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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
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K

2015-09-13 | 古処誠二


古処誠二
『ふたつの枷』★★★



音信不通、、
「ただいま」も言えないわけ?
一緒に何がしたいのかどこに行きたいのかわからない。
やめてしまおうか と。
結局求めている人は?



思い立ってお部屋の模様替え
スペースは広くなったけど収納出来ない物で溢れてしまった。。
水曜に一気に捨てよう
今更 断捨離 読んでいる本の影響・・・わたしって単純(笑)



さて古処ワールド


『ワンテムシンシン』

続 ニューギニア


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戦友愛などという言葉は陳腐以外のなにものでもない。


「まあ、なるようにしかならないさ」
それが母国を指しているのか自分の体を指しているのか、


療養所に入れられて回復した例は希である。墓におさまるまで軍務から解放するだけの場だとの了解が暗黙のうちに広がっていた。


マラリアのオコリに抗える者はいない。体の中心から凍えていき、しだいにその範囲は広がる。やがて皮膚の感覚がぼやけ、頭が濁りを帯びる。いつしか全身は震えに覆われる。


原住民と日本人が同居する疎林は、生と死が同居する場所でもあった。


内地では蛮族のように思っていたニューギニアの住民はひどく情緒に溢れていた。


星が空を満たし、ファイア・ボンボンの光が強調されるほどに、シンシンの光景は幻想的な色合いを帯びていく。


「神様ニ、祈ッテル」


逡巡の三日間、やはり砲声のひとつとして聞こえなかった。一度現れた偵察機は爆音だけを響かせて消えた。朝靄の払われたアレキサンダー山系にフールン山が望まれる。世界はどこまでも静かだった。


「戦争がおわりました、はいみなさん集まってくださいとはいかないってことだ」


日中の静寂に気味の悪さを感じるほどニューギニアの戦いは長かった。


宣撫とは、住民を敵に回さないことではない。手懐けることでもない。彼らを友とすることである。ともに働き、ともに食べる。もう一歩踏み込んで解釈すれば感情や感覚を共有することである。


どこに暮らす人間であろうと死に意味を見出す点で変わりはなく、それは肉体の死滅と魂の死滅が異なるとの答えに達し、異世界への旅立ちや生まれ変わりという考え方を生み出した。


飛行機が現れるたびに隠れ、爆弾が落ちるたびに震える生活の終わりを、すべての人間が心の底から喜んでいた。








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『帰着』

こちらはビルマ


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「小隊長殿がすっかり参っていてな。いっそビルマに住むのも悪くないなどと言い始めた」


生に縋ったがが最後、死の恐怖は巨大化するとの不安が込み上げた。








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『スコールに与えられた時間』

サイパン


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張り切り少尉という言葉がありますね。まさしくそれです。つまりあなたは、兵隊から見たとき疎ましくもある将校でした。


直撃弾というものは、その音すら聞こえないのだとわたしは知りました。人間の耳では拾いきれない音なのでしょう。ただ、地面が覆るような激震と熱風を感じました。


わたしはいつか日本人に向けて発砲するかも知れない。
敵に向けたこともない銃を、いつか同胞に向けるかもしれない。


ソロモン群島やニューギニアで将兵を苦しめたというマラリアはサイパン島にはない。


勝敗のゆくえはさておき、誰もが納得のできる戦いを求めていたはずです。


班長殿いわく、中隊長殿が心の脆さを露呈した時期を特定するのはむずかしいとのことでした。浜頭堡への夜襲時だとも言えるし、沖に初めて米艦を見たときだとも言えるし、もっと言えば横浜港を出るときだとも言えるそうです。


敵が弱らない限り、戦い続けねばならない。


戦は戦闘ではない。
戦の苦痛は激しさに比例するのではなく、戦闘態勢を維持する時間の長さに比例する。煎じ詰めれば、士気を維持し、補給を維持し、命を維持する根比べだということになります。


人心地つく。
何気なく使ってきた言葉ですが、字面を考えるとまったくその通りだと思います。人心地とは、つまり理性の回復です。おかげで我々は人間らしくこの夜を迎えられました。
サイパンでは、雨水を天水と呼ぶのだとか。







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『死者の生きる山』




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問題は、お互いが人間であり人間であるからには食わねばならないことであった。


石鹸はかつての戦利品だろうラックスである。使い古しではあるものの香りはまだ残っていた。
「不必要に思案を巡らせるな。今日は調達班からも外す。しっかり垢を落としてこい」


「タガログ語はどこで覚えた?」
「マニラで集合教育を受けたのです。教育といっても座学はほとんどありませんでしたが」
「習うより慣れろか」


兵の心の荒みは、日本軍の秩序が崩壊しつつあることを物語っていた。罪を取り締まる力も衰えている。


日本が降伏しても戦は続く。
平穏な生活はとても望めない。


健兵として動くのは健康を保つ兵隊ではない。とうに命を捨てた兵隊である。


潔い自決と処理されることが、病と過去に苦しんだ兵隊の最後の望みだった。


負けを認めさえしなければ負けではない。たとえ日本本土を占領されようと戦い続けることは可能である。


「軍隊と運隊とはよく言ったものだ。どう言葉を弄したところで運ばかりは神の采配だ」

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K

2015-09-13 | 古処誠二


古処誠二
『線』★★★★

最後の新刊は『メフェナーボウンのつどう道』だった記憶
でもパプアニューギニアの地図を見たら再読?
再読でした。。

心に沁みる。


今月は古処月としましょうか(笑)

