★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ヘッドハンティング 15

2012年05月21日 19時06分05秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「真田係長、さきほど池永顧問から内線があって、お電話いただきたいとのことです」
 出社してきた真田に中原智子が告げた。
 池永顧問は現会長、社長とともに万葉社創業のメンバーで、三年前に副社長を勇退してからは、非常勤の顧問として月に二、三回出社していた。顧問がカタログ事業部の本部長時代には、真田たち外人部隊は何かと目をかけてもらっていた。
 久しぶりの呼び出しに、一抹の不安を抱きながら、さっそく電話すると、今日の1時に顧問室へ来るようにとのことだった。


 1時5分前に、本社11階の顧問室に行くと、顧問席の前のソファには、大原たち四人がかしこまって座っていた。
 それを見て真田は、不安が的中したのを知らされた。
 池永顧問に目顔で促されて、真田は大原の隣に腰をおろした。

「昔はこの辺りでうちのビルが一番高かったのに、今ではうちより高いビルが多くなったもんだなあ」
 顧問は席の後ろに立ち、窓から外の景色を眺めながら、誰にともなくつぶやいた。
「創業当時の本社を知ってるかね? 木造の二階建だったよ。社員は全員営業で、成績のいい者は自転車で、あとの者は徒歩で会社回りをしていたよ。あれは慰安旅行の時だったかな…みんなで東京タワーに昇って、東京の街並みを見おろしていた時に、『こんな展望台がうちの会社にもあればなあ』と誰かが言ったのを今の会長が耳にされて、『よし、上場したら展望レストランがある本社ビルを建ててやる』と約束されたんだ。当時はまだ社員20人ほどの小さな会社で、誰も上場するとは思っていなかったよ。それがあれよあれよという間に…」
 最上階に、三方がガラス張りの社員食堂を持つ、12階建ての白亜の本社ビルが完成したのは、上場二年目の春であった。

「今では社員1000人の大所帯だ。われわれ年寄りは、ここまでこの大所帯を引っ張って来たが、今後は今の課長、係長クラスが舵取りをしてこの万葉社を引っ張る番だ。どうだ、君たちにできるか」
 顧問は、五人のほうへ向き直った。
 五人は無言で頭を垂れていた。
「どうだ、真田君、できるか」
「顧問、申し訳ありません。私たちにその資格はありません。私たちは万葉社を…」
「皆まで言うな。事情は三信興産の春日会長に聞いている。春日さんと私は、同郷で大学でも先輩、後輩の間柄だ。引抜きの噂を聞いて、春日さんに問い合せたところ、先方も寝耳に水だったらしい。一部の取締役による、業績不振のシーシェルの再起を狙った独断専行だったようだ。先日、私のところへ丁重に詫びを入れに来られた。この件に関しては、当社の高橋会長と私しか知っている者はいない。高橋会長には、君たちのことは私に一任していただいた」

 顧問は卓上のシガレットケースからタバコを取り出して火を点けた。吐き出された煙が、天井の換気孔へ吸い込まれてゆく。
「君たちも知っているように、社内の組織がしっかりしていないと企業の繁栄はおぼつかない。そして組織というものは、時代とともにその構成員も代わり、拡大、縮小を繰り返して成長していくものだ。今の組織が最良ということはありえない。今の所属部署に関して、君たちにも言いたいこともあるだろう。しかし、それは将来のための試練とは考えられないだろうか」
 五人は無言で、うつむいて聞いていた。

「当然のことだが、私はこの万葉社に心から愛着を持っている。いつまでも繁栄して欲しいと願っている。若い君たちに愛社精神の押しつけはしないが、我社は社員やその家族をはじめ、お客様、取引先、そして多くの株主の方々の期待を一身に背負っていることを忘れないで欲しい。その期待に応えるべく君たちの力を発揮する時が必ず来るはずだ」
 柳瀬の引抜きに乗って、万葉社のノウハウや情報の流出を謀ったことは、未遂に終わったにせよ、万葉社に対する歴然たる背信行為である。懲戒免職になっても文句は言えなかっただろう。それが、お咎めなしどころか、もう一度チャンスを与えられたのである。
 
 五人は池永顧問の温情ある裁定に言葉もなかった。
「それでは、もう一度聞くが、将来この万葉社を引っ張っていけるか」
「はい、やらせて下さい」
 五人は一斉に立ち上がり、声を詰まらせながらも言った。
 顧問は大きく頷いた。
 顧問の後ろの窓の外には、夏の青空が広がっていた。
 その青空の下に建築中の高層ビルが見えた。
 外壁を被うブルーの雨除けシートには、某有名ホテルの名前が書かれていた。
 またひとつ万葉社より高いビルが増えることになるな、と真田は思った。

