前述の周年誌を読むと、メンバーに接するプロの態度も時代が感じられる。
1980年台頃までだろうか、メンバーが揃っていない、とか、出来が悪すぎる、と言って練習をやめてしまう指揮者の多いこと! 和気藹々とやっているから、いつまでたっても上達しないので、一つ厳しくしてください、とお願いするオケ代表の人もかつてはいたようで、それを受けて指揮者も、などという記述もあった。これを今やると、二度とお呼びがかからない可能性が強い。
とは言え、実は、今でも少しは存在している。厳しくしごいてもらっている、と勘違いしている人がまだいるからだろう。厳しくするのは、場合によっては笑顔でもできる。まして、練習を中断する必然性はない。
これを読んで思ったのは、アマオケのレベルだけでなく、指揮者のレベルも上がったのだな、ということ。
そして、世紀の変わり目あたりから、アマオケといえども、かなり立派な音を出すようになってくるのが見てとれる。小さい時から楽器を練習して、しかしプロになる訳ではなく、という人達が増えるのがこの頃から。
同時に、プロとアマの明確な差が徐々になくなっていく。そして、演奏はやはり良い物を目指そうという動きが強くなる傾向が出てきたようだ。昔の葛藤が、減ってきている。無くなった訳ではないが、時々できるようになった名演の経験から「良い演奏をすることが結局は自分たちも楽しい」という考え方が浸透していく時代と言えるだろう。
もう一つ、より重要なのは、この世紀の変わり目頃、演奏会場に行くことが特別なことではなくなり、(そこまでだったら良いことなのだが)魅力も相対的に喪失してしまう時代である。魅力自体はあまり変化していないのだが、他のエンターテイメントや外食産業が、それを上回る魅力を発揮し始めたのである。
マスコミの支援の薄らぎも読みとれた。地元の新聞が1980年台、十数回にわたって、このオーケストラをとりまく状況の連載をしていたのが再掲されていた。同じく地元のテレビ局が、具体的にスポンサーとしてお金を出していたことも書かれていた。
これは、現在とても難しくなっているのではないだろうか。
そういう時代はとうに終わった、と思われる向きもあろう。
だが、省みて昭和30年台、プロのオーケストラが次々と作られたのはなぜか。あれは、国を挙げて「これからは文化だ」と言っていた流れからなのだ。その流れが、地方においてはアマチュア・オーケストラを作ったのである。
現在の日本、荒廃が目につくという意味では、戦後の日本と重なるところがある。
だから思う。「これからは文化だ!」と叫ばなければならないのではないだろうか。
現に韓国はそれを国家政策でやっているから、日本は韓ドラに席巻されている。
かつての日本も、アメリカの圧倒的な物量文化に気おされて、やはり文化だと思ったはずだ。
これからの文化、何もオーケストラでなくても良い。が、これだけの大人数が参加できて、世界各国で共通の言葉を持つ、というのは、やはり頼もしい媒体だと言えるだろう。
そして、良い演奏ができた場の持つ独特の空気、これは他の何物にも代えがたい貴重なもの。一回でも多く、その場を作る努力をすることが音楽をするものの使命だと思う。プロアマを問わず、その点は大事に守っていきたいものである。