ベルリンの壁が崩壊したのは11月9日と言われている。(一瞬で壊れたわけでもないから、、あくまでも便宜上の話だ。)もうすぐ、ってことか?
その翌1990年10月にドイツは再統一された。
その1ヵ月前、私はミュンヘンに数週間滞在したことがある。酔狂にもコンクールを受けていたのだ。どうしても受けたかったからである。正式には全ドイツ放送何とかという名称だが、俗にミュンヘン国際音楽コンクールと呼ばれているものの二重奏(ヴァイオリンとピアノ)部門というやつ。
成績は1次落ちで全くダメだったし、それなりにガックリはくるのだが、それでもこれは面白い体験だった。
ミュンヘンのコンクールの規模は世界一と言われている。室内楽部門まであり、それには私が受けた二重奏の他にチェロとピアノの二重奏や弦楽四重奏などというものもある。とにかく部門が多い。それを何年おきかに開催している。
その年も、一般的なピアノや声楽の他にファゴット、チェロなどがあった。それらを並行して開催、会場は予選がバイエルン放送局のスタジオ、本選は当時ヘラクレスザールという石造りのコンサートホールも使った。
特筆すべきは、このコンクールがミュンヘンの(特にじいちゃんばあちゃんの)毎年お楽しみの行事になっていること。オリンピックを小規模にした感じと言えばわかるだろうか。じいちゃんばあちゃんが、今年はどんな若者がシューベルトを、モーツァルトを、ベートーヴェンを演奏してくれるだろうか、と期待して会場に赴く姿が忘れられない。
そして何より、参加するのがこんなに面白いとは思わなかった。
練習会場にはミュンヘン国立音大の部屋が提供される。友人の留学生がいろいろ教えてくれた。
ここはピアノのゲルハルト・オピッツ先生の部屋。壁には「安川電機」のカレンダーがかかっているでしょ。あれは安川加寿子先生からの贈り物。オピッツ先生は日本語がわかるから、油断できないよ。そしてついでに、ここは戦前ナチスの執務室ね。
1次が終わったら、今度は応援団の一員である。こういう時は日本人同士すぐ友達になるし、もともとの知人はさらに連帯意識が強くなる。2次まで進むと、メーベンピックというレストランの食事券が渡される。進まない人は渡されないのだが、なぜか私も声楽のヒシキさんという人ほか数名と一緒に食事をした。こういうことは国内ではあまりないような気がする。
欧米のコンクールの良い所は、審査員との接触が比較的自由で、コメントを得るのも難しくないことだ。審査員も心得たもので、全員のメモを作って、いつでも質問に応じられる態勢をとっている。
とは言え、なかなか聞き出すのには勇気がいるが、一回やってしまうと勢いづいて他の審査員にも訊きまくった私、自分のでは飽き足らず、大和撫子の先輩を連れ出し、その先輩へのコメントまで引き出したほどで。
その先輩は2次で落とされたのだが、ウィウコミルスカ先生にコメントを求めると「なぜ落とされたのかわからない」という、受けとりようによっては最高の賛辞をいただいた。それを聞くとなぜか私まで嬉しくなったりして。
そう、ミュンヘンといえども納得のいかない審査がある。友人曰く「今年はOからか・・・」
朝から夕方まで審査は続く、やはり午後の2時前後が順番的に恵まれたポジションだ。ミュンヘン音大からは、いわゆる「本命」が送り込まれる。その「本命」が一番有利な順番になるように、アルファベット順をAからでなく、どこか途中から始めて調整する、というのだ。
ヴァイオリンの本命はドイツ人ではなく中南米の小男テオ。これがまた動き回ってロビー活動に余念がない。君は何を弾く?から始まって、魚は食べるか?などという話までしていた。
このテオを指導していたのがクルト・グントナー。その昔、カール・リヒターが日本で「マタイ受難曲」を演奏した時に第一ソロを担当した人だ。(礒山先生はまだ学生、故吉田秀和は「マタイのことはまだとても書けないけれど」と言わしめた幻の名演である。と言ってもCD録音はあるけれど、本当に名演です。)
しかしテオが弾いたシューベルトの幻想曲はペータースの旧版を使っていた。当時すでにベーレンライターが原典版を出しており、これが旧版と比べ、かなり難しくなっていた。コンクールでしょ?古い慣行版でお茶を濁していていいの?
テオは最終まで残りはしたものの案の定、入賞はできなかった。どれだけ裏で操作があったかはわからないが、これで結果的に公正な審査結果になった訳だ。悔しそうなグントナーの顔も忘れられない、印象的な最終審査だった。
そのグントナー、武蔵野音大でも教えた時期があるからご存知の方もいらっしゃるだろう。
最近、ようつべにお出ましになって、いささか驚いている。ちゃんちゃらおかしいのは、ヘンレの原典版の宣伝をしていることだ。あの時は使わせなかったくせに・・・。
ひょっとして、あのテオの落選で懲りたのか、あるいはミュンヘンのヘンレ社でなければ認めたくないのか、そのあたりはわからない。(ベーレンライターはカッセルという街の出版社)
それにしてもヘンレ社もおもしろいことを考えるものだ。そしてこのようつべ、ドイツ語のオリジナルに加え、英語版と日本語版がある。我々を重要な顧客と考えてくれているのは、ちょっとばかり嬉しいかな。いずれにせよ、他の曲も合わせて、結構参考になるものもあるので、時間があったらご覧いただきたい。