                             (了)
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ヘッドハンティング 14

2012年05月17日 07時26分34秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「朝刊見たか」
 大原からの電話だ。
「なんだ朝っぱらから…」
 真田は壁の時計が6時半を指しているのを見ながら言った。
「いいから早く見ろ」
 電話の向こうで大原が怒鳴った。
 真田はよぎる不安に急かされるように玄関へ走り、新聞受けから朝刊を取り出した。
「経済面だ」
 受話器から聞こえる大原の声は、心なしか震えていた。

  三信興産 通販事業から撤収
 
 《三信興産は4日、通販事業からの
  撤収を表明。同社の通販部門であ
  る子会社の株式会社シーシェルを
  今年12月までに整理することを明
  らかにした。同社は三年前に買収
  したシーシェルの業績内容が悪化     
  し、累積赤字が90億を超え…… 》

 その日、定時に仕事を切り上げて、五人は『なか』に集まった。
 一週間前から雲隠れして連絡が取れなかった柳瀬から、昼休みに電話があったことを真田は四人に告げた。通販部門の責任者である柳瀬は、撤収の責任を取らされる形で、北海道にある三信興産の関連会社に出向を命じられていた。早い話が、派閥抗争に敗れた末の都落ちである。
 シーシェルの業績内容の悪化を隠していたことを責める真田に、ただただ詫びるのみの柳瀬の声には、最初に出会ったときの精彩は微塵も感じられなかった。
 
 あっけない計画の頓挫に、五人はただただ痛飲した。
「これじゃあ、まるで甲子園出場が決まっていたのに、監督の不祥事で出場辞退を余儀なくされた野球部じゃないか」
 梶尾が言った。
「野球部なら来年があるからいいさ」
「俺たちにはもう当分チャンスはないな」
「俺、内緒にしてたけど、家買ったんだ」
 上島がポツリと言った。
「本当か…いつ?」
「二週間前に引渡しが終わって、今月の末に引っ越す予定だ」
「なんで黙ってたんだよ」
「シーシェルに入社したら、豪勢にお披露目パーティやろうと思ってたんだ」

 柳瀬から保証されていた年収倍増を当て込んで、上島は借家住まいにケリをつけ、なけなしの貯金を頭金に、新築の一戸建を買ったという。
 毎月20万円、ボーナス月100万円のローン地獄が今後二十年間続くという上島は、とうてい今の会社のサラリーではやっていけないと嘆いた。

 上島だけではない。
 真田は別れた妻への慰謝料、大原はギャンブルによる多額の借金、カーマニアの梶尾はアルファ・ロメオのローン、三人の年子の父親の川本は将来のこどもの教育費…それぞれに年収倍増には、並々ならぬ期待を寄せていた。
 

 一軒目でつぶれた上島を川本がタクシーで送っていった後、真田は、大原と梶尾を古いショットバーに誘った。
 店内には、低音が極端にカットされたスタンダード・ジャズのBGMが流れていた。どこか遠いところから聞こえてくる、懐かしいトランジスタ・ラジオの音のようだった。
 カウンターの向こう側の暗い鏡が、今日の疲れを色濃く漂わせた三人を映していた。

「上島みたいに酔えたらいいよな」 
 大原がピスタチオを玩びながら言った。
「相当ショックだったんだ」
 梶尾が鏡に向かって言った。
「ショックは俺たちも同じさ」
 大原は言った。
「俺が声さえかけなかったら…」
「おまえのせいじゃないさ」
 真田の言葉をさえぎって、大原が言った。
「俺たちは自分自身で納得してこの計画に乗ったんだ。いつの間にか夢を見なくなっていた俺たちに、天が与えてくれた夢だったんだよ。でも夢はいつかは覚めるもんさ」
「浅き夢見し酔いもせずか…」
 真田はこれから何年も続く、社史編纂室での自分のサラリーマン生活の秋を想像して暗澹たる気分になった。
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ヘッドハンティング 13

2012年05月06日 01時03分52秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「真田さん、はかどってますか? カタログの歴史は」
 資料の整理をしていた真田に、課長の本山が声をかけた。
「ええ、まあ…私が入社してからの社歴とほとんど時期が重なっていますから」
 社史編纂室で真田が受け持った仕事は、カタログ事業の変遷というテーマで、当初は社内ベンチャー・ビジネスといった程度のカタログ事業が、発足後三年目に黒字計上して以来、倍々ゲームのような成長を遂げてきた歴史をまとめることだった。そのためには、カタログ事業各部署を取材して回ることが必要だった。

