井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

プロとアマの境目がわかりにくくなる時代

2012-09-23 23:18:43 | アート・文化

前述の周年誌を読むと、メンバーに接するプロの態度も時代が感じられる。

1980年台頃までだろうか、メンバーが揃っていない、とか、出来が悪すぎる、と言って練習をやめてしまう指揮者の多いこと! 和気藹々とやっているから、いつまでたっても上達しないので、一つ厳しくしてください、とお願いするオケ代表の人もかつてはいたようで、それを受けて指揮者も、などという記述もあった。これを今やると、二度とお呼びがかからない可能性が強い。

とは言え、実は、今でも少しは存在している。厳しくしごいてもらっている、と勘違いしている人がまだいるからだろう。厳しくするのは、場合によっては笑顔でもできる。まして、練習を中断する必然性はない。

これを読んで思ったのは、アマオケのレベルだけでなく、指揮者のレベルも上がったのだな、ということ。

そして、世紀の変わり目あたりから、アマオケといえども、かなり立派な音を出すようになってくるのが見てとれる。小さい時から楽器を練習して、しかしプロになる訳ではなく、という人達が増えるのがこの頃から。

同時に、プロとアマの明確な差が徐々になくなっていく。そして、演奏はやはり良い物を目指そうという動きが強くなる傾向が出てきたようだ。昔の葛藤が、減ってきている。無くなった訳ではないが、時々できるようになった名演の経験から「良い演奏をすることが結局は自分たちも楽しい」という考え方が浸透していく時代と言えるだろう。

もう一つ、より重要なのは、この世紀の変わり目頃、演奏会場に行くことが特別なことではなくなり、(そこまでだったら良いことなのだが)魅力も相対的に喪失してしまう時代である。魅力自体はあまり変化していないのだが、他のエンターテイメントや外食産業が、それを上回る魅力を発揮し始めたのである。

マスコミの支援の薄らぎも読みとれた。地元の新聞が1980年台、十数回にわたって、このオーケストラをとりまく状況の連載をしていたのが再掲されていた。同じく地元のテレビ局が、具体的にスポンサーとしてお金を出していたことも書かれていた。

これは、現在とても難しくなっているのではないだろうか。

そういう時代はとうに終わった、と思われる向きもあろう。

だが、省みて昭和30年台、プロのオーケストラが次々と作られたのはなぜか。あれは、国を挙げて「これからは文化だ」と言っていた流れからなのだ。その流れが、地方においてはアマチュア・オーケストラを作ったのである。

現在の日本、荒廃が目につくという意味では、戦後の日本と重なるところがある。

だから思う。「これからは文化だ!」と叫ばなければならないのではないだろうか。

現に韓国はそれを国家政策でやっているから、日本は韓ドラに席巻されている。

かつての日本も、アメリカの圧倒的な物量文化に気おされて、やはり文化だと思ったはずだ。

これからの文化、何もオーケストラでなくても良い。が、これだけの大人数が参加できて、世界各国で共通の言葉を持つ、というのは、やはり頼もしい媒体だと言えるだろう。

そして、良い演奏ができた場の持つ独特の空気、これは他の何物にも代えがたい貴重なもの。一回でも多く、その場を作る努力をすることが音楽をするものの使命だと思う。プロアマを問わず、その点は大事に守っていきたいものである。


アマチュア・オケは楽しければ良いのか

2012-09-21 22:49:14 | アート・文化

広い意味では、当然そうなのだが、狭い意味では昔から論議の的である。

部屋の片づけをする度に、つい読んでしまうものがいろいろあるのだが、その一つに、或るアマオケの周年誌というのがあり、またついつい読んでしまった。自分が在籍したこともなければ、実は演奏さえ聞いたことがないのだが、著名人の記述などが入っていて、ちょっとした文化史が垣間見えるので、実に興味深いところがある。

その黎明期、1960年台あたり、全国にアマチュア・オーケストラが相次いで誕生する頃だ。その頃は初任給が1万円とか2万円の時代、LPレコードは2500円した。なのでアマチュアであれ、舞台に楽器がいっぱいならんで音を出すのを聴けるだけで喜べた時代だ。

