井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

インド=ヨーロッパ語族の話

2015-01-28 19:12:07 | アート・文化

「そこはテクスト(歌詞)をつけた感じで演奏して」と指揮者から言われた、と学生が言ってきた。

それでは、と言って「あんたがた、タフマン」と勝手につければ良いことを意味しているのではない。そのくらいのことは学生もわかっている。ではどうすれば良いか・・・。

どうすれば良いかわからず、スルーしたようだ。

そりゃそうだ。曲はメンデルスゾーンの交響曲第5番「ビフォーア・アフター」もとい「リフォーメーション」。だからドイツ語でつけろ、という意味だ。

その代わりドイツ語ならば何でも良いかも。ダス・イスト・デア・シュヴァイネブラーテン(これは豚の焼き肉だ)でも良いのだが、ドイツ語を知らなければお手上げだ。そんな指揮者は願い下げだ。


とは言え、音楽をやるのに言語の勉強は不可欠だ。特にヨーロッパの言語だが、その中でもイタリア語、フランス語、ドイツ語、になるのだが、ヨーロッパには他に何語があるのか?

私は子供の頃から子供用の百科事典を読んでいたお陰で、何となく知っていたのだが、最近は百科事典がはやらなくなったせいか、こういうことは子供が知らなくなった。

この内容は、義務教育には多分入っていない。が、とても重要なことだと私は思っている。せめて中学校の内容に含めてほしいものだというのが、私の意見である。(入っていたような気もするが・・・)

その内容とは、まず「語族」の話。

世界中の民族は、その民族が使っている言語で分類が可能である。

言語の分類になるのだが、「語族」で分けると最大のグループは恐らく「インド=ヨーロッパ語族」になる。

だからインド人は基本的にヨーロッパと近くて、我々とは遠い。ちなみに中国人はシナ=チベット系、我々日本人は、なんと「不明」。隣の朝鮮人も不明。ウラル=アルタイ系に近いとかモンゴル系の流れもあるとか言われているが、印欧系に比べるとアジア人は実に複雑なのである。

インド=ヨーロッパ語族は、8つの語派に分かれる。

・インド・イラン

・アルメニア

・アルバニア

・ヘレニック(ギリシャ)

・ケルト

○イタリック(ラテン)

○スラヴ

○ゲルマン

特に大事なのは後者の三つ、この三つがヨーロッパ9割をカバーしているからだ。

カバーしていないのはウラル語族のフィンランドとハンガリー。この二つは、その昔のフン族の侵入で流れ着いたアジア系民族が祖先と言われている。

ただフィンランドもハンガリーも混血が進んで、どうみてもヨーロッパ人にしか見えないけれど、音楽的に見て、他のヨーロッパ系と異質な部分があることには注意が必要だ。

人間は言葉でものを考えるし、音楽は歌から始まり、歌には必ず言葉がついているから、音楽に携わる人間には、言語の知識、特に「ゲルマン」「ラテン」「スラヴ」の大まかな特徴は覚えておく必要があるだろう。


折れた弓

2015-01-19 20:39:26 | ヴァイオリン

ちょうど「カヴァコスは上手いなぁ」と動画を視ながら思っていた矢先、「ビバおけ」で弓が折れた事件を知った。

信頼していた楽器屋さんに「折れました」なんて言われた日にはショックだろうなぁ。しかも一千万円の弓、訴訟になってもおかしくはない。

ただ、ちょっと気になるのは、ヴァイオリンを弾く側には問題がなかったのか、ということ。

楽器商や楽器職人サイドから見ると、折れる限界まで酷使していたのではないか、という推測ができる。

というのも、その昔、それに類する話を聞いたことがあったからだ。

私が最初にヴァイオリンの弾き方を習った時、弓はダウンの時にスティックを向こう側(指板側)に倒し、アップの時は倒さずに垂直に立てて使うように言われた。

その後、何人目かの先生からは、元で弓を倒して弾き始め、先にいくに従って段々起こしていくのがダウン、アップはその逆で、元に近づくにつれ段々弓を寝せて使う、と言われた。

