井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

似て非なるもの

2009-11-28 18:19:04 | 音楽

ある日の光景。オーケストラの曲選びの相談。

「矢代秋雄のピアノ協奏曲がやりたい、なんていう現代音楽好きがいるんですよ(困ったヤツめ!)。」

「何?私も好き、ヤシロアキ。」

「(その話じゃなかったんだけど)八代亜紀なら私も好き。雨、雨ふーれふれ、もーっと降れ…」

え?雨雨降れ降れ母さんが、じゃないのか。平成生まれのくせによく知ってるな、という言葉を飲み込み…

「雨の慕情はバッハなんだよねー。」 「…」

ちょうど手にしていたヴァイオリンで、マタイの「主よ、憐れみたまえ Erbarme dich」と「雨の慕情」を交互に弾く。

「あっ!」

「これ、兄に話したら無茶苦茶喜びますよ。」

ではついでに家族全員で喜んで下さい。ちなみに、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第4番ハ短調でも可能である。

調子に乗って、奥村チヨの「終着駅」はヴィヴァルディだよ、もやりたかったけど、わっかるかなあ、わっかんねぇだろうなあ。

外山雄三と加山雄三の差異くらいにしておくか。加山雄三にもピアノ協奏曲はあるぞ…。


サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ

2009-11-25 08:51:40 | ヴァイオリン
 この曲は,ヴァイオリニスト全員が手掛ける名曲だ。ところが,楽譜についてはいろいろな問題が生じる厄介な曲でもある。

 そもそもサン=サーンスの器楽作品は全般に,テンポに関して楽譜通り演奏されないのが普通という,特異な存在である。それが声楽曲ならばちっとも珍しくないし,器楽であっても「楽譜通りに演奏できない箇所が含まれる」くらいならば,どの作曲家の作品でも大なり小なり起こることだ。これがサン=サーンスにあっては,一曲たりとも指定の速度表示は守られないのが通常。

 まず,指定のメトロノーム数字が,かなり速い。演奏が難しいこともあるが,大抵の人が,どの曲でも指定のテンポよりも遅めが良いと感じるのである。

 そして,テンポの揺れがほとんど記載されていない。バッハやモーツァルトのような譜面なのだが,これも通常は「演奏慣習として」あるいは「伝統として」速くしたり遅くしたりする。バロックや古典派でも,このようなことは時々あるから,サン=サーンスの譜面はバロック的に,あるいは古典的に読む,と割り切れるならば,それで一旦は解決する。

 しかし様々な記録から推し量ると,サン=サーンス本人がそれを望んでいたようには思えないのである。厳格で几帳面な性格だから,速度表記を省略するようなことは考えにくい。リタルダンド(段々遅く)やピウ・モッソ(さらに速く)という表記は,きちんと使用している。同時代のラロやドヴォルジャークの楽譜がかなり非論理的で感情的なのと比べると,よりはっきりする。

 またフランスには,テンポをあまり揺らさずに,まっすぐ突き進むように演奏するのを潔しとする美学が根付いている。伝統にとらわれずにサン=サーンスの曲を「まっすぐに」演奏してみると,それはそれで魅力的な姿が浮かび上がることもよくあるのだ。

 が,それが「薄味」にしか感じられなくなることもしばしばである。サン=サーンスは,毎朝ショパンのプレリュード全曲を弾きながら新聞を読んでいたという。そのショパンはいかにも「薄味」だったのではないだろうか,と思ってしまう。でもサン=サーンス自身は,その「薄味」がお好みだった,という推測も成り立つ訳だ。

 作曲家の意志を汲み取って演奏するのが現在のオーソドックスな考え方である。その伝でいくと,「薄味」でなければならなくなるのだが,幸か不幸か,一般にまずその「薄味」方法は採用されない。

 では,どうするのか。

 やはり「慣習」を学習して,それに沿った表現をするのが普通である。そろそろ「慣習」を記載した楽譜が出ても良さそうなものだが・・・。

 などと思っていたら,昨年ショットから久々の新エディションが出た。それを昨日,ようやく手にすることができた。ひょっとして,演奏慣習についても,ちょっとくらい書いてないかな・・・と思って読んでみたのだが,それは全く書いてなかった。(まあ,そうだろうな。)

 ただ,他にももっと期待していたことがあった。ピアノ伴奏の編曲である。

 この曲はサン=サーンス28才の作品で,当時19才のサラサーテに捧げられた。デュラン社からオリジナルが出版されるのだが,伴奏のピアノ編曲を担当したのが,「カルメン」で名高いあのジョルジュ・ビゼー。楽譜の1ページ目に大音楽家の名前が3人並ぶというのは,なかなか壮観。

 それは良いのだが,ビゼーの編曲は少々いただけないところがある。真ん中付近の低弦のピチカートや最後のティンパニなど,かなり重要だと思う音が省略されているのだ。ローマ留学から帰ったばかりの気鋭のビゼー,しかし作曲家としてはまだまだペーペー。デュラン社に「何か仕事ありませんか」と尋ねたら「じゃ,この編曲やってくれる?」と渡されたのがコレ,ってことではないかと私は想像している。

 ほとんどの部分はそん色なくまとめられているので,そう悪いできではないのだが,2箇所重要な音が入っていないだけで,何となく「まだ若造」の仕事に見えてくる。そのような次第で「新編曲は誕生しないかな」と思い続けていたのであった。

