井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

トマトは野菜か果物か

2018-01-13 20:07:05 | 受験・学校
昨今は、問題を読みたいなどとは全く思わなくなったセンター試験。にもかかわらず英語の問題をほんの少しだけ読んだら、こんなことが書いてあった。

トマトは野菜か果物か。一般的には野菜だが、生物学的には果物だ。果物の定義は種が果肉に入っているやつのことだから、キュウリもカボチャも果物だ。なぜそれが問題になるかというと、1890年頃のアメリカでは野菜が課税、果物が非課税だったからだ。
それをめぐって法廷で争われたが、結局「野菜」として扱う、ということで一件落着。

ふーむ。果物の定義なんて、考えたこともなかった。
センター試験、勉強になります。

さあ、このセンター試験もあと何回かで幕引きだ。

あと何回かな…。

これは知っておくべきなのかもしれないが…知らない。

しかし、ちゃんとご存知の先生もいらっしゃった。

今の中学3年生が、ストレートに進んだ場合、そこから変わるのだそうだ。
変わって良くなると良いのだが。

一つ話すと十の返事

2017-10-19 19:58:46 | 受験・学校
「これは何だろう」
と、先生が何かを問いかけたとする。

するとたちまち10人くらいの児童生徒が「Aだ」「Bだ」「Cだ」と言いだす。

平均的な学校ではあまり起きない現象だが、レベルの高い小中学校では日常的に見る光景である。

ベテランの先生だと、ここを上手にさばくのだが、例えば教育実習生だと往々にしてパニックに陥る。

何も応えられず、児童生徒の側に静かに失望が広がる。
このような状況を何度か見た。

反対に、見事に受け答えて「明日からでも先生として来て下さい」と言われた人も稀にはいた。

十の質問を全て答えるのは不可能だが、不満を残さないには、なるべくいくつかには反応すべきだ。そのために、かなり勉強が必要だ。

勉強すると、話の流れの本質に一番近い質問がどれだかわかってくる。その一つに応えれば、他の人もその流れに乗ってきて、不満は残らないはずなのだが、そこに至るまで先生の修業は続く…。

国公立と私学

2015-10-28 20:32:53 | 受験・学校
吹奏楽コンクールの全国大会で、先週札幌まで行ってきた学生と話した。

「どうだった?」
「寒かったです。」
「ホールのキタラは良いホールと聞いているけれど。」
「日本一です!」

その学生は、国内のホールをせいぜい10くらいしか知らないと思うのだけれど、やはり良いホールのようだ。
先日会ったピアニストも、国内では大阪のシンフォニーホールと並んで最高と評していた。こちらは百以上のホールを知っているから、信憑性がある。
やはり良いホールなのだろう。

ところで、札幌で本番だと移動と滞在の費用、どれだけ安く考えても5~6万円かかる。学生にとってはかなりの出費だ。
その昔、同大学の混声合唱団は沖縄で全国大会があった時は、出場を諦めたことがあった。

そういう発想は持たない吹奏楽部、どうしたのか。

忽然とOB会が立ち上がり、費用の半分以上を負担してくれたのだそうだ。なので、個人負担は2万円ちょっと。

「それでも、個人負担で参加なんて、うちぐらいですよ。私学だったら大抵全額大学が出してくれますから。」

そうでしょうとも。それがいいなら私学に行って下さい。まぁ、国公立ではまずないな。

同じ日、その数時間後、別件での集まりついでに出た話。A高の卒業生が話す。
「もうA高もダメです。校長が代わって音楽に理解がなくて。」

A高は私学で、合唱コンクールの全国大会常連校。

「校長に理解がないのは残念だね。」
「前の校長は、全国大会とか毎回聞きにくるし、理解があったおかげで、いろんなところからお呼びがかかったし。」
「それはよかったね。」
「だから、コンクールの前日や翌日を授業を公欠にしてくれたし、秋なんか毎週のように本番が入って、それも全部公欠にしてくれたし…」
「…」

それはダメかも。授業が成立しない。そうやって勉強しない高校生を輩出する高校は困ったものだ。

新しい校長先生の方がまともかもしれない。

どちらが良いのか、なかなか判断できない問題だし、似たような話は、個人レベルでもある。

例えば、一般的に、私学の音大は成績優秀者をとても優遇して、大学全体が応援してくれる。それが、実力を大いに伸ばしている。

そこで自信も大いにつけて、卒業。社会に出ても、そこで培った実力と自信で大活躍…

した人は、どのくらいいるのだろうか。
私が思いつくのは一人だけである。

ほとんどのケースは、卒業した途端、自分に当たっていたと思っていた脚光がパッと消え、生身の自分に直面すると、何とも冴えない自分しか見えてこず、自信まで失って…、となっている。

そこからはい上がれば本物なのだが、寡聞にしてその例は一つしか知らない。

どちらが良いのか、全くわからない。
どん底に落とされる気分を味わうくらいなら、何もない方が良いような気がする。
一方で、短い学生時代くらい天国気分を味わったが人生楽しいかも、とも思う。どん底が待っていても、はい上がれば良いのだ。天国のイメージがない人には、はい上がるのも難しいから。

韓国の部活

2015-07-30 07:28:59 | 受験・学校

韓国の留学生の面倒を少し見ている。

気になったのは、留学生の語る韓国の部活事情。
韓国にも部活はあるが「名前だけ」だと言う。
「テニス部ね」「合唱部ね」と振り分けられるが、その部活の時間は一般の勉強時間と化している、と話してくれた。

にわかには信じ難い。少なくとも筆者と同世代の韓国人は、我々と同じようなことをやっていた話を聞いていたし。時代と場所が違うけれど。

その留学生を驚かせた学生達の実力は、もちろん部活動のみで培われたものではない。

ただ、それを育成する土壌として機能しているのなら、結構良い仕組みかも、と思った次第である。


学力と椅子並べ

2013-06-03 23:08:52 | 受験・学校
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先週、数人の高校の先生たちと会う機会があった。

どこの学校もレベルの低下は悩みの種であることが、話の随所から忍ばれる。

レベルの低下とは通常学力のことを指すのだが、学力だけではないところが実際には深刻かもしれない。

「吹奏楽のセッティング、つまり譜面台といす並べをですね、隣の(学力レベルの高い)学校ならば10分でやるところをですね、(学力レベルの低い)うちの生徒にやらせると40分もかかったりするんですよ。」

学力は低くても、いす並べなど生活に直結したもろもろは手早くやってほしいものだ。

「それが、大体学力に比例しているんですよねぇ。」

学校の勉強はできなくても、生活面はバッチリ、ということはあまり無いようで・・・。

今、大学では「自ら課題を見つけ、それを解決する能力」をどう育成するか、が取りざたされている。これは、例えて言えば英単語を覚えること、歴史の年号を覚えることより、効率的な椅子並べはどうすべきか、の方に近い。

近い、と思っていたが、高校の現状を見ると、椅子並べと英単語の記憶が遠い訳でもなさそうだ。

学力と椅子並べ、この相関関係がどうなっているのかあまりわからないのだが、やはり勉強はするものだ、という平凡な結論に。