井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

Society2.9は馬ビジネス全盛だった

2019-10-21 19:53:00 | 日記・エッセイ・コラム
Society3.9で十分だ、などとほざいていたら、今日読んだ本に興味深いことが書いてあった。

1900年頃、ニューヨークには10万頭の馬がいた。
1900年には、ロンドンでタクシーが11,000台、バスが数千台走っていた。
全て馬が引いていた。バス1台に馬12頭使ったようなので、計5万頭以上馬が必要だったことになる。

しかし、その数年後、電化が始まり、内燃エンジンが開発される。

1912年には自動車の数が馬を上回り、1917年、馬車鉄道は全廃された。

馬ビジネス屋さんは、自動車や電車を見て、風変わりな物を作ったな、とは思ったが、何千年も続いた馬ビジネスが終焉を迎えるとは全く思っていなかったそうだ。

歴史は繰り返す。
2.0の馬に相当するものは、3.0では何になるのか。

インターネットとコンピュータ社会に付いていくのは大変だけど、いつまでも馬に乗るのは危ない、ということを思い知らされた感があった。

Society 4.0

2019-10-17 08:24:01 | 日記・エッセイ・コラム
人類が誕生した時を1.0とすると、農耕を始めた時を2.0、産業革命で3.0、そして、コンピュータとインターネットが本格始動した段階で4.0、という考え方があるそうだ。

Society4.0になったのは、おおよそ1990年頃。まあそう考えると、今の時代の波についていけないことがあっても、少しは慰められる。

逆に考えると、1990年頃子供、あるいは生まれていない人達には、4.0は当たり前の世界。30代以上になると、時代が変わっているのをあまり受け入れていない世代、となるだろうか。

そして10~20代だった人達がついていけるかいけないかを問題に考える世代、となるように思う。
かく言う私がその世代。ちょっと上の人達は「時代についていかねば」という意識は希薄に感じる(違ったらごめんなさい。感じるのが良い悪いではありません、念のため。)

ぼんやり考えるのはSociety3.9くらいで十分良かったな、ということ。
しかし、こういうことを言った段階で、もう老人になったのを認めたようなものかもしれない。それも嫌なので、何とかついていくぞ、と自分を鼓舞しているところである。

しかし、あと10年か20年で5.0になるという。いわゆるAIが、本格始動する時代である。

生きているうちにそうなるのか、と思うと、また気が滅入る瞬間がある。

いや、その時は、立派に爺さんになっているので、3.9も良かったとふれてまわるジジイになろうっと。

ピチカートの「まめ」

2019-09-08 21:53:00 | 日記・エッセイ・コラム
連続したピチカートを演奏すると、必ず「まめ」ができて、それからしばらくピチカートは演奏できなくなる。

何十年も、それを繰り返していたのだが、昨年「箏」の演奏家が「まめを作ってはつぶし、また作ってはつぶしを数回続けると、『たこ』になって、もうつぶれない。そこまでやるのが修業」みたいなことを話されていたのを聞いて、思いついたことがある。

「そうか、長い時間をかけて『たこ』を作れば良い訳だ。」

話が単純でないのは、通常は「柔らかい指」の方が美しい音が出る。硬い指になると音も硬くなるので、「たこ」を作るなど、とんでもない自滅行為になる。

なのだが、この9月に弾くことになっているラヴェルのソナタ、ここでつかうピチカートは硬質な音で良い。

ならば、ということで、それに向けて数ヵ月かけて、ゆっくり「たこを作る」作戦を考えた。
毎日、緩くピチカートを弾く練習をするのである。そうしたら、徐々に指先が硬くなり……を狙ってみた。

そして本番。

指は少ししか硬くなっていないけど、まあここまで練習はできた。

弾いている時、ふと視界に入ってきたオジサン、何と携帯電話をいじっている。

そうはさせないぞ!もうすぐピチカートだ。こっちを聴け、オジサン!

レラドラ、レドミレドミド……

どうだっ!と、オジサンをチラッと見ると、こちらを凝視していた。作戦奏功。

調子に乗ってジャカスカやり、本番が終わる。

ホールを出て気づく。右手人差し指が痛い。見たら「まめ」ができていた……。

これは「たこ作り作戦」とすれば失敗なのだろうか。
とにかく痛くて、普通の曲のピチカートが弾けない。
早く治っておくれ、私の人差し指。

あなたもお子さまも官房長官

2019-04-20 10:49:03 | 日記・エッセイ・コラム
とあるスーパーマーケットで、こんなコーナーが作られていた。



30年前を如実に思い出す。

「Xデー」に備えて、各テレビ局が秘密裏に番組を制作、それにオーケストラも駆り出され、特別番組の収録があった。しかし、いざとなると、何か古さが出てしまい、結局放送されなかったものも多々あったようだ。

そんな準備があったといえばあったが、やはりその日は突然来た。

時の小渕官房長官が元号を発表、「ふーん、こうやって発表するんだ」と思ったものだ。

日本史上2番目になる、官房長官が発表する元号。幸いにして、今回は突然ではない。
祝賀ムードが漂い、こうしてエンターテイメントにするところもでたのは、素直にめでたいと言っておこう。
眺めているうちに私もやりたくなってしまったし。

背景には、何とか良い時代になってほしいという、日本国民の切なる願いがあると思う。

では、残り少ない平成を、精一杯生きていきるとしようか。

いつの間にか終わっていた車内販売

2019-04-11 18:21:41 | 日記・エッセイ・コラム
今、続々と列車内の車内販売はなくなって、もうほぼなくなったそうだ。
九州新幹線も、先月半ばになくなったらしい。

エーッ、そうだとわかっていたら買っていたのに…。

理由は、売れなくなったから。

確かに駅のコンビニも充実してきたし、車内販売は多少値段が高かったしで、私も何年も買っていなかった。

でも、あれが旅の風物詩だったのに…と、買ってもいない者が言えた義理ではないが。