いずれも間違いではないし、後者が一番合理的だと思う。

ところが、弓を倒したまま弾く人が意外と多いのだ。これは超一流からアマチュア演奏家まで、幅広く存在する。

率直に言って、弓に対してはとても悪い弾き方になる。ずっと斜め方向から弓を変形させる力が働いているわけだから。

実際、そうやって変形する弓が修理に持ち込まれるらしい。

たまりかねて、とある修理職人が言ったそうだ。弓を寝せて弾くとどうしても変形するから、弾き方変えませんか、と。相手は日本を代表するヴァイオリニストの一人。

すると「だって、スターン先生がこう弾けって・・・」

そんなの、もう死んじゃったんだから・・・と職人さんは思ったようだけれど、まぁ、直接言われたら呪縛が解けないのはわかる。

要するに、アイザック・スターンも弓を寝せて弾いていた訳だ。これが悪い弾き方と、正面きって言える人はいない。

もう一つ、譜めくりや、ちょっとした弾かない時間に、弓の中ほどを持つ癖がある人、その人の弓はその「持つ所」のスティックが「へたって」いる。黒ずんでいる。弾力性が落ちいている。これも職人さんを嘆かせる要因だ。

こういう弓も、見ればわかる。

カヴァコスの話に戻ると、彼もずっと弓を寝かせて弾くタイプで、しかもかなり圧力もかけている感じがするから、弓にはかなりの負担がかかっていそうだ。実際、それで変形した弓を直してもらおうと思ったのだろう。

だから、カヴァコスが弓をダメにしているのは、ほぼ確実と思われる。

悪いのはヴァイオリン弾き・・・

という結論を、ヴァイオリン弾きが出す訳がない。

上述の通り、弓が変形しているのも、ヘタレているのも、見ればわかるはずだ。

一流の職人ならば、弓を見せられてすぐに「カヴァコスさん、これかなり状態が悪いですよ。恐らくちょっと力を加えるだけでパキッといきますよ。」とでも言って、つっ返すか、そのリスクを確認してから修理に入ると思う。

カヴァコスさん、変な職人さんに見せちゃったね・・・と、・・・

あれ?

悪いのはヴァイオリン弾きの結論になってしまった。いかんぜよ。


どこがダメなんですか?

2015-01-11 19:31:37 | コンクール

「こうやって訊いてくるお母さんがいるのよ。」

「どこがダメなんですか?」

「全部。」

「もう、どこがダメって訊いてくる時点でダメよね。だから全部ダメって言うしかないのよ。」

いやはや、思わず笑ってしまった。

これは某コンクールとは別のコンクールでの、ある審査員の会話。

冷静に考えればすぐにわかることだが、情熱が燃えたぎっていて、「うちの子はあれだけがんばらせたのだから、悪いはずがない」と思い込んでいる親、わからないのだろう。わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ(1975)、と私も40年間言い続けるのであった・・・。

人それぞれ、良いところ、改善すべきところ、あるはずだ。他人の演奏を聴いて、そのあたりがある程度わからなければ、向上は不可能に近く難しい。

言い方変えれば、どこが良くてどこがダメか、ある程度はわからないと、上手くはなれない。冷静だったら、誰でもわかると思うのだけれど・・・早く冷静になっていただきたいものだ。


右手の小指の問題

2015-01-09 20:23:19 | コンクール

引き続き某コンクールだが、私にとっても最大級に重要なことがあった。

途中からではあるが、私の師と一緒に演奏を聴くことができたのだ。これは生まれて初めてのこと。

こちらの師から学んだのは、ほとんどがヴァイオリンの技術面だった。しかも、恐らくはアメリカで発達したと思われる技術。お陰様で、音の出し方については根本から見直すことができたし、現在の私の根幹になっていると言って良い。

その中で、右手の小指の使い方というのがある。

フランコ・ベルギー流だと、弓先ではほとんど用をなさない小指だが、せっかく5本ある指は、しっかり使う、弓先でも手首を下げて小指が離れないように、という教えだった。

これだけだと、実際はどちらでも結果にあまり差がない。

大事なのは弓元での小指の使い方である。

約60グラムあるヴァイオリンの弓、そのまま弓元で弾いたら重すぎて音がつぶれてしまう。だから重さをのせすぎないように弾くのだが、この時、手全体で重さがかからないようにすると、必要なアタックがつかないだけでなく、弓元数センチを超えたところで、必ず音が肥大する。

