレー)の変形だ。

大体、この交響曲の主題は、分散和音と音階でできている。これは古典派の特徴みたいなもので、ショスタコーヴィチの交響曲の中でもこれは異例である。他の交響曲の主題は、おおよそギクシャクした形をとっている。
だから、過去の名作から引用が多いに違いないのだ。

どうして、こんなに大事なことを評論家も音楽家も口に出さないのか。黛敏郎先生もおっしゃらなかった。お陰で、私はこれがわかるのに40年も経ってしまって、爺さんになってしまったよ。

まだ、あるのでは、と練習に向かう電車でスコアを見直すと、

あったよ。

第2楽章の第2主題は半音階でずり上がっていく。これはブラームスの交響曲第1番の冒頭と同じだ。
これに気づいたのは、木管の動きがブラームス的な6度3度の連なりだったからだ。

ブラームスの交響曲第1番は、批評家ハンスリックが「ベートーベンの第10交響曲」と持ち上げた作品だ。
ショスタコーヴィチが「皆さん、私にもそれをご期待ですか?」と言っているように思われてならない。

それに限らず、全作品を通して「これも第9ですが、何か(ご不満ありますか?)」というショスタコーヴィチの声が流れている、というのが、現在の私の見解である。

そして第3楽章だけ、何とつながっているか全くわからない。ブラームスの交響曲第4番の冒頭も考えたが、必然性がない。
特徴ある第2主題の伴奏音型等、確実に何かありそうなのだが。

まあ60になったらわかるかも、と思いながら、練習会場に向かったら、

人が10人くらいしかいない。

あれ?もしかして中止?

そこにいらっしゃったのは個人練習をしに集まった方々で、中止のメールは一昨日に届いていたようだ。

ショスタコーヴィチに夢中で、メールチェックを私が忘れていた、ということのようだ。あらら、オーラララ。

万葉集より渋沢栄一、だろう

2020-03-12 00:17:44 | 井財野作品
仲間うちで、歌曲を作って発表しよう、という話が出てきた。

重鎮曰く「令和にふさわしく万葉集から取材して作らないか」

後日、それを聞いた友人曰く「万葉集を持ち出しただけで、ちょっと敷居が高くなるかも」と言われた。

ではどうするか。

「新一万円札の渋沢栄一は?」

え?財界人だろ?

「いや、何か出てくるかもしれないよ。」

というやりとりの数日後、本屋の棚に渋沢栄一のムックが置いてあり、早速買って読んでいるのだが……。

とても歌曲向きとは言えない「名言集」が記載してある。名言だけあって、内容はとても興味深いけれども。

しかし、もっとブレーキをかける文字があった。

【尾高惇忠】

渋沢栄一の従兄で、師でもあったという。
が、我々の世界では作曲家の名前だ。
同姓同名にぎょっとして、調べてみたら曾祖父、曾孫の関係なのだそうだ。

で、渋沢栄一と尾高惇忠の共通の孫に尾高尚忠。あの「尾高賞」の尾高である。

孫と曾孫に、日本を代表する作曲家がいらっしゃる渋沢栄一。
ちょっとおそれ多くて、簡単には手が出せない。
一方で、知れば知るほど、渋沢栄一とは魅力的な人物だったことがわかる。

うーむ、どうしよう。