「ところで、毎週提出してもらってるレポートですが、取材の結果が正確に反映されてないように思えるんですが…」
 本山はどんなに若い人間に対しても、丁寧な言葉遣いをする。
「私のレポートになにか不備な点でも?」
「いや、文章も構成もしっかりしています。私としては満点に近いと思います」
「じゃあ、何が…?」
「かなり精力的に突っ込んだ取材をしているようですが…口の悪い人に言わせると、根掘り葉掘り調査しているみたいだ、という声もあって…」
 本山は歯切れが悪い。

「確かに取材は徹底的にやっています。それを快く思わない人もいると思います。それに私としては、カタログの成長の過程はよく知っていますから、ディテールの部分の確認が主になります。そのディテールは本論の補完要素に過ぎませんから、レポートには反映させていません」
 そう答えながらも、真田は内心ドキリとしていた。
「それならいいんですが…いろんな人がいますから、あまり刺激しないような取材を心がけて下さい」


 社史編纂のための取材という葵の御紋は、山辺政権下のカタログ事業各部署への出入りをかなり容易にした。管理職以上の人間の中には、真田の取材に露骨に嫌な顔をする者もいたが、若手の社員は概ね協力的だった。真田は旧所属部署である商品部へは、管理職が会議で不在の時を狙って取材にでかけて行った。重要書類やフロッピーの保管場所はわかっていたので、必要と思われるものは若手への取材の合間に片っ端からコピーした。若手の中には旧知の気安さから、元上司の真田に、現体制における窮状を訴える者も少なくなかった。

「企画の内容はクルクル変わるし、勝手にハードなスケジュールを決めるし、商品決定と校正に追われて、仕入先との商談の時間もまともに取れない状態ですよ。毎日残業の連続ですよ」
「忙しければ忙しいなりに、時間の管理は自分でやるしかないぞ。キャパオーバーなら課長なり係長に相談したらいいじゃないか」
 真田は当然とばかりに言った。
「上は上で確固とした方針がないんで、その場しのぎの指示しか出てこないんですよ。それも朝令暮改もいいとこですよ。それに媒体はどんどん増やすわ、仕入先に対しては一律5%の値下げは要求するわ、もう、無茶苦茶ですよ」
「上司批判は滅多な人には言わないほうがいいぞ。俺みたいに飛ばされかねないからな」

 つい、ふた月前までは真田の下で、忙しいなりにも不満ひとつ言わず、一枚岩のチームワークで実務をこなしてきた連中がこの変わりようである。
 今の真田に彼らの窮状を解決できる権限はないし、彼らを鼓舞する材料もない。現政権がいつまでも続くわけはない、という希望的観測に基づく慰めは言いたくはないが、若い彼らは山辺政権の交代を待てばいい。しかし真田にはそれを待つだけの時間はない。ましてや、すでにシーシェルへの転職を心に決めているのである。
 商品部以外の部署では、真田は、表立って情報収集ができない大原や梶尾たちから教えられた、業務に精通したキーマンと接触し、専門的な情報収集に努めた。
 
 7月の末には、五人の過去の経験と、集めた情報をもとに、カタログの企画から商品決定、マーチャンダイジング、受注システム、物流システムに至るまでの、カタログビシネスに関する詳細なマニュアルが完成した。
 あとは、9月の上旬にバックアップデータの中から、顧客データを抜き出してコピーするだけとなった。
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ヘッドハンティング 12

2012年04月23日 00時51分32秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 万葉社では、現在、大小約50種類のカタログが発行され、約400万人の顧客の購買履歴に基づき、いくつかの組合せパターンで効率的に配布される。カタログは、大きくは総合媒体と専門媒体に分けられ、総合媒体にはインテリア、グッズ、アウターウェア、インナーウェアの四媒体があり、専門媒体には商品ジャンルやブランド、コーディネイト、年齢層といった切り口で編集された多くの媒体がある。

 商品部のMDは、日常の商談やメーカー訪問、展示会、市場調査などによって商品情報を収集する。集めた商品情報は、写真とスペックの形でスキャンして、コンピュータに登録される。そのコンピュータには、過去にカタログに掲載された商品もほとんど登録されており、ジャンルとか、価格、テイストといった数百種類のキーワードで呼び出すことができ、画面上で自由にレイアウトし、プリントアウトも可能である。
 カタログ掲載商品は、それらの集積された情報をもとに、媒体の企画に沿って決定される。決定された商品は、約1500社の仕入先から撮影サンプルとして納入されて、MD、制作部員、コピーライター、カメラマンなどの手を経てカタログに掲載の運びとなる。