それはさすがに不本意なので、持ち上げた弓を必要なだけまた押し戻すという、とても複雑なことをやる。そういう人は結構多い。かくいう私もその一人だった。

ここで小指を使う技術を使うと、弓の重さだけで音を出すことができる。

弓の根元を使う時だけ、小指でスティックを少し押す、これだけのこと。親指をてこの支点、小指が力点、弦との接点が作用点(てこの原理、覚えていますか?義務教育)

重さが必要以上にかかってしまうのは、(弓を使う速度次第で変わるが)弓もとから数センチまでなので、少し押す、これで充分。

一旦マスターすると、全然難しくないのだが、使ったことがない人には少々訓練がいるだろう。

使ったことがない人、これが存外多くて、このコンクール、滅茶苦茶うまい子供たちであっても少なくとも3割は使えていなかった。

また、使えなくてもほとんど差し支えない曲(シベリウス、ショスタコーヴィチ等)もあることを発見したのも、私には収穫。

はっきり使えているとわかる演奏は(感覚的には)3割くらいの印象。

これが、私としては気になって気になって仕方がなかった。

そして私にとってラッキーだったのは、それを伝授してくれた師匠の同席である。

審査の合間に、お伺いを立てたらば「ああ、(元弓が)使えていないわねぇ」の一言。

その一言に意を強くして・・・

このコンクールの良い試みは、終わってから審査員の講評会があること。

この場で、右手の小指が使えていないと思われる皆さんには、上述のことを教えまくった。

そのアドバイスだけでできるようになる人は、かなり優秀だと思う。

だけれど、それをきっかけにしてくれる人が少しでもいれば、将来は明るい、それを願って終わったコンクールだった。


明けましておめでとうございます

2015-01-04 11:58:27 | ヴァイオリン

今年もよろしくお願いします。

続けていくのは、結構大変なのです。書いていいことと構わないこととありまして、単純に書ける時代は随分前に終わっているのですが、それだからこそ続ける意味を再確認することも、最近多々ありました。なので、どこまで続けられるかやってみたいと思います。

さて、新年早々、FMで某コンクール全国大会の放送をしていました。私も9年ぶりに審査員として聴かせてもらったのですが、いやはや皆さんの上手なこと!

毎年聴いていらっしゃる大御所先生曰く、

「小学生は毎年上手だからね、かなりこちらも構えているんだけど、それでも上手ね」

中高生はというと、こちらも凄かった。ただ、中高生は昔から上手だった訳ではないのです。複数の先生の証言がありますが、4,5年前、特に高校生はあまりうまくなかったとのことです。

さらに遡ること数年の昔に聞いた話では、小学生は親がかり(正確には母親)で取り組むから、かなりのところまでいくけれど、中高生になると親が(疲れたのか)もう手をかけなくなる、すると結局レベルの低い演奏で甘んじなければならないのでは、ということでした。

そのような話を、当時の小学生の母親達もきっと耳にしていたと思います。他にも、「高校生までは家畜に毛の生えた程度だと思え」というような、少々お下品な表現ではありますが、つまりは「自主性など期待する方が間違い」という教育論も、割と耳にしたような気がします。

それならば、ということで、そのお母さん方ががんばった成果が多分にあるのではないか、ということを、まず強く感じた次第です。

そして、人間というのはやはり、同じ時間をかけて努力すれば、同じくらいの成果が出る、という現実を(私は「真理」だと思っていますが)再確認したようにも思いました。

さらに全国大会は、終わってから講評会があったのが良かったですね。入賞しなかったけれど私はとても良かったと思った、とか、入賞しているけれどこれこれこういう訳であなたに最低点をつけましたって言い訳できたから。

本当に全員が僅差だったので、こういうことが起きます。

通常一番強そうな、東京大会の高校生入賞者が全滅等の下克上(?)も毎年あるらしいですね。本選の曲と同一曲を弾く昔のシステムでは、こういうことはおきにくいと思うけれど、「短期間で仕上げる」という別の視点が加わる現行の仕組み、新たな能力を開発していて、なかなか有効に働いていると言えるだろう。

とりあえず、ヴァイオリンママ万歳。明るい未来を共に築きましょう。