しぼり出すオーボエ、はずれるホルンにジャージャー鳴る弦楽器、それでもそれなりに楽しめた。

この頃は、小さい時から楽器を練習しているのはプロを目指している人、アマは大人になってから楽器を始めた人、という「わかりやすい」区別があったのが一般的だった。

それが時代が進むにつれ、徐々に境界線がわかりにくくなる。即ち、音大を出てアマオケに入ってくるケース、あるいは音大卒業でなくても、小さい時から楽器を練習していて、そこそこ弾ける状態にあるケース、そのようなケースが集合すると、アマオケと言えども高度な指標を持とうという動きはごくごく自然である。

ここで摩擦が生じる。

音楽を前にしてプロとかアマとか言っていてはいけない。できる限り質の高いものを目指して、聴衆に訴えかけるべきである、という考え方。

プロではないのだから、プロと同じことを考えるべきではない。お金を払ってやっている活動なのだから、自分たちが楽しまないでどうする。やれる範囲を無理なくやって和気藹々と楽しもうではないか、という考え方。

一見対立する考え方なのだが、両方とも正論、だからかどうかわからないけれど、大抵のアマチュアは両方の考え方を合わせ持っている人が大半を占める。そして状況に応じて、どちらかの考え方が表面に出る訳だ。

しかも「やれる範囲で無理なく」も、実に幅広い考え方で、「シェーンベルクなんてやらないでもマーラーくらいでいいじゃない」から「ベートーヴェンなんてやらないでもAKBメドレーでいいじゃない」までのグラデーションがあり、この中での対立は充分にあり得る。

さらに「やれる範囲」が仮にベートーヴェンだったしても「マーラーみたいに難しくないから、これならハイレベルの演奏を望める」から「ベートーヴェンも難しいとこは難しいけれど、それは弾ける人に任せて空中ボウイングでもいいじゃない」まである。

皿に茶碗に「弾ける人に任せる」も、「そのためにプロを雇おう」から「みんなで霞めばこわくない」まで広がっている。

これらの問題はオーケストラ特有と言って良いだろう。なぜならば、プロのために書かれた譜面をそのまま演奏しようというのが、アマオケの一般的な姿だからだ。最初から無理があるのである。

同じアマチュアでも合唱や吹奏楽は、比較的この問題が少ない。なぜならば、彼らの大半はアマチュア用に作られたものを演奏するからだ。

オーケストラもアマチュア用の作品を演奏すれば良いのに、そうならないところがアマオケである。やはりチャイコフスキーやブラームスをそのままやりたいのだろう。

この「周年誌」を読むと、そのあたりの葛藤があちらこちらに顔を出す。そして、それは1980年代から90年代にかけての主要な問題だったのが見てとれる。楽しければ良いのかどうか、この時代は結論が見えない時代、と言えそうだ。

長くなったので、続きはまた次回。




子供にはちゃんと教えましょう

2012-09-12 15:10:14 | アート・文化

当然のことをタイトルにしてしまった感もあるが・・・。

何を教えるかはまずはさておき、少なくとも子供には全て教え込むのを原則と思った方が良いだろう。

なぜならば、子供にはまだ考える力が育っていないからだ。

どこかの本かサイトかに書いてあった。「子供は犬か猿に毛の生えた程度のものと思った方がよい。」

つまり「考える」なんてことを期待するだけムダという論法である。

斎藤先生と能楽で言う「まず型に入れよ」、である。

一から十まで、とにかく叩きこむと、それはそれはとても早く上達するお子さんもいるに違いない。

まずはそれで良い、というのが伝統的な考え方である。

ただ、その際「なぜそうなるのか」という理由を時々一言添えると、十年後に役立つ。これが、考える人に成長させる大事な要素ではないだろうか。

斎藤先生曰く「高校生には7割教えて、3割考えさせる。大学生はその逆で、3割教えて、あとは自分でやってこい」(斎藤秀雄講義録から)