 商品が決定した時点で、MDはいくつかのファクターに基づき、販売予想数(通称オプション数)を決定し、仕入先と折衝の上、生産、納入計画を打合せ、カタログでの受注を開始する前に、オプション数の二割を物流倉庫に納入させる。受注が始まると、コンピュータによってはじき出された最終予測数に基づき追加発注をかけていく。
 要するに、カタログの効率的配布、商品情報、受注予測等、すべてがコンピュータ・システムによって管理され、稼働している。

 上島は用意した書類を四人に配りながら言った。
「うちのシステムの基本的なプログラムは理解しているんだが、ほとんどのシステムが、ここ何年間で各部署の意向でかなり複雑化しているんだ。そこで、システムのプログラミングに必要な情報を列記してみたから、当該部署の人間に接触してそれとなく聞き出して欲しいんだ。それと、各部署の過去のシステム変更依頼の控えが必要だ」
 上島の説明を聞きながら、真田は万葉社に対する後ろめたさと、まだわずかに残る愛着に訣別を告げようとしていた。
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ヘッドハンティング 11

2012年04月15日 23時11分55秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 ゴールデンウィーク明けの土曜の午後、五人は真田のマンションに集まっていた。
 家賃8万円の12畳のワンルームは、バツイチの男やもめの真田らしく、これといった家具もなくガランとしていた。

 五人がそれぞれ好きな場所に陣取って、第一回目の作戦会議が開かれていた。
 シーシェルへの移籍のXデーを9月末として、それまでに五人が理想とするカタログビジネスの設計図ともいうべき、マニュアルを完成させなければならない。
 集めるべき情報を検討し、マニュアル化のスケジュールを調整し、各自の役割分担が決定されていく。

「マニュアルや情報収集も大事だけど、肝心の顧客リストはどこにあるんだ? 貸出カードを持っていけば貸してくれるのか?」
 梶尾が言った。
 必要な情報や資料は、顧客リストを除いては、ほぼ五人の手の届く範囲に、無防備に近い状態で散在している。
「詳細な顧客データとして情報部のホストコンピュータの中に登録されているよ」
 上島が答えた。
「5万から10万件の優良顧客データだぜ。端末の画面を見ながら書き写すのか? それとも画面をハードコピーするのか?」
 大原が聞いた。

 顧客データも、住所だけなら端末から引き出せないこともないが、量があまりにも膨大過ぎる。それに顧客の詳細な特性がつかめないので、どれが優良顧客かわからない。
「バックアップデータをコピーする」
「バックアップデータ?」
「大切な情報の入ったフロッピーは、万が一の事故に備えて、別にもう一枚コピーしておくだろう。ホスト・コンピュータも同じさ」
「なるほど」
「年明けからの稼働をめどに、システムがIBMからAT&Tに入れ替えられるのは知ってるだろう。システムの入れ替えには三ヵ月ほどの移行期間が必要で、データのバックアップが取られるのは移行期間の前、9月の上旬頃だ。そのバックアップの中から顧客データを抜き出す」

「誰がやるんだ?」
「俺さ」
「でも上さんは、もうシステム管理課の人間じゃないんだぜ。どうやってコンピュータ・ルームに入り込むんだよ?」
 梶尾が上目使いに上島を見た。
「移行期間にはシステム管理課の社員は総動員される。俺にも管理課の課長から、非公式にサポートの要請が来ているんだ。取りあえず全顧客データを持ち出して、シーシェルのコンピュータで、川本っちゃんがプログラムした顧客特性分類法で、優良顧客だけをピックアップする」
 上島は続けた。
「それと、シーシェル入社後は、まずシステムの構築が当面の課題になると思う。物流システム、顧客管理システム、受注システム、統計分類システムなどだ。幸いシーシェルのホスト・コンピュータもIBMだから、先方のシステムをベースにして、うちのシステムとリンクさせながらグレードアップしていけばいい」
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ヘッドハンティング 10

2012年04月12日 00時08分49秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 小料理屋での会合を終えたあと、五人は柳瀬の二次会への誘いを断り、近くのカフェバーに入った。
 倉庫を改造したその広いカフェバーは、二年前にオープンした頃は、列ができるほど流行っていたが、その後次々とオープンした他の店に客を取られて、その日は半分以上のテーブルが、ささやかな喧騒の中でオブジェのように佇んでいた。
 五人は奥のテーブルに席を取った。

「久しぶりだな…」
 川本が水割りを飲みながら真田に言った。
「何が?」
「俺たち五人がこうして集まるのがさ。こんなかたちでまた一緒になるなんて思ってもみなかった」
「そうだな、個別には飲みに行ったりしてたけど、五人全員というのは何年ぶりかな」
 真田は全員の顔を見渡した。  
 37歳と五人の中では最年長の川本は、頭髪の後退が急速に進んでいた。上司と仕入先を訪問した際には、応接室では必ず先にお茶が出され、相手からは上司より先に名刺が差し出されるくらい老けて見られる。
 学生時代はラグビーをやっていたこともあり、フォー・ザ・チームの精神で人の面倒見がよく、子沢山で恐妻家というキャラクターと相まって、特に後輩やパートの女性には慕われていた。