 1ペ-ジ目を見た。そこには,しっかりビゼー編曲の記載があった。残念。

 ちょっとがっかりだったが,まあ仕方がない。ビゼーの編曲は,あまり弾きにくくないし,よく出来ていると言えばよく出来ている。

 しかしがっかりさせられた最大の物は,フィンガリング(指使い)とボウイング(弓使い)。従来のデュランはオリジナルそのままであることの強みがある一方,版が擦り切れていって,細かい表記が全て不鮮明になっている。インターナショナル版だと,フランチェスカッティの指示が,かなり個性的で,何がオリジナルなのか,甚だ読み取りにくいのが難点。

 新版ショットの指と弓もまた個性的なところがあり,このままではちょっと使えないのが残念。ただ,ショットらしく楽譜そのものは鮮明に印刷されているから,インターナショナルよりは良いかもしれない。

 なかなか理想的な楽譜はないものなのだなあ。全音が「ハバネラ」と「ショーソン:詩曲」が一緒になった楽譜を出版していて,こちらの方が使い勝手は良かった。でもすぐに絶版になってしまった。

 新たに演奏に取り組む方は是非,ピアノ・リダクションに載っているヴァイオリン・パートを注視していただきたい。大体において,それがオリジナルの表記である。それに従うと,同じアーティキュレーションと思っていた音型が,微妙に異なっていたりするのがわかるはずだ。

 そしてできれば,原曲であるオケ・スコアも手にいれるのがベスト。ワン・ボウ・スタッカートのところの音が,全く違う音になっていたりするのがわかるだろう。

 その上で,薄味にするか濃い味にするか,いろいろ考えてみるのが面白いと思う。


一瞬でブラームス

2009-11-09 22:38:43 | 音楽
ピアニストのピーター・コラッジォ先生が、さる9月15日にハワイで亡くなられた。享年69才。(千香士先生と同じ年齢だ。)旅行先の客死ではない。ピーター先生は長年ハワイ大学で教鞭をとられていたのだ。

「ハワイで音楽が勉強できるの?」という質問が次に来るのは必至だが、これがどうしてどうして、かなり本格的でオーソドックスな勉強ができていた。それには、ピーター先生に負う部分も相当あったと思う。

ピーター先生はジュリアード音楽院出身。ヨーロッパを一旦客体視して整理したあと生徒に伝える、というようなやり方は、ジュリアードらしさかもしれない。それが日本人には大変ありがたく、東京から福岡からハワイ詣でをする人は後を絶たず、ピーター先生もよく来日された。私も数回、居合わせてもらえたことがあった。

その数少ない接触で、忘れられない思い出もある。 ピアノの公開レッスンで、音色の話になっていた時だったと思う。

「国際コンクールの審査をやると、いろんなことがありましてね。」 「隣にドイツ人の審査員がいて、途中まではおとなしく聞いていたんですよ。」 「ところがブラームスが始まったら、顔を真っ赤にして怒り出し、曲の途中なのに立ち上がって『違う!』って叫んだんですよ。」

そのくらい、作品の要求する音色には忠実でなくてはいけない、という文脈なのだが、その後にピーター先生の実演が付いたのがミソ。

「例えばハ長調の和音でも、ブラームスならばこうです。」 と、単なるドミソの和音を両手で弾かれたのだが…、それは見事にブラームスだった!

何故そうなるのか、までは教えてくれなかった。それが知りたかったのに…。 その後知り合いのピアニストにお伺いをたてたら、 「まあ、強さのバランスだと思うけど…。」

だから、どのバランスならブラームスになるのかが知りたいんだってば!

今は、少し見当がつくようになった。あの衝撃から考え続けた結果である。ピーター先生のおかげだ。このようにして、先生は永遠に心の中に生き続ける…。


5000年前の文字

2009-11-05 22:00:57 | まち歩き
 昔から,教科書に載らない歴史に大変興味があった。

 その一つ,山口県下関市の彦島という島に古代文字が刻まれた岩があるというのを,20年程前に知り,いつか見てみたいものだと思い続けていた。彦島は本州との境目がかなり埋め立てられているから,あまり島然とはしていない。鉄道の関門トンネルの出入口が彦島にあるから,通ったことがある人は多いはずだ。

 ただ,この古代文字(岩石文字=ペトログラフ)は,下関の人間にもあまり知られていないようで,それもなかなか訪ねることができないでいた遠因の一つである。観光ガイドにも載ったり載らなかったり。

 でも最近はインターネットというもので調べることができる,ということに遅蒔きながら気付いて,ようやく今年,見に行くことが叶ったのだった。

 以前は,あるバス停の近くだか公園の中に囲って置いてあったという記述もあり,そちらにまず行ったが見つからない。再度ネットで調べると,現在は彦島八幡宮の中に展示してあるということで,さんざん道には迷ったが,どうにかその岩を見ることができた。

 ただ,何とも異様なのは,しめ縄で囲ってあるだけで何の説明板もなかったこと。その近くには「宮の原遺跡」の標石があり,紀元前3000年頃と推定(正確な記述は覚えていない),とだけ書いてあった。恐ろしく昔である。

 肝心のペトログラフをなぞった白ペンキも大分剥げ落ちていた。知らない人はただの庭石に見えるだろう。しかし,本当は恐い石らしい。興味のある方は「彦島八幡宮」のホームページを御覧いただきたい。実は,私もそのサイトを読んで,初めてそのコワさを知った口である。ただ,シュメール語が混じっているというのが大変興味をそそられるところ。シュメール人が大昔日本に渡来したという説は,かなり以前から唱えられていた説なので,その証拠になるのかどうか・・・。

 そこまでなら,まあ趣味的な話。
 今朝のニュース,新聞を見て唖然とした。その彦島八幡宮の向い側にある工場で,爆発事故が起きた。原因は不明とある。

 ちょっと前,関門海峡の船の衝突も,あまり良い感じではなかったが,今度はズバリ,岩の近くの事故。

 もっとイヤな感じである。