井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

追悼・玉木宏樹氏の思い出(3)「ダダドゥー」「チガウネルワイゼン」

2012-01-28 10:07:30 | 音楽

何のかんの言いながらお世話になったウィキペディア、当初は何気なく読み過ごしていたところに、先ほどハタと気づいて唖然としたことがある。玉木氏の略歴である。(一部表記を訂正した)

1965年、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。在学中から東京交響楽団に所属して演奏家としての活動を開始。また、大学の先輩である山本直純に作曲と指揮を学んだ。

卒業後、楽団「アルキカルテット」を主宰。革新的な演奏で注目を浴びたが、同時に批判的な意見も少なくなかった。

その昔、NHKで「歌はともだち」という番組があって毎回観ていた。その中で変な気持ち悪いエレキヴァイオリンを弾く兄ちゃんがいた回があった。御丁寧にも二度も出演されたので、その人達の演奏したうちの一曲は覚えてしまった。

ダダーダダーダダードゥー、ダダーダダーダダードゥー

と、歌いながら弾くのであった。タイトルは「ダダドゥー」、演奏者は「アルキ」、全て変な名前だと思っていたが・・・えっ、玉木さん?

思い出の中の「アルキカルテット」は長髪のいわゆるヒッピースタイル、細身の兄ちゃん。私の知っている玉木氏は小太りで髪の毛少なめの方。外見は全く違うのだが、両方とも「おしゃべりヴァイオリン」を弾くから、やはり同一人物なのだろう。シェー。

ツイッターもギリギリまで、いや死んでからもつぶやいていらっしゃった。まいったね。いやはや、どこまでも非凡な方なのだ。

最後に、芸大に伝わるジョーク、だと思っていたが、実は玉木氏の創意に基づくものだった、と後で知ることになった瞬間芸を披露する。

最近はちょっと恥ずかしくなってきて、ほとんど弾かないので、昔の映像で失礼する。タイトルは知らないので、勝手に「チガウネルワイゼン」と名付けている。関西に行くと「チゴウテルワイナー」となるらしいが。

チガウネルワイゼン




追悼・玉木宏樹氏の思い出(2)「森のくまさん」「ウルトラマン」

2012-01-27 22:05:23 | 音楽

玉木氏の著書はウィキによると5冊、

  • 猛毒! クラシック入門
  • 革命的音階練習
  • 音の後進国日本 純正律のすすめ
  • 純正律は世界を救う
  • 贋作・盗作音楽夜話

冊数といい文体といい師匠の山本直純氏と似ていて、私の好みにもとても合う。

その中のどれかに前記事で少し紹介した「森のくまさん」に関する文章があった。うろ覚えで申し訳ないが、以下のような話だ。

NHKの「みんなのうた」から編曲を頼まれた時、原曲をさんざん探したのだがわからずに、当初は「アメリカ民謡」、あるいは「作曲者不詳」として編曲し、演奏してもらって放送していた。

ところが数年して著作権協会にBナントカという人が現れて、あれは自分の作曲だと言う。

かけつけて譜面を見たら、音楽の素養が全く感じられない。全て4分音符で書かれ、シャープ等の臨時記号があるべきところについていない。

これはインチキだ、と玉木氏は騒いだらしいが、それ以上に証明する手立てがなく、著作権協会は現在に至るまで著作権料をB氏に払い続けているという。

以来、教科書にもB氏の名前は載るようになった。

これが本当なら稀代の詐欺師だと思う。そして十中八九本当だろう。だって「みんなのうた」以前からずっと歌われていた歌なのだから。こういう方は音楽の敵である。

さて、ウィキは頼りないみたいなことを書きながら、結構今回参考にさせてもらった。書いた方に感謝である。

作曲されたピアノ曲に

・ピアノのための練習用組曲「山ノ手線」

・バリカン星人のあいさつ

・なくした5円玉の踊り

とあり、これは笑えた。最後のはベートーヴェン「なくした小銭への怒り」のパロディだろう。

そして玉木氏は「ウルトラマン」の音楽の下請けもやっていたのだ。

1980年代後半、ウルトラマンが再加熱して、昔の音楽の復刻版が録音されていった。その仕事でお見かけしたのだが、それこそバルタン星人だかダダだか、何かが動く音、の収録があった。

スネアドラムのワイヤブラシの音が「違う違う」とのたまわっていたのだ。

ドラマーが困り果てて「あの頃、ヘッド(叩かれる皮面)は犬皮でしたからねぇ」と言っていたのが忘れられない。

皆さん、ドラムの音も時代で変わるのですよ!

