山本周五郎
『ながい坂㊤』★★★★
管理会社さんに『中国行きのスロウボート』を貸したら、その交換分として渡された本
(一応何系希望?と聞かれ時代小説と答えてはいた)
おぉ・・山本周五郎がキター わー
大御所感があり過ぎて自ら手に取らずにいた作家さん。
山本周五郎賞は有名です。
山本周五郎賞 | 新潮社
--------(抜粋)
徒士組の子に生まれた阿部小三郎は、幼少期に身分の差ゆえに受けた屈辱に深い憤りを覚え、人間として目覚める。その口惜しさをバネに文武に励み成長した小三郎は、名を三浦主水正と改め、藩中でも異例の抜擢を受ける。藩主・飛騨守昌治が計画した大堰堤工事の責任者として、主水正は様々な妨害にも屈せず完成を目指し邁進する。
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「人間はたいてい自己中心に生きるものだ。けれども世間の外で生きることはできない。たとえば阿部の家で祝いの宴をしているとき、どこかでは泣いている者があり、親子心中をしようとしている家族があるかもしれない。自分の眼や耳の届くところだけで判断すると、しばしば誤った理解で頭が固まってしまう、——いまわれわれはすっかり忘れているが、井関川の水は休まずに流れているし、寺町では葬礼がおこなわれているかもしれない、わかりきったことのようだが、人間が自己中心に生きやすいものだということと、いまの話をときどき思い比べてみるがいい」
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「——海の汐は満ちるとまもなく退くものだ、いつかまた会おう」
「——人間にはいろいろな型があり生きかたがある、たいていは矯正してゆけるものだが、ときにはそれができず、自分で自分にひきずられてゆく者もある、そこが世の中の面白いところかもしれないがね」
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―—帰りに庭の朝顔を見てみろ、と老師はいつか云った。同じ種子を蒔き同じように育てても、みごとに花を咲かせるものもあれば、すでに枯れかかっているやつもある。人間だって同じことさ、心配するな。それは和尚の達観ではなく、経験を積んだ者の、現実に則した意見のようであり、その言葉を証明するような実例が幾らもあった。だが人間は朝顔ではない。と主水正は心の中で主張した。
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「あなたは学問にも武芸にも抜群な人だ」と主水正は構わずに続けた、「——けれどもそれは、あなたが名門に生れ、生まれながらの才能があり、さらにその才能を選りぬきの教官師範によってみがきあげらたのだ。けれども私は違う」と彼は声の調子を変えた。「私は平侍の子に生れ、貧しく育った、生まれながらの才能もなく、庇護されたこともない、いま私の身についた学問や武芸は、一つ一つの自分のちからで会得したものだ、あなたに感じられないもの、見えないものを、私は見ることができるし感じ取ることができる、その違いがどれほどのものか、あなたにはわかっていない、だがこの勝負で、それがあなたにもはっきりするだろう、いざ―—」
主水生はいざと声をかけながら抜いた。その動作にさそい込まれるように、兵部も抜いた。
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いや~痺れましたがな!!
周五郎 読ませるわ。
人生は、長い坂
重い荷を背負って、一歩一歩、しっかりと確かめながら上るのだ。
まさしくそうですがな。
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「実際に役に立つ、誰かがしなければならねえこと」と大造は独り言のように云った、
「——こう云うと青っ臭え、子供じみたことのように聞えるかもしれねえが、おらあこの世は、それでもってるんだと思うぜ」
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わくらばに―—たまたま人間に生れ、自分も耕作しているのに、世間も狭く陽も照らない。
憶良の歌った嘆きと溜息が、自分の胸の中を風のように吹きぬけるのを、主水正は感じた。
「隠そうとしても隠せない、自分で気づかないうちに、つい言葉のはし、眼の色に出てしまう」と主水生は呟いた。
―—人間には働きたいという本能がある。職業には関係なく、つねになにかせずにはいられない。他人にはばからしくみえても、当人は精根をうちこまずにはいられないような仕事もある。見た眼に怠け者のようだからといって、じんじつ怠け者であるかどうか、誤りのない判断が誰にできるだろう。あらわれたかたちに眼を昏まされてはいけない、人の評にひきずられてはいけない。おれは捨吉一家の生活をこの眼で見た。あの無残な生活を見たことだけは事実だ。それだけは決して忘れてはならない、と主水正は思った。
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宗岳は主水正の鼻先へ指をつきつけて云った。「おまえは卵を孵した、ところが孵ったのは鷲だったというようなものさ、にわとりかあひるだと思ったら鷲だった。苦労をするぞ」
「飼いならせないということですか」
「蟹は横を這う」と彼は呟いた、「まっすぐにあるけと云うほうがむりだろうな」
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辛くなるぞ、という宗岳の声が聞こえるように感じられた、おまえの将来は辛いことになるぞと。主水正は小机に凭れ、両手で顔を掩って啜り泣いた。
「だがおれは負けないぞ」両手で顔を掩い、啜り泣きをしながら彼は呟いた、「負けないぞ、おれはけっして負けないぞ」
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信念を固執すると自分で自分を縛り、狭い穴の中にとじこめられるようなことになる、汚れた手で握っているものを取り返すのに、こちらの手の汚れるのを避けていたはだめだ、と谷先生は云った、これがその任に当たる者にとっては志操であり、侍の侍らしい本分なのだと、彼は自分を慥かめるように思った。
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「自然の容赦のない作用に比べれば」と主水正は声を出して云った、「貧富や権勢や愛情などという、人間どうしのじたばた騒ぎは、お笑いぐさのようなものかもしれない」
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「云っていいか悪いかわからないんだが」
「そういうときにはたいてい黙っているほうがいいらしいな」
「世の中には、黒白をはっきりさせないほうが、却ってよい場合もある、ということを聞いた覚えがある」と主水正はあるきながら云った、「——是非善悪の判別で片づくこともあるが、それでは片のつかないこともある、という意味だろう、誰に云われたかはわからない、言葉もそのままではないかもしれないが、私にはいまがそのときだ、という気がする、慥かにそんな気がするんだ」
猪狩はびっくりしたように、眼をみはって主水正の顔をみつめた。
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「——指に火傷をしてみて、その指の存在を改めて認めるようにさ」
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手渡されてからあまりにおもしろく3日で上巻読破
下巻はゆっくり味わって読まないとね。
(予約投稿)