井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

松浦高校創立50周年記念式典(3)

2011-11-19 17:36:06 | オーケストラ

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本番前の心配は杞憂に終わった。(指揮者が少し寝ぼけ顔なのが恥ずかしい。でも一番アガッテいたのはソリストだった。高校生のプレッシャーに押されたのである。)

放送部の撮影なのだが、放送部は女子ばかりだった。女子高生目線を感じるのは気のせいか。(オーケストラの女性がコンミスも含めてほとんど写っていないんだけど)

カメラワークはご愛敬としても、高校生の真摯なまなざしは、ここからも充分伺える。微動だにしない一群は圧倒的だった。蝶ネクタイは先生方であるが、こちらも真剣。

ここまで一年半の指導にあたった中武先生、練習ピアニストとしてつきあってくれた伊藤康博さん等の苦労が報われた瞬間である。(島原高校、九州大学混声合唱団、と、ずっと合唱を続けていた数学の野口先生という方もいらして、心強いスタッフだった。)

終ってからの段取りは、いろいろ打ち合わせと違ってしまい、あまりかっこのよいものではないが、式典としてスタンディング・オーベーションというのは、まず無いこと。最後に握手をしたのが現在の北浦校長先生で、この企画の仕掛け人である。

発端は福島県郡山市の中学生が第九をやっている新聞記事を見たことだそうだ。中学生に出来るなら高校生にも、と単純に考えたらしい。ソリストもオケも指揮者も必要、などということには頭が回らなかったとのこと。なので当初から「無謀な」と言われ続ける。吹奏楽部員からも「絶対無理ばい」と言われるのを押しきるのも大変だったはずだ。

通常、周年の記念式典は有名人の講演会が多い。これはお金が動く割には、生徒は寝ていたりして、何も生徒には残らない。だから生徒を主役にした式典を、という校長先生の強い願いがあり、それが結局は成功を導いた。

この高校には、なぎなたの世界チャンピオンという先生もいらっしゃるのだが「子供には音楽をさせようと思いました」と、演奏後に語ってくれたほどである。

私としても、「柔らかな翼にのって、全ての人間は兄弟になる」というドイツ語が、ストレートに心に響いてきたのは初めてかもしれない。合唱の高校生もオーケストラも私も兄弟になれたような気がしたのだ。クレッシェンドはできなかったけれど、魂の叫びが聞こえてきたのである。これこそが音楽で一番大切なことだろう。

さらに、この一週間後、私も生誕50周年を迎えた。とても因縁を感じる忘れられない本番であった。




松浦高校創立50周年記念式典(2)

2011-11-18 22:21:46 | オーケストラ

本番の四日前になって合唱側は急激に「気迫」が漲りだした。音楽の中武先生曰く、特に男子生徒が「これは何だか面白い」と自覚し始めたとのこと。この気合いの充実ぶりに私もびっくりだが、本人達もびっくりしているような感じだ。今まで見たことのない自分達がいる!

合唱が充実してくるとオーケストラの出来が気になってくる。オーケストラとは一度も練習していないし、前日になっても全員は揃わないという連絡も入ってきた。全員揃うのは本番の日のみなのだ。昨年の「障害者芸術祭」もそうだった。前日に約束したことを、当日のみの演奏者が守るにいたらず、最初の方に乱れが生じたことが思い返される。

それにオーケストラ側に、この合唱の「気迫」は希薄、と思われる。かなりの盛り上がりを見せ始めた高校生諸君に水を指すようではまずい。

窮余の一策、前日はまずオーケストラの練習時間をとり、それを高校生に聞いておいてもらって、オーケストラ・サウンドに馴染んでもらうことにした。

そして前日(10月29日)である。

練習の1時間前、会場の体育館にはすでに高校生全員が揃い、オーケストラを待ち受けていた。三々五々、オーケストラのメンバーが集まり、14時にリハーサル開始。ピンマイクを私が使って、会場にいる高校生に向かって解説つきのリハである。「第1楽章の断片です」「ここで合唱がはいります」云々。

