斎藤秀雄のことを書いている本を読むと、インタビュー記事で「音程矯正室送り」にさせられたチェリスト達の話が出てくる。
巨大な機械が置いてあって、その前でチェロを弾く、というような話だった。
送られた人を正確には覚えていないけれど、岩崎さんあたりの世代で、その後一流のチェリストとして活躍している人だったはず。
という昔話だと思っていたが、私の世代はその昔話の世代だったということが最近判明した。
先日、桐朋学園大学を卒業した人達と一緒に演奏する機会があったのだが、彼らによると、その機械は1980年代までは置いてあったそうだ。
403という合奏室の隣の小部屋に置いてあり、その機械の丸い部品が、正しい音程の時は回り続け、外れると止まる…
いやはや何とも、かわいらしいというか恐ろしいというか、後のチューナーと比べて非常に人間的な機械だ。
「チューナーより優れているのは重音でもキャッチしたんだよね。」
「あれを電機メーカーに特注して作らせたっていうんだから(斎藤秀雄先生は)すごいよね。」
現在50代以上の卒業生は知っていて、40代以下の卒業生は知らない、ということもわかった。
多分、日本の音楽技術向上に一役かった音程矯正器?!
博物館に展示してほしい逸品だが、話の感じだと、とうに処分されているのだろうな。ちょっと残念。
巨大な機械が置いてあって、その前でチェロを弾く、というような話だった。
送られた人を正確には覚えていないけれど、岩崎さんあたりの世代で、その後一流のチェリストとして活躍している人だったはず。
という昔話だと思っていたが、私の世代はその昔話の世代だったということが最近判明した。
先日、桐朋学園大学を卒業した人達と一緒に演奏する機会があったのだが、彼らによると、その機械は1980年代までは置いてあったそうだ。
403という合奏室の隣の小部屋に置いてあり、その機械の丸い部品が、正しい音程の時は回り続け、外れると止まる…
いやはや何とも、かわいらしいというか恐ろしいというか、後のチューナーと比べて非常に人間的な機械だ。
「チューナーより優れているのは重音でもキャッチしたんだよね。」
「あれを電機メーカーに特注して作らせたっていうんだから(斎藤秀雄先生は)すごいよね。」
現在50代以上の卒業生は知っていて、40代以下の卒業生は知らない、ということもわかった。
多分、日本の音楽技術向上に一役かった音程矯正器?!
博物館に展示してほしい逸品だが、話の感じだと、とうに処分されているのだろうな。ちょっと残念。