長くなったので、続きはまた次回。


追悼・玉木宏樹氏の思い出(1)「さすらいのバイオリン」「レモン色の霧よ」

2012-01-25 22:38:42 | 音楽

前々回の記事を書いて、友人が「この間亡くなった玉木さんだよね」と教えてくれるまで、訃報を知らずにいた。

「大江戸捜査網」の音楽を知っている人は多いが、その作曲者の名前を知る人は少ない。私が玉木氏の名前を覚えたのは小学校高学年の頃だったような気がする。だから私にとっては有名人、声を大にして功績を称えねばならないような気分になってしまう。

最初は「NHKみんなのうた」で放送された「森のくまさん」の編曲者として、次に「さすらいのバイオリン」の作曲者として。このあたりの記述がウィキには抜けているから困ったものだ。

この歌が放送された頃、すでにバイオリン少年だったから、ヴァイオリンの歌には鋭く反応した。前奏が「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の変形なのだ(出版されているピアノ伴奏譜は全く違う平凡な前奏がついているが)。爾来、現在にいたるまで「アイネク」を演奏する度に、この前奏が頭をよぎる。影響などというレベルではなく「刷り込み」である。

次の出会いは、NHK全国学校音楽コンクールの中学生の部の課題曲「レモン色の霧よ」。これはワルツ、課題曲でワルツが出たことはなかったと思うが、とても品のいい佳曲であった。

ところが何とししたことか、この年には私は高校生になっており、この歌は歌えなかったのだ。昭和37年から40年生まれの後輩共にその恩恵はかっさらわれてしまった。

でも後輩思いの良き先輩のはずの私たち数名は、夏休みの補習授業を抜け出し、長崎市からバスで2時間かけ、佐世保市民会館までコンクールの応援にかけつけた。応援の甲斐あって、わが母校は県大会で1位をとった。嬉しいのと(歌えなくて)悔しいのとがないまぜになった思い出である。

同じ頃、NHK朝の連続テレビ小説「おていちゃん」の音楽も流れていた。これもワルツ。

それから10年くらいして、仕事場でご本人にお目にかかることになる。

当時、玉木氏はNHK教育の「ゆかいなコンサート」のレギュラーだったから、結構変な人の印象は持っていたが、お会いしたら本当に変な人で、ますます尊敬してしまったのである。「ヴァイオリンは新しいのが一番」なんて、そうそう言えたものではない。

田中千香士先生の影響で、当時私はコンピューターヴァイオリンと呼ばれた楽器に凝っていた。皆さん1980年代当時でも数百万はする楽器を使うのが当たり前の仕事場に数十万円のヴァイオリンを持っていって眉をしかめられること度々だった。

変な人だったけれど、膨大な音楽の知識も持っていて、そこは誰もが認める尊敬のポイントである。山本直純さん直系の音楽家と言えるだろう。

思い出がどんどん出てくるし、玉木氏が声高らかに主張されていたことも色々と思いだされる。その中のいくつかは、玉木氏亡き今、残された者が代わって伝えなければならないかもしれない、との思いにも駆られたので、続きはまた次回。


続・ヴァイオリンの価値と音色

2012-01-23 23:50:43 | ヴァイオリン

早い時期から一流のものに触れる方が良い、と様々な状況において一般的に言われる。

楽器も同じで、早いうちから一級品の楽器で練習した方が良い、と言えそうな気がするが・・・。

ヴァイオリンの場合は、半分本当で半分間違い。

以前にも書いたが、ヴァイオリンには機械製品と手工品とある。これは出てくる音がまるで違う。だから初心者といえども手工品の方が良い。

問題は「半手工品」と呼ばれるものだが、これは作り方に差があって、中には手工品とほとんど変わらない音を持って価格が安いというものもあるから、その場合はお勧めになる。

では、初心者はなるべく良い楽器を持ってスタートした方が良いのか?

1/8未満の楽器は鈴木しか作っていないので選択の余地はない。ここで問題になる初心者は中学生以上を含む大人の場合だ。

初心者は弾きやすい楽器にしないと確実に上達が遅れる。だから数万円のものではなくて、やはり2,30万円程度の手工品、あるいは半手工品を手にいれていただきたいものだ。

それでは、初心者でもストラディバリを持つ方が上達が早いのか?

答は「否」・・・らしい。

そんな初心者はいないから、わからないと言えるが、数千万円クラスの楽器を初心者が使った例があるそうだ。結果は惨憺たるものだったようで、かえって全然弾けないままで終ったらしい。

期せずして、チェロの斎藤秀雄先生とヴァイオリンの江藤俊哉先生が同じことをおっしゃっている。

最初の楽器は「鳴れば」いいんです。音色は本人が作るものだから。

言い方を変えると、音色が作れる程度に鳴る楽器でないとダメ、ということにもなる。これが最初に述べた「半分本当で半分間違い」の論拠である。

ついでに、億単位の名器は何が違うか?

