ティム・オブライエン
訳 村上春樹
『本当の戦争の話をしよう』★★★★
原題は“The things they carried.”― 直訳するなら「彼らが担ったもの」
やっと読むことが出来た。
抜粋した文面が全て消えてしまった!
もぅ何度目?あぁ
記憶を辿る
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あの可哀そうな野郎はただばたっとまっすぐ前に倒れただけなんだぜ。ズドン・ばたっ、それだけ。それは四月半ばのよく晴れた朝のことだった。
みんなあれ見るべきだったね、あっというまだったんだ、あの可哀そうな野郎はまるでもうコンクリートみたいにただばたっと倒れたんだぜ。ズドン・ばたっ、セメント袋みたいだったね。
「離れてるけれど結びついている」というのはいったい何を意味するんだろう?
こいつ死んじゃったぜ。こいつ死んじゃった、と彼は言い続けていた。それはすごく深遠な言葉のように思えた。こいつ死んじゃってる、本当だぜ。
本当にあっという間の出来事だったな、と彼は思った。どたっと倒れたらもう死んでた。何も感じない。ただびっくりしただけだ。
ズドン・ばたっ、もう死んでいる。その真ん中はない。
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「よう、今日の戦争はどうだったい?」
「メロウだねえ。いやあ、今日の戦争は実にメロウだったよお」
物語が過去を未来に結びつけるのだ。物語というのは夜更けの時刻のためのものだ。どのようにして過去の自分がこうしてここにいる今の自分につながっているのかわからなくなってしまうような暗い時刻のための。物語というのは永遠という時間のためのものだ。記憶が消滅してしまい、物語のほかにはもう何も思い出せない
時間のための。
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その夏確かだったことは、人々が精神的に混乱しているという事実だけであった。理由もわからずに戦争なんてできない、というのがそのときの私の意見だったし、その意見は今でも変わらない。もちろん本当に何かわかるなんてことは不可能である。しかしいやしくもひとつの国家が戦争に向かうときには、国家は自らの正義に対するしかるべき確信を持ち揺るがざる根拠を持つべきである。間違っていたからあとで修復しますというわけにはいかないのだ。一度死んでしまった人間は、どれだけ手を尽くしても生き返りはしないのだから。
私は自分の身が危険にさらされるなんて思ってもみなかったのだ。自らの人生の岐路がすぐそこに迫っていることにも思いいたらなかったのだ。お気楽にも、どうしてそんなことを思ったのか自分でも見当がつかないのだが、適当にいろんなことがうまくいって、殺したり殺されたりといった問題は自分の身にだけは降りかかってこないものと決めこんでいたのだ。
私は死にたくなかった。それは言うまでもないことだ。
まだ八月だったけれど、あたりにはもう十月の匂いが感じられた。
~紅葉した樹木、きりっと澄んだ空気。私は高く青い空を思い出す。
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どんな戦争の話をするときでもそうだが、とくに本当の戦争の話をするとき、そこで実際に起こったことと、そこで起こったように見えることを区別するのはむずかしい。起こったように見えたことがだんだん現実の重みを身につけ、現実のこととして語られることを要求するようになる。映像のアングルが歪んでくる。
多くの場合、本当の戦争の話というものは信じてもらえっこない。すんなりと信じられるような話を聞いたら、眉に唾をつけたほうがいい。真実というのはそういうものなのだ。往々にして馬鹿みたいな話が真実であり、まともな話が嘘である。何故なら本当に信じがたいほどの狂気を信じさせるにはまともな話というものが必要であるからだ。
ある場合には君は本当の戦争の話を口にすることさえできない。それは時としてあらゆる言葉を越えたものであるからだ。
本当の戦争の話というのはいつまでたってもきちんと終わりそうにないものだ。そのときも終わらないし、そのあとでもずっと終わらない。