 ギャンブル大帝を自認する大原は、ワイルドターキーをロックで飲みながら、梶尾と上島を相手に、間近に迫った天皇賞の必勝法を吹聴していた。大原は、従業員貸付金を借りまくっては、せっせとJRA銀行に預金していた。その額は半端ではなかったが、大原に言わせると、自分の予想が正しくてレースの結果が間違っているらしい。

 独身の梶尾は大のカーマニアで、ミニから始まって、ビートル、シトロエン、MG、そして今はアルファ・ロメオと、そのエンスー遍歴をグレードアップしてきた。クルマ通勤自粛もどこ吹く風、二日に一度は会社の来客用駐車場に、真紅のアルファ・ロメオは鎮座していた。

 最近マッキントッシュの最新機種を買ったばかりの、パソコン・オタクの上島は、趣味とサイドビジネスを兼ねて、独自のゲームソフトを開発しては、マイナーなソフト会社に売り込んでいるという。去年から開発中のソフトは、皮肉にも『ヘッドハンター』というビジネスゲームだと言って苦笑した。

 入社当時、五人は同じ部署ということもあって、仕事が終わると毎晩のように飲み歩いたものだ。それも一軒で終わることは滅多になく、金もないのに二軒、三軒と、はしごをするのが常だった。仕事の話、女の話、学生時代の話……と、話題は尽きなかった。

 しかし、カタログ事業の売上げの加速度的な伸びとともに、事業部の陣容も拡大し、チームは課になり、課は部となって、五人はそれぞれ別々の部署で多忙をきわめるようになった。
 そうなると、業務の内容や退社する時間が異なることもあり、以前のように徒党を組んで飲み歩くことも稀になっていた。
「いずれにせよ、俺たち、今後は運命共同体だ。目標に向かって突っ走るしかないぜ」
 大原がバーボンのグラスを、乾杯のかたちに掲げた。
 四人もそれにならった。
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ヘッドハンティング 9

2012年04月01日 18時19分33秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 谷岡の説明は、具体的な条件面から、現在のシーシェルの業績内容、シーシェルにおける五人の配属部署、業務内容へと進行していった。
「われわれがやるべき業務内容が、もうすでに決められているんですか?」
 上島が疑義を挟んだ。
「これは、いわばアウトラインみたいなものです。皆さんの培ってこられたノウハウで、どんどん改良していただいて結構です」
 谷岡がそつなく答える。
「そのアウトラインからはみ出したり、アウトラインそのものを書き替えることは可能なんでしょうか?」
 梶尾が突っ込んだ。
「それは…」
 谷岡は言いよどんだ。

「合理的理由があれば可能です。当然、皆さんのほうにも長年の経験に裏付けられた、カタログビジネスに関する青写真がお有りだと思います。わたくしどもが求めているのは、まさに、そこなんです。今後はわたくしどもの設計図と、皆さんの青写真を照合して、より理想に近いカタログビジネスの企業作りを目指していきましょう」
 柳瀬がすかさずフォローした。
「下衆の勘繰りかもしれませんが、業績が芳しくならなかったら、我々は二、三年で契約切れでお払い箱、ということはないんでしょうかね?」
 大原が歯に衣着せぬ口調で尋ねた。
「みなさんの身分は出向といえども正社員です。当社の都合でやめさせるということは、法律上不可能です。ただし、年俸は三年間は据え置き、業績のアップ率により特別報奨を用意しますが、それ以降は業績や貢献度によって査定されます」
 谷岡が言った。

「まるで、野球選手並みだ」
 真田は言った。
「体力勝負の野球選手だったら、俺たちの歳ではお払い箱さ」
 大原が笑いながら言った。
「そう、みなさんには、体力ではなくて知力で勝負していただきたいですね」
 柳瀬が笑いを返した。
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ヘッドハンティング 8

2012年03月29日 22時38分05秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 柳瀬が指定した小料理屋は、繁華街のはずれの、人通りの少ない路地の角にあった。
 約束の時刻の5分前に到着した真田たち五人が、仲居に案内されて奥の座敷に入っていくと、そこにはすでに柳瀬と谷岡が待っていた。テーブルの上には造りの大皿を中心に煮物や焼物が並べられていた。