数年前、時価7億円!のグァルネリ・デル・ジェスを何分間か弾かせてもらった。私の持てる力はこの程度ですよ、というのをさらけ出された思いだった。

どんな細かい要求でも応じてくれる楽器だった。段々自分が出来の悪い生徒になってしまった気分とでも言おうか。「あの、すみません、ここまでしかやっていないんですけれど・・・」と、楽器に向かって言い訳している私がいた。

このような楽器に立ち向かうには、もっと勉強しておかないと、と思ったものだ。

つまり、実力に見合った楽器というのがあるということだ。楽器のグレードは本人のグレードに合わせて徐々に上げていくものなのである。その楽器の力の9割まで出せるようになった時が、楽器の買い替え時だ。残りの1割は、グレード上の楽器を手にして練習した時、初めて引き出せる能力で、その楽器を弾き続けるだけでは、その残り1割の能力を引き出すのはかなり難しい。

そして、楽器のグレードが上がると、弾けるようになる事項も多くなる。うまくなった、と言われることもある。

そう、楽器を買いかえると「うまくなった」と言われることが結構ある。

しかし、楽器を変える以上に音が変わるのは、人が変わった時。他の楽器も同じだか、楽器を変えるより弾く人を変えた方が音は変わる。

という次第で、良い音が出せる弾き手を目指してがんばりましょう!







ヴァイオリンの価値と音色

2012-01-19 23:49:34 | ヴァイオリン

正月早々、名器と新作のヴァイオリンの比較をする研究結果を伝える新聞記事が出た。同時に「芸能人の格付け」なんとやらで、毎年弦楽器の値段を当てさせる番組が続いているらしい。

確かに億もする楽器の音色とは、どんなものだろうと思うのも当然だ。専門家によるブラインド・テストも10年に1,2回くらいの割合で耳にするような気がする。

それこそ30年前、芸大ガダニーニ事件というのがあった。(私も東京地検まで行って事情聴取を受けた。いやはや大変だった。)

それを受けた形で、NHKがドキュメンタリー番組として(娯楽番組ではない!)、ヴァイオリンの音当てテストをやったことがある。当時のN響のコンマスあたりがテストされたのだが、結果は「当てられなかった」。

以下は人づてに聞いた話。

それを見ていた故・江藤俊哉先生「あれは当てられないよ。彼、ストラディバリ弾いたことないでしょ。弾いたことない人は当てられないよ。」

江藤先生の言葉となると説得力がある。

では、なぜオールド・ヴァイオリンは値段が高いのか。

これはひとえに、古くないと出ない音色があるからだ。この音色に絶大な価値がある。

もう一つ、ピアニッシモで弾いた時に、オールドは音の通りが良くて、遠くまで届く。

それ以外は、新作の方が性能が良いことが多い。

音が下から上までほぼ均等に出て、反応が良く、湿度の変化にも強い等、が「性能」である。

「ヴァイオリンは新しいのが一番いい!」と断言した玉木宏樹さんという大先輩もいらっしゃった。この方はご自身の著書で、スタジオ・ミュージシャンが高い金払ってオールドを持とうとするのを非常に批判的に見ていらした方だ。商業音楽のスタジオ録音の場合は、ほとんどの場合、音がかなり加工されるので、300万の楽器も3000万の楽器も、ほぼ同じ音になってしまう。

新作でも、作りの良いものはやはり良い音がする。短時間であれば、こちらが良いと思う人も大勢いるだろうと想像がつく。でも、例えば一晩の演奏会くらいの時間を聞いた時、あるいは弾いた時、オールドの音の方に軍配が上がる。

割と有名な日本人ヴァイオリニストで、日本人の新作を好んで演奏会で弾かれる方がいる。最初は、その方の上手さに耳がいくのだが、途中からどうしようもない欲求不満にかられる。「もっといい楽器で弾いて下さいよ!」と心の中で叫ぶことになるのだ。

ではオールドの音を当てられるか?

これは大抵当てられる。音の深みが違うような印象があるはずだ。

ではストラディバリの音を当てられるか?

前述のようにストラディバリを弾いている人ならば当てられる。そうでない場合は、どっちもありだ。当てられたとしても、あまり自慢にはならないような気がする。

私などは、好きな音を聞かされた時、これはもしやストラディバリ?と思う程度。ストラディバリとグァルネリ・デル・ジェスとの比較だと、多分わからない。

ということで、テレビ番組程度ではわからなくても当たり前という結論にいたる。

とは言え、テレビにもってこいの魅惑的な企画なことも確か。また来年も同じような番組が放送されるのかな・・・。