井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

今はアメリカと歩調合わせなきゃ!

2020-06-07 09:55:50 | 国際・政治



頭の中で五輪真弓の「恋人よ」が流れて止まらない。

『そして一言、この別れ話が、冗談だったと笑ってほしい』

チャイナに頭下げチャイナ、は冗談ですよね?

まさかの選択、

いや、初動で間違う日本政府であって、後で地味に軌道修正しますよね?

「冗談だった」と言ってください、日本政府!

クロイツェル20番③

2020-06-05 22:19:51 | ヴァイオリン
永遠のミスプリントを指摘しながらレッスンを進めていたら、
「それは出版社にちゃんと報告してくださいよ」
と、生徒さんに言われてしまった。

それで思い出したのがクロイツェルの20番。報告する前に事態を把握しておかねば、と再度楽譜を出して、再検証した。

校訂者を見るだけで、背筋がぞくぞくしてくる。

まずは、Mendelssohnの協奏曲の立て役者、フェルディナンド・ダヴィド。



これはないでしょう、と言いたいくらい、ミスだらけ。もちろんダヴィドが悪いとは限らない。

次にシャーマー社のシュレーダーとペータース社のへルマン。この二つは中身が一緒だった。番号は違うけど。(ペータース版は第19番)



ニ短調の和声的短音階で2小節統一されている。しかし、音楽的ではないなあ。

そしてエチュードの大家、ドント先生。



Oh,la la.あらら、短調と長調のせめぎあいで単調さを防いでいる、かなぁ?
やはりこちらもミスプリントのように見える。

それで、トリはマッサール先生。



ニ長調で統一されている。これが一番すっきりしているから、オリジナルと信じたい。

これら全てから考えると、篠崎版はそれでも良い方だ。私が訂正を入れた楽譜がこれ。


それに、学習者のことを考えて、スラーを大胆に変更している。これは今回初めて気づいた。

この恩恵は、ほとんどの日本人ヴァイオリニストが受けているのではないだろうか。
それを、前回は「盲従」などとひどい言葉を使ってしまった。
面識がないとは言え、師匠の師匠である。
ごめんなさい。

クロイツェルのオリジナルがどのようなものなのかはわからない。しかし、演奏会用の曲ではないのだから、原典でなければならないことより、練習の効果があるかどうかの方が重要だ。
そう考えた時、篠崎版はなかなか良い方に属していると思う。

良いエディションが手近にあることは、大変幸せなことで、大事にしなければと、改めて思ったところだ。

動画による審査

2020-06-03 23:15:15 | コンクール
山のようにたくさんあるピアノのコンクールでは、既に動画審査にして、今の局面を乗り切った話もきく。

そして、私が関係するヴァイオリンのコンクールも、ちらほらそうする旨の連絡が入りつつあるところだ。

コンクールAやコンクールBの時は「それも仕方ないかな」と思って、それ以上深くは考えなかった。

しかし、コンクールCから「相談」が来て、大反対を唱える結果となった。
それは、一にも二にもコンクールを台無しにするから、なのだが、我ながら20分熱弁をふるってしまったのはなぜか。

まず、動画ではそう細かいことまでわからない。生の音の情報量は比較にならないほど多い。それが機械により制限されてしまう。
みんなが同じ感じで制限されるならともかく、機械の性能で制限され方が変わるようでは、音楽のコンクールではなくなってしまう。

それに、録音技師のような親がついていたら、音を加工することもできる。これでは家族のコンクールになってしまう。

さらに動画は何度でも撮り直しができる。私のように一発勝負に弱い人間には大変ありがたいが、これだと大した修行にはならない。

大きな空間で遠くの人へ音楽を届かせるべくエネルギーを使う事、これが修行になるのだ。

何としてでも、従来型の方法でコンクールは行っていただきたい所以である。