 名刺交換のあと、柳瀬の音頭でビールで乾杯して歓談となったが、四人がいつになく緊張しているのが真田には感じられた。
 その緊張をほぐすように、柳瀬は学生時代の話から海外駐在時のエピソード、スポーツや芸能からギャンブル、女の話に至るまで、硬軟取り混ぜた話題で座を盛り上げた。どの話題にしても、柳瀬の知識の奥深さを感じさせた。

「おおよその話は真田さんから聞いておられると思いますが…」
 全員に適度にアルコールが回った頃を見計らって、谷岡が切りだした。
「私ども、三信興産の通販部門は、各通販会社への商品の卸しや企画提案を業務内容として十年前に発足しました。そしてご存じのように、三年前には通販業界第5位のシーシェルを傘下に入れまして、二年計画による、80億の累積赤字と60億のデッドストックの軽減にようやくめどがつきまして、これから本格的に、通販事業に乗り出す下地ができました」
 先日とは違うダークブルーのイタリアンスーツの谷岡は、年に似合わず落ち着いた口調で説明した。
「現在、通販事業に必要なシステムは、稼働中の旧シーシェルのシステムに改良を加えて整備しております。しかし残念ながら、カタログ作りのノウハウや顧客情報の面に関しては、大手通販にはまだまだ及びません。そこで今回、欧米ではもうかなり前から定着していますが、ヘッドハンティング方式で、カタログビジネスのスペシャリストの獲得を計画しました」
 
 部長の柳瀬の命を受けた谷岡は、通販各社の定例の昇進昇格や人事異動が集中する、3月の中旬から4月の上旬にかけて、興信所を使い、各社からターゲットとなる人物を絞り込んだという。
 昇進が遅れたり、不当に冷遇されたり、あるいは何らかの事情で左遷されたりした人物で、通販事情に精通したキャリア組、という基準で人選をしていた柳瀬にとって、万葉社の粛正人事のあおりでコースアウトした真田たちは、シーシェルの業績飛躍のための、格好のお買得商品だったわけである。

 真田にとってみると、一方ではうまく釣り上げられた魚という印象もなくはないが、しかしその魚に破格の年収という餌と、カタログビジネスの場という、自由に泳ぎ回れる生け簀を用意してくれたのだから、三顧の礼とはいかなくとも、需要と供給のバランスは取れているように思われた。
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ヘッドハンティング 7

2012年03月26日 07時10分17秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「俺たちも浮かばれないよな。何かいい話はないのか?」
 大原が溜息まじりに聞いた。
「ある…」
「えっ?」
「いい話かどうかは、おまえの判断しだいだ」
 真田は声をひそめながら、柳瀬からのシーシェルへの引抜きの話をした。
 大原はビールを飲むのも忘れて、じっと腕組みをして考えていた。
「五人の総意と顧客リストか…」
「そう、ひとりでも欠けると話はボツだ」
「おまえはどうする?」
 大原は聞いた。
「乗ってみようと思う」
「そうか。それなら俺も今の万葉社に未練はない。一緒に行くぞ」
「よかった。そう言うと思ってた。ちょっと待っててくれ、今、他の連中を呼び出してみるから」

 真田が取引先を名乗って、他の三人の部署へ電話を入れてみると、梶尾康平だけがまだ在社していた。
 梶尾は五人の中では最年少で、頭の回転が早く、口八丁のやんちゃ坊主がそのまま大人になった、というタイプだった。商品部時代にはインテリア商材のオリジナル開発に尽力し、数々のヒット商品を生み出した。

 残業を切り上げて、『なか』にやってきた梶尾に、真田は大原にしたと同じ話をした。
「二倍の年収は、万葉社に対してわずかに残っている期待を払拭するに充分事足りる。よって、俺もその一大プロジェクトに参画することをここに誓います」
 梶尾は躊躇することもなく即答した。 
 シーシェルでの新しい組織作りから、商品企画、仕入政策などのシステム構想をまくしたてる梶尾をなだめながら、真田は言った。
「そう煽りたてるなよ。まだ、あと二人の返事を聞いてない」

 あとの二人、上島信一郎と川本誠は、真田よりそれぞれ一歳と二歳年上で、どちらも堅実なタイプである。
「こんないい話、反対するわけないよ。あの二人、異動してからは残業もしないで、六時ジャストには退社しているらしいし」
 梶尾は、もうすっかり話は決まったものと考えているらしい。
「前の部署では、ほとんど毎日のように残業していたのにな」
 大原が頷いた。
「上さんなんか、残業しないのを課長に皮肉られた時に、残業は単なる小遣い稼ぎか、就業時間内に仕事を終えられない、自分の能力のなさを誇示しているようなものだって言ったらしいよ」
「……」
「そしたら課長は、俺の能力が劣っているって言うのか、それに課長職には残業がつかないんだぞって…そりゃあ、えらい剣幕だったらしいけど」
「で、上さんは?」
「サービス残業をするほどのロイヤルティは持ち合わせていません…だって」
「上さんらしいな」

