例えば「キラキラ星」を弾くのに、特段の表情を要求されることはない。しかし、ヴィヴァルディの協奏曲、ダンクラのエア・バリエなどを弾くようになると、さすがに考えさせられる。このあたりで、なぜか大変豊かな表情で弾く子供と「キラキラ星」から一貫した態度で弾く子供に分かれてくるからだ。
豊かな表情も曲者で、「大人に気に入られるにはこうすれば良い」との発想で、感じたふりをしている子供の演奏もある。夏休みの宿題の代名詞である「読書感想文」で見られるのと同じ現象だ。「読書乾燥文」と揶揄した人がいたが、当人は全く感じていないものの、大人にこういうことを言ったり書いたりすると「受ける」ことを素早く読み取る能力の持ち主は結構いるものだ。でも、その嘘つき状態は、いつか終焉の時がある。その時、本当の自分がわからなくて右往左往してしまう。なので、感じたふりの演奏よりは無表情でも正確な演奏の方がましだと筆者は思う。
無表情の原因にヴィブラートがあるのではないか、という考え方にも至りやすい。確かに、このあたりで、かけられる子供とかけられない子供がいる。かけられる子供は1年目からかけられる。これが一見「歌って」聞こえるのも確かだ。でも、よく観察すると、そうでもないことがわかるケースが大半である。
筆者自身は第4ポジションを使えるようになってからヴィブラートを教えることにしている。それまではノン・ヴィブラートで構わない。それ以前にかけられるようになった子供はそのままにしておく。敢えて禁止するものでもない。(ちなみに筆者は大学で初めてヴィブラートのかけ方を教わった。ヴァイオリン界とはそのようなところだ。)
表情は、ヴィブラートだけで表現されるものではない。
筆者自身、大学に入って早々、田中千香士先生から表情の乏しさを指摘された。その時もヴィブラートに原因があるかもしれないということから「腕のヴィブラート」を習った。しかしその後に一言「でも、クラリネットはノン・ヴィブラートだよなあ」
救いになったのは、大学4年から師事したM先生の言葉。
「何にも言われないでも、歌っちゃう人っているのね。生まれつきできちゃう人ね。でも、前もって計算して準備して演奏すると、それを上回る説得力を持つことができるの。」
その準備の方法を必死になって吸収しようと努めた。でもそれには20代の時間全てが必要だった。筆者にとってはそのくらい大変なことだったのである。だから子供の無表情は当たり前田のクラッカー。
なぜそんなに表情の獲得が大変か?
それは、私たちが日本人だから、という一点に収れんされる。
演奏するのは西洋の曲なので、西洋人の考え方で構築しないと、妙なものができあがる。そんなこと簡単にできる訳がない。
これを解決するには、表面的で構わないから、とにかく西洋流の型を理解することだろう。そのポイントは「発音の仕方」と「リズム」。
発音は、はっきりと。基本的にはアタックの後でふくらまないこと。
リズムは以前に書いた「拍子と緩急アクセント」のことと同じである。
場合によっては、すぐできるかもしれないし、気が遠くなるほどの時間がいるかもしれない。これは気長にやっていただくしかないと思う。
一方で、全く別のアプローチもある。日本の曲をやるのである。「あんたがたどこさ」とか「こもりうた」みたいなものは、全て感性で処理できるはずだ。意外と無表情にはならない演奏に自信を深めることもあるだろう。本当は、日本の曲をたくさんやって、技術を身につけてから、西洋の曲をやるのが、正しい方法だと思うのだが、まだまだ日本の曲の教材がないのである。「白い本」の「春の海」もとばされるのが通常だし・・・。
ちなみに井財野の曲は全て日本語で考えられているので、みなさん感性で弾けます。教材曲も準備中です。早く作らないとね・・・。