それを読んでから、かれこれ10年くらい実践を試みているが、私のところに縁のある高校生は、3割考える力があるとは言い難く、大学生も7割考えさせたらトンデモナイものを考えてくるから、なかなかこうはいかないのが実情だ。

多分、子供の時、上述した「理由」を聞かされていないからではないかと推測するのである。

自立した音楽人を養成するには、やはり最終的には考える力を持ってもらわなければならない。そのためには、その「理由の一言」がとても重要ではないか、と思う次第である。

ちゃんと教える、とは一つ、そこにあると思っている。

もう一つ、ちゃんと「基礎」を教える、というのがある。これまた当然のようでいて、誰も「これが基礎です」と明言した訳ではないから、人によって示す範囲は若干異なって当たり前だ。

筆者の考える「基礎」は「梅鶯林書」に書いてあることなのだが、「林の巻」がまだ出版されていないので、全て公開した訳ではないし、シェフチーク等で公開されていることを重ねて主張することもあまりしないつもりなので、これで全てOKではないのだが、おおまかにはこのあたりだろうと思っている。

技術的な基礎については、また別の機会に述べることとしよう。





「通りゃんせ信号」の相棒は

2012-09-03 22:37:09 | アート・文化

最初に「通りゃんせ信号」を見たのは1974年、宮崎市の「デパート前」。驚きをもって受け入れたものだが、あっという間に(申し訳ないけれど)いやになった。音楽としては無表情の極致である。

飽きずに聞くために、頭の中で伴奏を鳴らすのだが、これがまた気に入らない。一回くらいは良いのだが、そう何種類も作れる訳はなく、そのうち同じ伴奏になって、自分が飽きてくる。ただの信号音の方がずっと良い。

さて、「通りゃんせ」の相棒は「故郷の空」。

これがまた、どういう訳か音程の外れた信号の多かったこと! そして、これまた頭の中で伴奏をつけるのだが、こちらはメロディーが気に入らない。これは、本来スコッチナー・リズム(と言ったっけな?)、通常の付点とはやや違い、長短が短長になったりという、少ッチ面白いリズムなのだ。

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このリズムでないと、この曲は面白くない。ましてや「夕空晴れて、秋風吹き」などという人畜無害の歌詞なんて、もってのほか。

と思っているものだから、これを強制的に聞かされる信号は、大変苦痛なのである。

ところが、大抵の方は全く無関心で、私としては大変うらやましい。

が、ちょっと待った、という事態が、先日の飲み会で起こった。

「あのメロディーは何なの?」

「○○に似ているよね。」

え゛っ。「夕空晴れて、て知らないの?」

「そんな歌詞ついているんだ」

は? スコットランド民謡だから知らなくてもいいかもしれないけれど、あんたの生まれはヒコットランド(山口県下関市彦島の別名)だろ? スコッチ飲むだけじゃなくて民謡にもスコッチ(二度目は受けない)関心をもってくれよ。

しかもその飲み会は音楽関係者ばかりだったのに、知っているのは私だけ。これは問題だとばかりに続ける。

「本当は麦畑の歌だけどね。だから原曲に一番近いのはドリフターズの誰かさんと誰かさん。」

「あ、それは知ってる。」

ほら、やっぱり知ってるじゃない。しかし、一番を最後まで歌えたのはまたもや私だけ。おかしいなぁ。私は「8時だヨ」はほとんど見ていないのに・・・。

それにしても「故郷の空」がこれほどにまで忘れられているとは驚きだった。

ウィキで調べると、「故郷の空」は戦後まで歌われた、と書いてある。そうか、私の子供時代はまだ「戦後」だったのか。戦後って長いなぁ。

さらに「通りゃんせ信号」とその相棒は、現在徐々に「カッコー信号」とその相棒にとって代わっているそうで、そのうち消えるそうだ。

消えるとわかると、急にいとおしくなったりする。今度「通りゃんせ信号」や「故郷の空信号」に出会ったら、歌いながら渡ってみるか・・・。