 上島は、情報部時代にはカタログの情報統計システムの開発設計に従事しており、コンピュータ・システムまわりに精通していた。 彼の仕事に関するドラスティックな割り切り方は、物議をかもすことも多く、たびたび上司や他部署と衝突していた。過去にも何度か会議の席上で、真田や大原と激論になったこともあった。

「川本っちゃんも、奥さんの実家の商売が忙しいらしいから残業はやってないみたい」
 もうひとりの川本は、中学2年を筆頭に、三人の年子の男の子の父親で、極度の恐妻家であった。彼も定時で退社することが多かったが、それは奥さんの実家がやっている、コンビニエンス・ストアの手伝いをするためだった。そのコンビニは繁華街に近く、結構繁盛していたので、残業するよりは確実に実入りは多いらしい。
 川本は顧客情報管理のスペシャリストで、今回の引抜きのもうひとつの条件である、顧客データを分類、分析して、それを管理する部署を経験していた。

「しかし、川本ちゃん、この計画に賛同するかな…あいつのところは、奥さんがすべてのイニシアチブを握っているからな」
 真田が眉を寄せながら言った。
「なあに、旦那の収入が二倍になると聞いたら、喜んでケツを叩くさ」
 梶尾が自信たっぷりに言った。
 結局、二日後には、真田が上島に、大原と梶尾が川本に接触して、あっけないくらい簡単に、シーシェルへの片道キップの予約を取りつけた。
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ヘッドハンティング 6

2012年03月18日 21時53分15秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 柳瀬と会ってから三日後、真田は大原和之を居酒屋『なか』に誘った。
『なか』は真田たちカタログ外人部隊の行きつけの店で、八人掛けのカウンターと、小さな座敷に大小二つの座卓がある、小ぢんまりとした居酒屋だった。万葉社の他部署の社員が来ることはほとんどなかった。

 ふたりは座卓のひとつに席を取った。
「どうだ、調子は?」
 一杯目を一気に飲み干した大原のグラスにビールを注ぎながら、真田は聞いた。
「いいわけないだろう」
 大原はぶっきらぼうに言った。
 もともと大原の言動には企画マンらしい繊細さはなく、どちらかというと、不敵なものの言い方をするので、一部の上役や先輩からは煙たがられていた。しかしながらカタログの企画に関しては非凡な能力を発揮し、仕事の結果で余計な雑音をはね返していた。

「俺も同じさ。時間の流れがもの凄く遅くなった。一日に何回も時計を見てる」
 真田はカウンターの中のママに適当なつまみを頼みながら言った。
「おまえ、知ってるか?一部では俺たちもブラックじゃないかと噂されてるらしいぜ」
 大原が言った。
「誰が本当のブラックかは、俺たちが一番よく知ってるじゃないか。言いたいやつには言わせておくさ」
「しかしカタログ事業部から、俺たち外人部隊はほとんど干されてしまったからなあ。会社のトップのほうはなに考えてんだろう」
「うちは茶坊主が多いからな。正確な情報はトップには届いていないだろうな。当分は山辺摂政政権の天下だろうな」
 

 先の人事異動に伴う組織改編では、カタログ事業各部を統括する統括部が新設され、企画から商品決定、仕入、販促政策に関するほとんどの権限がそこに集権化された。
 統括部の部長は、カタログ事業本部長の松前光三郎専務が兼ねていたが、大手印刷会社からの天下りをしてから日が浅かったこともあり、実務の権限は次期部長候補と目されている、次長の山辺に委ねられていた。

 漏れ聞くところによると、高級クラブを借り切って行なわれた総括部の結成式は、さながら、山辺教組に忠誠を誓う、取巻き連中による秘密結社入会の儀式の様を呈し、我が世の春の山辺は、数軒のクラブやラウンジをはしごして散々酔ったあげく、最後の店の若いママと高級ホテルへしけ込んだ、ともっぱらの噂である。
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ヘッドハンティング 5

2012年03月11日 23時46分15秒 | 小説「ヘッドハンティング」
  商品一部 仕入一課 係長
   真田雄二(35)

  商品二部 仕入二課 係長
   梶尾康平(34)

  企画部 企画開発課 係長
   大原和之(35)

  情報部 システム開発課 係長
   上島信一郎(36)
 
  業務部 顧客管理課 係長
   川本誠(37)   

