「笑っていいとも」に打ち切り説が出てるとか。しょっちゅう出る話なので、ぼちぼち「終わっていいとも!」と思ってる人も多いのでしょう。(←ベタな言い回し) この番組が始まったのが昭和57年10月というのはよく覚えてます。当時テレビ持ってなかったので「笑ってる場合ですよ」が終わったのを知らず、寮の食堂のテレビで桜田淳子とタモリがしゃべってるのを見て「あれ? 新番組?」と思ったのが第1回でした。調べてみるとこの日は私の19歳の誕生日だったようです。
で、大学生は春休みが長いですが、私の場合は寮生だったので休みになると追い出されることになり1ヶ月半ほど実家に戻ってた関係で、その間は毎日見てました。当時は結構面白いと思って見てたコーナーもあるので、今日はその辺を思い出してみましょう。ただし、毎年春休みになると見てたので、どのコーナーがいつ頃放送されてたのかは定かではありません。
コーナーの名前と内容を覚えてるのは
・私のメロディー
・来たかチョーさん待ってたドン
・ブラボーダンシング
・なるほどだ!ニッポン
・5つのフォーカス
・歌えば楽しパラダイス
・僕らは中年探偵団
・あっぱれ4小節
・宴会ソングコンテスト
・ガルーコンテスト
など。
詳細を説明するのは面倒ですが(←適当)「私のメロディー」は好きでした。ある曲をテーマに決めて、それに関する替え歌、変えメロ、一発ギャグとかを一般参加者がやるものでした。毎週楽しみにしてた記憶があります。「なるほどだ!ニッポン」はいろんな外国人タレントが出てましたが、サンコンとかケント・デリカット、アダマウロ、デーブスペクターはこれから出てきたのではなかったかと。
あとはレギュラーでは割とよめキントリオが好きだったり、三田寛子のコーナーが嫌いだったり、明石家さんまは好きじゃないけどタモリとのトークのコーナーは面白かったりという記憶あり。
テレフォンショッキングは初期の一時期だけ本当にガチンコだったようで、友達に電話しても2人くらい断られてから決まったり、有吉佐和子みたいに一人で40分くらいしゃべってあとのコーナーが全部潰れたりしたのが面白かったです。まさに生放送で何が起きるかわからないってのがよかったですね。それが、あるとき日曜のFMラジオで伊藤銀次が「今週の水曜にいいともに出ま~す。どういう形かは言えませんけど。」って言ってて、実際水曜に見てみたらテレフォンショッキングだったので(竹内まりやからの紹介だったかな?)、「ああなるほど。もうさすがに先々まで決まってるんだな」と思ったものです。
最近というかここ何年かは流行の芸人をレギュラーに入れてクイズ系のコーナー作ってるだけで、テレフォンショッキングもフジテレビ絡みの映画とかドラマの宣伝のために出てくる人だけでつまらん気がします。もっとも私なんぞは平日の昼間に見ることは稀ですから、毎日見てると面白いのかもしれませんが。
で、本当に打ち切りになるとすると、どうせなら記念に過去のテレフォンショッキング一挙放送とかして欲しいですね。昔はゲスト新田一郎とかTOPSの山際祥子とかいうのがあったのですが、今だとそういうのはまずあり得ないでしょう。視聴率至上主義の中で受けるかどうかわからん企画を出すより、話題の有名人出して数字を確保するのが普通なのでしょうけど、遊びとか冒険がやりにくくなったのはいつからなのでしょうね。なんにしても、放送開始以来毎日かかさずにリアルタイムで見てる人ってのはまずいないでしょうし、その辺の変遷を語れる人っているかなぁ。考えてみれば私がしょっちゅう見てたのは最初の3年くらいらしい。