音楽史上始めてであることは無論、今後も二度と起こらないだろうという事件が世間をにぎわせている。
一応「詐欺」ということになっている。確かに騙された人がいるから、間違いではない。
しかし、何とも腑に落ちない点も多く、ついに今日は週刊文春を買い、ことの経緯を知った。
ついでに吉松氏のブログも読んだ。いちいち合点がいくことが書いてあった。
ちなみに、本人が作っていないというのは過去にも例がある。業界で一部話題になっていた方として故・芥川也寸志氏がいる。晩年の話だが、全て奥さんが作っていた、と言われている。
なので、本人が作っていないからといって、格別に驚くこともなく、ああそうか、という程度のもの。というのも、私自身が渦中の人であるS氏の曲もN氏の曲も、あまり好きではなかったからだろう。それよりも芥川氏の曲の方が好きだったので、こっちの話を聞いた時の方がショックは大きい。
S氏の曲を芥川作曲賞に推薦しようとした人がいることの方が滑稽だ。本当は代作者同士で、実にピッタリかもしれないなどと言いたくなるけれど、それじゃ真っ当に作っている人を愚弄することになる。これはNG。
それよりも、吉松説にある「これもありなのではないか」の方に同意する。つまりプロデューサーとコンポーザーがペアになって仕事をする方式。ポップス界では当たり前のこと。
それでも、プロデューサーだけが表に出て、しかもその人が音楽の断片すら作れないというのはいかがなものか、という説もあった。
でもチャーリー・チャップリンの先例がある。今でも、チャップリンの映画音楽はチャップリンが作ったと思っている人は多いけれど、全て他人の旋律を買い取って、それを専門家に渡し、完成させてもらった音楽だそうだ。これも、プロデューサーのみが表に出ている例。
クラシック界でも指揮者のレオポルド・ストコフスキーの編曲は、全て第2オーボエかなんかの人が手がけている、とルイ・グレーラーの本に書いてあった。しかもストコフスキーの本名はストークスでイギリス人だとか。私としては、こっちの方がショック大きい。結構尊敬していた指揮者だったから。これこそクラシック音楽界最大の詐欺師だ。
それに比べれば、仮にソチ・オリンピックを通じて虚構が世界規模になろうと、全然大したことではないと思う。チャップリンの映画音楽を批判している人なんていないでしょ?
まぁ、東日本大震災を商売のネタにするあたりは、やはりあざとさを感じて嫌だし、もし障害者手帳を不正受給していたとすれば、それは問題だが、こちらは音楽の問題ではない。
私がそれよりも嫌なのは、こういう強烈なストーリーがないと、人は注目しないという現実。
聞いているのは音楽なのか、ストーリーなのか?
いやはや、様々なことを考えさせてくれる事件である。