体育館というのは,場所にもよるが,フロアで音を出すとかなり良い音になる場合が多い。一方,壁や天井が高いため,反射音がかなりの時間差で聞こえてくるから,アンサンブルは難しい時もある。この音響状態に慣れるのに少々時間を必要としたが,20分くらい経った頃には,かなり良いサウンドに変化しており,終わった時には高校生から感嘆の声がもれた。

いやはや,日本のオーケストラというのは第九に関してはプロもアマもすばらしい。たったこれだけの練習で心配が吹き飛ぶほど良い演奏になってしまったのだから。こうなると,再び合唱が心配になってきた。聞き惚れて歌えなくなることはよくある。だからと言って聞かないで歌ってもうまくはいかない。とにかくここで慣れてもらわなければ,本番には間に合わないのだ。あらかじめ,予定の時間より延長しても大丈夫なように了解はとっていた。

ひな段に全校生徒と全教職員が乗る。ソリストも指揮者の前に座った。第2テーマ "Seid umschlungen ・・・" の部分から始める。やはり耳馴染みがないため、なかなか出来るようにはなりにくいところだからである。

トロンボーンの一拍先導の後に出る男声「ザーイト・ウームシュルンゲン、ミーリーオーネン」

ばかでかい声が体育館に響き渡った。

続く大和ナデシコ集団の女声はどうか? 「ザーイト・ウームシュルンゲン・・・」

こちらもバッチリだ。バッチリどころか、今までを上回る出来。オーケストラも演奏しながら驚いている。ソリスト達も、180度向きを変えて合唱団を凝視しだした。

そのまま二重フガートに突入、「・・・リーベール・ファーテール・ヴォーネーン」のフェルマータまで一気に進んだ。

演奏を止めて私は言った。「すばらしい・・・」

その後は立ち往生。言葉にならない。ついに涙が出てきてしまった。

時間を延長する必要もなく、リハーサルは終った。もう本番が終ったような気分、とソリスト共々語り合った次第であった。その晩は、長崎県高校校長会の会長先生と昔の松浦高校の校長先生とお会いしたのだが、このリハーサルをご存じないから、とても違和感を感じたものだ。

そして本番の日(10月30日)。

あいにくの雨、そして松浦市のお祭り「水軍祭り」とも重なり、体育館の外からは演歌も聞こえてくるのだが、聴衆が予定よりずっと多かった。生徒達が前日になって保護者に動員をかけたらしい。

ソリストでもある中武先生は、風邪でひどい咳だ。しかも、生徒達に指示を出したり、来客の相手をしたりで、ちょこちょこ動き回っている。本番の声、大丈夫か、と、これも心配の種。

生徒達も、発声練習なしで大丈夫?

(さらに続く)


松浦高校創立50周年記念式典(1)

2011-11-16 23:38:18 | オーケストラ

長崎県の北部と佐賀県の北部を、昔は「松浦」と呼んでいたそうだ。魏志倭人伝に出てくる「末廬國」との関係も取りざたされる、由緒ある地名である。

佐賀県の伊万里市の隣に長崎県の松浦市がある。その昔の松浦党(海賊?)の本拠地。先月、元寇の沈没船が引き上げられた鷹島も近い。いろいろと入り組んだ地形で、風光明媚な土地柄だ。

そこに長崎県立松浦高等学校がある。そこに赴任した音楽の中武先生はかれこれ十年以上のお付き合いのあるテノール歌手だが、その先生から以下のお話をいただいたのは去年のこと。曰く、創立50周年の式典でベートーヴェンの第九の4楽章を全校生徒で歌うのだけれど、ついては、その指揮をしてもらえないか、とのこと。生徒さんは一年半かけて練習するという。

ちょうど「長崎県障害者芸術祭」の一環として、第九の4楽章の指揮をしていた頃のことだ。障害者用のパートを作って、第九の合唱に参加させる企画である。それでも何とか成功させたのだから、健常者のみの合唱ならば、そう大変なこともなかろう、とそれ以上深くも考えず、引き受けたのであった。

