『太陽の坐る場所』更新時気づいた。
そう『凍りのくじら』抜け落ちてる!
夏休み PCに触れることなく9日間が過ぎ
出社した朝PCを立ち上げた時、不思議な気持ちになった。
プライベートなければないで過ごせる。
でもケータイがないのは困る。
それとこれとは別だけど、その9日間で読んだ本忘れるかな・・
最近速読ちっくになってない?
どんどんどんどん読みすすめるのはよいけど、吸収され残るものはあるのかな。
そんなこと考えると読書の定義は何?なんてことになっちゃう。
どこまでゆくのか永遠
さて『凍りのくじら』
夏休み読書と決めて持参し、色々な場所で読んだ。
辻村深月って結構な厚さの割にはその厚さを感じさせないぐらいの勢いがある。
多分普段読まない人にとってはそれは結構なプレッシャー
わたしにとってはその厚さが深さを感じさせ+期待感を増長させる。
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カワイソメダル
読みかけの本のページを開く。現実よりも楽しい恋や、色濃い不幸の渦巻く世界が、そこに私を待っている。
「~ああ、読みたい本だけはたくさんあるかな。もう、私にとって読書って完全に生活の一部なので、それを趣味だとは思えないし、『読みたい』なんていう自主性がそこに存在しているかは謎ですけど」
「あの時期にこの作品がなかったら、今自分は生きていなかったかもしれない。そう考える瞬間が、僕にはあるよ。」
「――本による救いの形を論じるのって、ホラー映画による青少年への悪影響を嘆く風潮を表裏一体だから、あんまり好きじゃないけど、それでも本当に面白い本っていうのは人の命を救うことができる。その本の中に流れる哲学やメッセージ性すら、そこでは関係ないね。ただただストーリー展開が面白かった、主人公がかっこよかった。そんなことでいいんだ。
来月の新刊が楽しみだから。そんな簡単な原動力が子どもの僕らを生かす」
もしもボックス
ねえ、もしも私が存在しない世界になれば、何か変わるだろうか?私不在の世界は、きっと何の影響もなく、そのまま流れゆく。そんなの、何か意味があるのだろうか。
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今回ドラえもんフリークじゃなくても楽しめた。
(うちの母に言わせればのび太はだらしない)
どこでもドア~^^
夢のような道具の数々
そこから得られる教訓とは?
生きていてツライことは多々ある。
選ぶことが出来なかった選ばれなかった人生
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ほおずえをついて、ただ静かに晴れた海を眺める。