各弦を全音分高く調弦する。そのため,2台目の楽器を用意して演奏することになる。楽譜も移調楽器として記されるから,ソロ・パートのみフラットが2個多い。楽譜に「ラ」と書いてあると,実際には「シ」の音が鳴って,それは開放弦(左指を押さえない)で演奏されることになる・・・ヴァイオリン弾きにとっては,かなり混乱する状況である。
なぜそんなことをするかというと,安っぽい音を出させたいからだそうで,楽譜にも「フィデルのように」と書いてある。カントリー&ウェスタンなどで使うフィドルのこと(と言っても楽器としてはヴァイオリンと同じなのだが)で,さらに言えば,これはあくまでも死神の踊り,悪魔が弾くヴァイオリンの伝統に則って作曲されている。
西洋では,神聖な楽器はトロンボーンを代表とする金管楽器,世俗的な楽器はヴァイオリンを代表とする弦楽器と古来から決められている。天使はラッパを吹き,悪魔と乞食がヴァイオリンを弾くのである。弦楽器と金管楽器が対立するのは,太古の昔から決められていることなのである。それに日本人が従う必然性はないと思うのだが,上述の伝統楽曲の歴史がある以上,とりあえず知らなくてはいけない。
・タルティーニ:悪魔のトリル
・リスト:メフィスト・ワルツ(ピアノ曲なのに冒頭は「調弦」をしている!)
・サン=サーンス:死の舞踏(これも「スコルダトゥーラ」)
・ストラヴィンスキー:兵士の物語
これにマーラーのこの楽章も組み込まれる訳だ。
ヴァイオリン弾きにとっては,曲が表現しようとしているものよりも,曲が要求している技術が悪魔的である。
過日トップサイド(コンサートマスターの隣席)を頼まれた。コンマスではないから,まあ気楽なもんだと思いきや,とんでもなかった。短いけれどサイドにもソロがあった。それだけなら交響曲第1番にもあるし,驚くにはあたらない。
問題は,コンマスが弾くパートが全音低く書いてあり,それがチラチラ目に入って,その度にドキッとすることだ。違う箇所を読んでいるのではないか,という錯角に陥る。ただでさえ,弾きにくい音楽なのに・・・。
弱音器も,付けたり外したりとせわしない。マーラーの楽譜は注意書きが多くて,弱音器の付け外しの指示を読み取るのも容易ではない。
コンマスのソロも,たった1小節のために通常のヴァイオリンに持ち替えなければならない箇所もある。ここまでくると「いじめ」かと言いたくなる。
先日,変則調弦を試してみた。弦が切れるんじゃないか,駒が表板に食い込んで表板が割れてしまうんじゃないかと,それだけで心臓に悪い。一音上げたつもりで,実際にはかなり低めだったりして,調弦だけでも一苦労。その上,最初はどんどんピッチが下がっていく。楽器も「いやだいやだ」と言っているようだ。
全く人騒がせな楽章だ。
そこまで苦労する独奏ヴァイオリンなのに,印象的な演奏というのは無いものである。やはり「安っぽい」音を狙っているから,あまりヴァイオリンの魅力とつながらないのは確かだろう。それに,試して気付いたが,変則調弦する楽器に,上等なものを使うのは抵抗がある。恐らく皆さん,あまり高級でない楽器を使われているのではないか?
唯一覚えている演奏は,今は亡き田中千香士先生のものである。芸大定期,管弦楽研究部の演奏会におけるもので,右腕が何かうごめく感じの姿が記憶に残っている。死神だけれど生き生きと,先生の言葉を借りればイカすヴァイオリンとでも言おうか。
今の言葉で言うと「イケてる」と言うようだが,千香士先生はあくまでも裕次郎の世界から抜け出すことなく,「もっとイカすヴァイオリン弾いてよ」としばしば言われたものだ。演奏家で「イカす」「イカさない」という表現を使う人が他にいただろうか?
そんなことを思い出すイカす楽章であった。