加えて、ここでも書いた「平均年齢72才の合唱団」、これも最終的にはうまくいったのだから、高校生ならば全く大丈夫、と考えて意気揚々と松浦高校を訪ねたのが10月初旬。そこで私の考えが全く間違っていたのを思い知らされた。

最初の練習でマイッタのは、指揮の合図で歌うということが全くできなかったこと。

それまで一年半は、カラオケCDで練習していたのだそうだ。(東京フィルハーモニーが演奏した第九のカラオケを使っていた。)CDだとタイミングが合っていてもいなくても関係なしに音楽は進むからなぁ。

特に女の子達が、恥ずかしさもあってか、なかなか声が出なかった。一方、男声は蛮声だが、まぁとにかく大きな声の出ること。これは頼もしかった。

が、指揮に合わせてもらうことは絶対必要、これには回数をこなして、とにかくできるようになってもらわなければならない。十日後にまた訪れることにした。

二回目の練習、女の子達は声が出るようになった。なのに今度は男声が元気ない。指揮に合わせることは少しできるようになってきたが、今度は、見ていないと声を出さない。女声の入りの合図を女声方向に出すと、男声は歌うのを止めてしまう。音符書いてあるでしょ、休符じゃないんですけれど・・・。

三回目の練習は本番の四日前。式典の会場設営が進み、本番で使うヒナ段もできあがっていた。そこに生徒達が立つ。本番のイメージにグッと近づいてきたのを生徒達も肌で感じたようだ。声は俄然出るようになり、合唱が一つにまとまり始めた。

しかし、例えばクレッシェンドはほとんどできない。音が上に上がった途端にフォルテになるのである。この期に及んで考えれば、これはこれで良しとする音楽作りにしなければならない。クレッシェンドが音楽の本質ではないのだから。

オーケストラ(佐世保市民管弦楽団)にある程度、音楽を作ってもらうことだろうな、と思った。が、オーケストラとは一回も練習をしていないのである。オーケストラ側の独自の練習はしているのだが、全メンバーが集まるのは本番前日のみだ。ちょっとばかり不安になってきたが・・・。

(次に続く)



続々・「感動」の定量評価

2011-11-13 23:51:18 | 学問

それで、現状は・・・

 このような領域をやりたいと思っても看板をあげて医学部で研究している人は少ないと思います。

私も間接的な計測と統計評価は昔やったことがあります。

え?そうですか?!

血液中のアドレナリンを計測したりもしましたが、極めてわずかな変化でした。

残念。

脳外科は脳の形態的病気を切除するのが仕事ですので、計測・診断には興味がないかもしれません。

神経内科は神経の変性疾患や末梢神経が専門の人が多いと思います。

心療内科は心の病気ですし、精神科 が一番良いのかもしれませんが、統合失調症や鬱病などが専門なので、健常者の研究とは違うと思います。

心理学は文系に近い世界ですので、計測などではなく会話や行動の中から診断を進めていく作業が大半です。

 となると、医学基礎で脳解剖や大脳生理学の研究をしている先生が一番近い研究者かもしれません。ところがここでは、根本的な問題解決のため対象が動物であることが大半です。

動物・・・

あまり前向きのお話しが出来なくて残念なのですが現状はこんな状況です。

はぁ・・・

でもやってみることは大事ですので、脳波とポリグラフなら結果も出やすいのではないでしょ うか。

脳波とウソ発見器ですね。

後の解析と人がそれをどう読むかが大事かもしれません。心電図だってアイントーフェンがノーベル賞をとった時でも心電図診断理論はないに等しい状態でした。今なら内科医で心電図を読めない人はほとんどいません。(基本的にはパターンマッチングで読めますが、 電磁気学と生理学的知識がないと深読みが出来ないのは一緒です)

つまり測定すれば結果が出る、という単純なものではないってことですね。

 よく学会で目にするのは計算をさせたときの変化を計測している研究ですね。ただ暗算に近い状態なので、そろばんの経験者と未経験者では使う脳の場所も違うでしょうから、評価しにくいだろうと思います。

こんな学会もあるようです。
日本心理学会、日本感情心理学会、日本健康心理学会

音楽のこと、扱ってくれるかなぁ?