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もっと別の考え方ができたらなと彼は思った。でもそれ以外に考え方はありえなかった。きわめて単純明快で、きわめて決定的だった。
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私はかつて兵隊だった。そこにはたくさんの死体があった。本物の顔のついた本物の死体だ。でも当時私は若かったし、それを見るのが怖かった。おかげで二十年後の今、私は顔を持たぬ責任と、顔を持たぬ悲しみを抱えている。
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その長い雨中での一夜を過ごしたあとで、私は体の芯まですっかり冷えきってしまったように思えた。すべての幻想は消えてしまった。自分に対してかつて抱いていた野心や希望はすっかり全部泥の中に吸い込まれてしまった。それから何年ものあいだ、その冷やかさは体から抜けなかった。人生において時折、私はきちんとうまく感情を抱くことができないことがあった。悲しみやら憐れみやら情熱やらが、どうしても湧いてこないのだ。それというのもきっとこの場所のせいだと私は思ってきた。そして私は、かつての私が失われてしまったのもこのせいなのだと思っていた。二十年間というもの、この野原こそがヴェトナムという名の消耗すべてを、野卑さと恐怖のすべてを具現しつづけてきたのだ。
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「心配すんなって」
「脇をちょっとやられただけだ。妊娠してなきゃ何の問題もない」
「ぎゅっと押さえてるんだぞ」
「赤ん坊のことは心配するな」
「楽しい旅をな」
撃たれるという経験をすると、人はそこからささやかなプライドのようなものを得ることができる。
我々は敵のことを幽霊と呼んだ。「悪い夜に幽霊が出てくる」と我々は言う。スプークされる(幽霊を見る・脅えるの意味)というのは我々の専門語ではぞっとするというだけではなく、殺されるということである。「スプークされるなよ」と我々は言う。「気を落ち着けて、生き残るんだ。」あるいはこう言う、「気をつけろ。幽霊がいないなんて思うなよ。」奥地はまさに幽霊の国のようだ――影、トンネル、闇の中で燃えるお香。幽霊の土地だ。
心理学について多少は心得てる。かんかんでりの真っ昼間に君は誰かを怖がらせることはできない。日が暮れるのを待たなくてはならない。暗闇が内面から人を締めつけるからだ。人は外的世界から切り離され、想像力がそのあとを埋める。こういうのは基本的な心理学だ。
君の後ろにいる幽霊と君の前にいる幽霊と君の体の中にいる幽霊。
夜はもうほとんど明けかけていた。靄のかかった銀色の夜明けだった。しばらく我々は何もしゃべらなかった。
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まるで秋の始めのような涼しくてよく晴れた朝だった。ジェット機は青空を背景につややかに黒く光っていた。
「私、死んでいるように見えるかしら?」
「そうね、今のところ私は死んではいない」
「でも死んでいるときには、私はまるで……なんて言えばいいのかしら、それはちょうど誰も読んでいない本の中に収まっているような感じだと思う」
「本の中?」
「古い本よ。それは図書館の上の方の棚にあるの。だから何の心配もないの。でもその本はもうずっと長いあいだ貸出しされていないの。だからただ待つしかないわけ。誰かがそれを手に取って読み始めてくれることをね」
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上手くゆかなかった抜粋・・
再読時にはリアルタイムな気持ちを。
リフト約15分停止
宙吊りのまま・・
「ある意味監禁だよね」
ぽかぽか陽気な春だからのんびり景色を楽しんだり冗談言って紛らわせてたけど、
吹雪いてたらアウトでしょ~
「リフトから降りたりしないで下さい」
途中からアナウンスが流れたけど、そりゃあ降りたくもなるよね。
「トイレ我慢してなくてよかったよね」
私たちは最高な時を過ごしている。
月夜野
「星見える?」
春の冷たい雨の中
新宿でちょうど一時間
どんな気持ちで待っていたんだろう?
案外わたしよりロマンチックなのかもね。
今さらだけど『ヨシヒコ』おもしろい。