井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

パールマンは不滅です⑤

2017-11-29 07:50:00 | ヴァイオリン

大昔のSPレコード時代、ヴァイオリンと言えば小品が主流だった。
その後、LPレコードが普及するにつれ、協奏曲やソナタが多く聞かれるようになり、相対的に、小品を弾くことがあまり重きを置かれない時期が少しだけあった。

そこにパールマンが登場。パールマンは、素晴らしい協奏曲の演奏と同時に、楽しい小品の世界を再認識させてくれたのだ。

ハイフェッツ、オイストラフ、スターン、ミルシタイン、全て素晴らしく小品を演奏する。ただ、共通して一種の「厳しさ」を感じる。それはそれで「必要なこと」という風に皆さん認識していたように思う。

ところがパールマンからは、その「厳しさ」をほとんど感じさせない。楽観性に溢れているとでも言えようか。とにかく楽しそうという、独特な魅力が発散されていた。
なので、パールマンの小品演奏の評価は、ことのほか高かったと思う。


パールマンは不滅です④

2017-11-27 21:30:00 | ヴァイオリン
1978年の熊本リサイタル、バッハの後は得意の小品、クライスラーが3曲「前奏曲とアレグロ」「ウィーン綺想曲」「中国の太鼓」だった。

今年のパールマンもフィオッコのアレグロ(ヴァイオリンを練習する人は誰でもやるが、弾かない人は全く知らない曲)を弾いて話題になっていた。

そこまではないにしても、前奏曲とアレグロはあまり演奏会ではやらないかもしれない。
しかし、そこがパールマン、聞かせてしまうのだなぁ。

この聴き手をグイグイ引っぱっていく力は並はずれている。

ところで「得意の小品」と書いてしまったが、これだけだと協奏曲やソナタは不得意なのか、と読めてしまう。
もちろん断じてそのようなことはない。

パールマンは不滅です③

2017-11-25 19:03:00 | ヴァイオリン
リサイタルの方を良く覚えているのには訳があって、実はこっそり録音していたのである。モノラルのカセットテープレコーダー、録音レベルが自動調整だから、大きい音は小さく、小さい音は大きく入る代物だ。

それでもその後何度も聴き返した。

バッハの無伴奏パルティータ第1番。こちらもちょうどその中のサラバンドとブーレを練習していたところだった。

パールマンは終始美音で流麗にバッハを弾く。楽々と弾いているように見える。楽しそうに。でもレコーディングのように無傷で。

これをヴァイオリン弾きの標準ととらえると、そう思ったヴァイオリン弾き(=私)は打ちのめされる。

今だったら「それはパールマンだから」と言えるだろう。
しかし、その頃身近な人間は一様にパールマンを賛美していて、ヴァイオリン弾きかくあるべし、とその人たちが無言で言っているように私は感じてしまった。

ニコニコしながら完璧に弾く、とてもこんなこと、私にはできない。

ヴァイオリニストになるための熱心さが今一つ足りなかったのは、パールマンのせいも少しはある。

その意味でもパールマンは不滅だ。

パールマンは不滅です②

2017-11-23 16:29:34 | ヴァイオリン
協奏曲2曲を聴いた日には福岡市に泊まって、翌日朝はヴァイオリンのレッスンだった。
前日のコンサートはああだったこうだったの話を交えてのレッスンは、なかなか有意義に終わったのだが…。

パールマンと同時に台風も訪れてくれたのである。
その頃、台風でもバスは止まらなかったので、先生のお宅への往復は何とかできたのだが、国鉄は運行を止めてしまっていた!

その日の夜は熊本でリサイタルだった。そちらのチケットも買っていたというのに!

携帯電話の無い時代、どうやって連絡をとったのか思い出せないのだが、とにかく親に相談すると、バスで行けという指示だった。
当時ある程度は高速道路が開通しており、しかも例によってバスは台風程度なら走っていたのである。

とは言え、リサイタル開始の時間には全く間に合わない。
いや、パールマンも台風だから間に合わないかも、という淡い期待をして、開演1時間後くらいに会場、熊本市民会館に着いたのだが…

熊本市は雨も完全に止み、リサイタルは定刻に始まっていた。ちょうど休憩時間に滑り込んだ形だ。

半分聴けなかった。悔しい、残念無念!

前半はシュトラウスのソナタと何かだった。
でも、負け惜しみを言えば、シュトラウスのソナタは好きではない。
それ以上に述べれば、前半聴けなかった分、後半はかなりの集中力で聴いたように思う。
その証拠に、協奏曲の印象より、リサイタルの方がずっと良く覚えているから。

パールマンは不滅です①

2017-11-21 00:35:00 | ヴァイオリン
11月に久しぶりの来日公演、東京、大阪、福岡の計4回のステージのみ。
福岡公演は、そのチケットを手に入れるために「アクロス友の会」という特別前売りがあるグループにはいる人がいるほど、とにかく大人気、久しぶりの大物スターの演奏会だった。

私は、というと、それを尻目に…行かなかった。約40年前の感動と同じものが得られるとは思わなかったからである。

1978年の9月だったか、九州交響楽団の定期演奏会のソリストとしてパールマンが演奏したことがあった。
それは大騒ぎで、未だに語りぐさの伝説的公演である。

指揮は黒岩英臣氏で、まずタンホイザー序曲が演奏された後、メンデルスゾーンの協奏曲とチャイコフスキーの協奏曲をパールマンが演奏するという、何とも贅沢なすごいプログラムだった…ようだ。

実は、メンデルスゾーンの最初の美音で舞い上がってしまい、あとはあまり覚えていない夢のような時間だったから。

はっきり覚えているのはアンコールでパガニーニのキャプリス5番をやったこと。
この曲を偶然練習中だったから衝撃だった。
パールマン自ら「ダイゴバン」と日本語で紹介して弾き始めた。
ひたすらかっこいいキャプリスだったなあ。