戦争月ですね。

色々な意味で、、
「もう連絡してこないで」
「わたしに興味ないでしょう?」



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人は恐怖より信頼で動く生き物だった。


「お前はしばらく死なないだろうよ。俺もしばらく死なない。後ろの老兵と坊主もしばらく死なない」
「どうして言い切れる」
「勘だ」








「腹がへっては戦はできぬとは、まったく非の打ち所のない諺だな」


勝手に上陸してきて勝手に腹をすかせている。原住民にはまったく不可解な人間だった。目の光る鉄の獣を操り、奇声をあげる鉄の鳥を操る力を有していながら、なぜか食い物に困っている。あげく他人のものを盗んで回る。そんな苦労をするくらいなら、さっさと自分の国に帰ればいいはずだった。


壕内にまで押し寄せた爆風にうなじが焼けた。降り注ぐ泥は熱湯のようで、掩蓋のない壕に入った者たちは残らず悲鳴を上げた。母親を呼ぶ班員の声がし、そばで誰かがのたうち回った。


すべてが悪循環に陥っていた。不信が不正を招き、不正が不信を煽り、他人を押しのけることばかりに誰もが懸命だった。


「死んでしまえば苦労はない」








「敵弾に当たらないまま後退してくる兵隊は卑怯者だ」


味は感じられなかった。熱帯性マラリアが味覚を奪っていることはもとより、塩がないからだった。


兵隊生活とは、端的に言えば流離に他ならなかった。








「自分がよく言い聞かせておきます。分隊長殿、どうか今日のところは堪えてください」


ふと鳥肌が立つのを感じた。濡れた軍衣のせいではない。意図せずに発した自分の言葉がこの世の本質を突いているような気がした。


望む平和の形が異なるから戦は起きる。


「虚言を信じずに誰がこんな戦を耐えられますか」
虚言を虚言と言い放つ人間が行く場所などない。戦時とは、きっとそういう世の中のことだった。


「家に帰りたいって顔してるな。お母ちゃんに会いたいか」


戦地で触れる上官の脆い心は毒でしかなかった。







馬の涙ほど身に応えるものはない。


馬のわがままに対しては無言で見つめるのが最適だと実家で学んでいた。








争いに幕を引く方法は、泣くことと譲ること以外に知らなかった。手のかからない点ではありがたくとも、親からすれば不甲斐ない子供だったはずである。


この時代に兵隊となった男はことごとく不幸だった。


苦戦が続いていると誰でも一度は捨て鉢になるのだと言葉が継がれた。


「あんたも独り身だろう。なに、心配いらない。今はいい義足もある。金鵄勲章をもらえば嫁取りにも苦労はない。年金もらって瀬戸物屋
を開くのも悪くないだろうよ」


昨夜の上等兵が饒舌だったのも、戦傷は名誉で戦病は不名誉という不文律があるからだった。


「おたく、マラリアは?」
「ありません。妙なところばかり強運で」
これまで死なずにいたことも強運なら、「戦傷」による後送となったことも強運である。


「どうもこの戦はうまくないと思いますね。兵隊さんに申し訳ないですが、素人のわたしから見てもニューギニアには手を出すべきではなかったと分かります」


「とにかく、こんな土地は一刻も早く捨てるべきです」
「・・・・・・偉そうなこと言うな」


十歩進むにも時間のかかる戦病者に辟易し、武勇を誇示する戦傷者いも辟易していた。








「今日にでもまた白豚が来るきに、コンビーフとビスケット奪っちゃる」


ニューギニアは悪疫と泥濘の世界である。


マラリアはときに記憶も削ぐ病だった。


「勝ち気なところはさすがに工兵だな」


タコツボで耐える兵長には、永遠にも感じられただろう。
兵長の意識は二度と戻らなかった。夜を待って本陣地へ運び込んだときには息を引き取っていた。


兵は飢えつつある。米の備蓄はあると言われているが配給量はまた別の問題なのだろう。戦いがいつまで続くのか誰にも分からず、節食に節食が重なっていた。砲爆撃による野戦倉庫の焼失も勘案すれば、とにかく毎日食えるだけでありがたいと思わねばならなかった。


脳症を起こしたマラリア患者も、自分が狂っているとは思っていないだろう。


「ぱんぱんだよ。目なんか糸のようだ」


戦だからドンパチやると思っていたら大間違いだと、大陸を経験した兵隊に聞いたことがある。
歩兵でも、よほど機会がなければ銃など使いはしない。ただ歩き、ただ寝床を確保する。目的も知らされないまま駐屯地を出たかと思えば、平原の真ん中で二句三句と露営して引き返すことも稀ではない。無意味の反復には頭がいかれそうになるという声すら聞いたことがあった。
大陸における戦がそうとなれば、水の溜まるタコツボでの時間は拷問といって間違いない。


ソロモン諸島のガダルカナルという島でも戦いが激しさを増しているという。


「台湾軍は元気がええ。裸足とは恐れ入る」


バサブァ最後の陣地は泥水と腐水と下痢に占められ、生者と死者の区別すら満足につかなかった。


日本の将兵は勝手に飢え、勝手にやみ、勝手に死んできた。


自然の力に人智はおよばない。
名も顔も消し去られていく。








よくできた下士官とは、物事を曖昧に処理する人間に違いなかった。


「借りは必ず返すけん」


人は死とともに無になる。

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