ヤン・クレンツというポーランドの指揮者が今秋亡くなった。
私にとっては素晴らしい指揮者だったのだが、周囲の人間が大して注目しなかったので、ずっと心の中で生きていた方だった。
まだ学生だったのだけど、読売日本交響楽団のエキストラ奏者に呼んでもらえた時期の話である。
当時読響では「名曲シリーズ」という定期的公演があり、そこに呼ばれ始めた頃、事務局の間違いでダブルブッキングされたことがある。(1982年の10月だったような記憶がある。もしくは1983年。)
席に座ろうとしたら別の人が座っていて、どういうことだろうと思ったら、結局私を間違って呼んでしまった結果、となった。
「ゴメーン」と言われて、代わりにすぐ頼まれたのが、翌月の定期演奏会だった。
毎月の自主公演は当時「定期」と「名曲」の二本立てだったが、その後定期演奏会に呼ばれたのは一回しかないことを考えると、定期の方のエキストラが格上、という扱いだったのだろうと思う。
それで乗れた演奏会がヤン・クレンツ指揮のもの。これにはおまけがあって、大阪公演も翌日に付いていた。初めて行った(当時の)大阪フェスティバルホールでも演奏した。
しかも、エキストラはコンチェルトの時は降り番なので、コンチェルトはゲネプロの時に客席で聴ける。(当時、N響のみ、コンチェルト時に楽員が降り番で、大抵のオケはエキストラが降り番だった。)
さらに、ソリストは当時ものすごい話題になったイヴリー・ギトリス。この3年前までは、なぜか日本では全く無名のギトリス。それが50代で名人芸を披露するヴァイオリニストとして日本デビューした時は衝撃だった。レコードをあまり買わない私でも数枚買ったくらいだし、演奏会にもいくつか行った。
そのギトリスが、世にも珍しいモーツァルトの5番を弾いてくれたのは二度と忘れない。吉田秀和風に表現するなら「一音めをノンビブラートでデクレッシェンドし、2音めをモルトビブラートでクレッシェンドする演奏を、私はほかに聞いたことがない。」
正直言って、できれば別の曲を聞きたかったが、それは贅沢というものだ。
さて、クレンツである。
曲はバルトークの《管弦楽のための協奏曲》、いわゆるオケコン。
これが、無駄がなくてすっきり明快な音楽にしあがって、私はとても感激していた。
ところが、読響の好みには合わないのか、ほかの楽員の皆様は淡々としたものだった(ように思えた)。当時の読響はフリューベック・デ・ブルゴスのとかハインツ・レークナーのようにオケを疲労させる指揮者だと燃え上がる団体だった(ような気がする)。
そうか、みなさんあまり好みでないのか、と私は一人胸の奥にしまいこまれ、時々思い出しては「良かったなあ」と思いにふける対象になっていた。
アンコール曲はモーツァルトの交響曲第39番のメヌエット。これを最初だけ指揮すると、途中で退場してしまい、オケだけが演奏を続けるのである。
この演奏がまた何とも生き生きとしていて「粋だなぁ」と思ってしまう。(指揮者がいなくなるスタイルは何度か真似させてもらった。)
クレンツとギトリス、どちらも一期一会だが、私の心に深く刻まれた経験である。
FM番組でクレンツの逝去を知って、感慨にふけっていた時に、ギトリスの訃報にも接した。
御両名の冥福を祈ります。