取り急ぎ回答まで

「取り急ぎ」で、ここまで書いてくれる旧友に対して本当に感謝である。

<ちなみに、彼と同じクラスだった中1の頃、彼は社会科の成績がクラスで一番だった。他の成績も悪くはなかったけれど、私の方が良かったのである。だから、中学までの成績は、もし悪くても大して気にしないで良い、というのが私の持論。ただし、高校では夜も寝ずに昼間は寝てがんばらなくてはならない。閑話休題。>

科学的医学的に測定をすれば定量評価できる、というものではないことがよくわかった。医学の見地がこのようなことならば、常に「不当な評価」と紙一重の世界でしのぎをけずっている音楽コンクールや試験の類、これらの現状をそう悪者にはできない。人間の営みとして、よくがんばっているとも言えそうだ。

定量評価にエネルギーを注ぐよりも、現況の「感覚的判断」の信頼性を高める努力の方が現実的だな、と思った。

が、もしこのようなことに興味をもたれた医学界の方、あるいはそれに類する研究者の方、いらっしゃったら、ぜひ私までお声掛けをお願いします。




メンデルスゾーン : ピアノ三重奏曲第1番

2011-11-13 20:47:12 | 音楽

 バイオリン協奏曲と言えばメンデルスゾーンかチャイコフスキー、この2曲の演奏頻度は断然高い。双璧である。
 ピアノ三重奏と言えばメンデルスゾーンの第1番、これはダントツ1位だろう。この曲をご存知無かった方は幸いである。今宵はそれを知ることができるのだから。

 さて、メンデルスゾーンはピアノの名手だったので、ピアノパートはかなりの技巧が要求される。弦楽器奏者からすると申し訳ないくらいに要求される技術の差がある。例えば冒頭、チェロがレの音を4拍伸ばす間にピアノは16個の音符を弾かなければならないのだ。
 でも本日のピアニスト藤井さんは、それをサラッとやってのける、やはり名手である。ご期待いただきたい。

第1楽章

 NHK「みんなのうた」が1971年に「小さな木の実」という大ヒット曲を出した。ビゼーの曲を大胆に改編したものだ。
 気をよくしたNHKは。その数年後二匹目のドジョウを狙った。この第1楽章を基にした「こわれそうな微笑」である。
 「みんなのうた」としては、そこそこのヒット作になったが、「小さな木の実」とは比較にならない。(でもいい曲だったな…)
 そのような名旋律が含まれる楽章である。ご堪能頂きたい。

第2楽章

 ABA三部形式で、下から上に進む主題の「主要部A」と、上から下に下りる主題の「中間部B」で出来ている。これがまた幸福感一杯、至福の時間を過ごせるようになっている。

 ちなみにメンデルスゾーンのファーストネームはフェリックス(幸福)という。

第3楽章

 メンデルスゾーンお得意(で演奏者泣かせ)のスケルツォ楽章。

 メンデルスゾーンは、小さな音でちょこまか動く音楽が大好きなようで、17才の時に作った「真夏の夜の夢」序曲は、まさにそのような音楽で始まる。これはオーケストラの入団試験に課せられることもあるほど難しい。

 でも聴く分には楽しい。

第4楽章

 最初の主題は、いかにもドイツ人らしいリズムが使われている。シューベルトの「ロザムンデ」やシューマンの「流浪の民」などに類型が見られる。

 しかし、流麗なメロディーに加え、最後の盛り上げ方は他と一線を画するのだ。この「突っ走る快感」はモーツァルトから隔世遺伝しており、時空を超えてサン=サーンスに受け継がれた感がある。ブラームス君が受け継いでくれれば世の中変わったろうに、と思うのは筆者だけか?

 とにかく、このエンディングをお楽しみに。