 そこには先の人事異動で、左遷同様に異動させられた者のうち、真田を含めて五人のカタログ事業部の係長が、旧所属部署の肩書きで書かれていた。
「まさか、わたしたちは身体ひとつでシーシェルに移れるわけではないんでしょうね」
「カタログ事業に関する情報やノウハウのうち、唯一あなたがたの頭の中に詰め込めないデータが必要です」 
 柳瀬は思わせぶりに言った。
「顧客データ…ですね」
「そう、それも優良顧客を5万から10万件」

 顧客データはカタログ通販の売上げの鍵を握る重要なファクターのひとつで、優良顧客は売上げの重要な基礎票である。
 グループでのまとめ買いをひとつの特色とする万葉社の場合、大きいグループとなるとひとりの代表者(通称お世話係)が何十人もの顧客を組織している。
 仮にひとりのお世話係が、年間100万円分の商品をカタログで購入するとして、5万人のお世話係では年間50億円、10万人だと100億円の売上げに貢献することになる。

「真田さん、あなたはまだ若い。どうでしょう、シーシェルであなたの能力を存分に発揮してみませんか?」
「考えさせてください」
 激しく食指が動く。しかし真田ひとりの意志ではどうにもできない問題である。
「二週間待ちましょう。その間に五人の総意をまとめて下さい。もし総意が得られない時には、この話はどうかお忘れ下さい」


 柳瀬と谷岡が立ち去った後、真田はお代わりのコーヒーを前に考え込んでいた。
 …現在の主流派がいつまでも権勢を誇れるはずはない。
 驕る平家は久しからずである。
 気長にそれを待つのか?
 閑職の社史編纂室とはいえ、一部上場の万葉社にいれば食うに困ることはない。暇な時間は趣味や自己啓発に充てればいい。

 しかし俺のやりたい仕事は、決して社史編纂などという過去の遺物をいじくり回す仕事ではなく、カタログビジネスという無限の可能性を秘めた、現代の時流に密着した仕事なんだ。
 シーシェルでは破格の待遇で、そのやりがいのある仕事ができる。現在は低迷しているとはいえ、最盛期には500億を売り上げ、通販業界の売上げベストテンにランキングされたこともある会社だ。バックには三信興産が控えている。通販部門の責任者の柳瀬の引きとあれば、万葉社ではいろいろ制約があってできなかった、もっとダイナミックなことができるだろう…。
 今の状況を考えると、真田のとる道は明らかだった。
 真田は、冷めたコーヒーを一気に飲み干すと椅子から立ち上がった。
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ヘッドハンティング 4

2012年03月08日 18時55分04秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 真田が指定した喫茶店に、柳瀬は定刻通りの午後7時に入って来た。もうひとり部下と思われる若い男が一緒だった。
 チャコールグレイのいかにも高級そうなスーツに、上背こそ170そこそこだが、スポーツジムで鍛えたようながっしりした身体を包み、ボタンダウンのオックスフォードシャツに、派手めのレジメンタルタイを締めた柳瀬は、客が少なかったせいもあるが、奥まったテーブルで待っていた真田のところへ真っすぐにやって来た。

「初めまして、三信興産の柳瀬です。これは部下の谷岡です」
「真田です」
 交換した柳瀬の名刺の肩書きは、取締役通販事業本部長となっていた。
 年の頃は50歳そこそこ、ロマンスグレイを短く整髪し、適度なゴルフ焼けをした柳瀬のビジネススマイルは、いかにも商社マンらしい精悍な印象を与えた。唯一、メタルフレームの奥の目が、人当たりのよいさわやかな笑顔の中で、如才なく光っていた。

 一方の谷岡のほうは、柳瀬と同じ部署の主任で、30歳前後の長身、ライトグレイのブランド物らしいイタリアン調のスーツをさりげなく着こなしていた。
 柳瀬はウェイトレスにコーヒーを注文してから、真田に突然の呼び出しの非礼を詫び、あたりさわりのない世間話をした。コーヒーを運んできたウェイトレスが去ると、柳瀬はおもむろに用件を切りだした。

「面倒な前置きは抜きにして単刀直入に申しあげますと、今日、真田さんにご足労いただきましたのは、シーシェルへの転職をお願いするためです」
 柳瀬は、真田の顔色を確認するように一旦言葉を切った。
 真田は無言で先を待った。
「ご存じのように、当社はシーシェルを三年前に傘下に入れまして、ようやく前期の決算で、シーシェルが抱えていた累積赤字とデッドストックを大幅に削減しました。今期は、来期からの本格的な通販事業の展開に向けての、システムまわりの構築と、人材の養成を進めているところです。各通販会社のシステムやノウハウをいろんな情報源から収集しているのですが、なかなか、皆さんガードが堅くて思うようにいってないのが現状です」

 柳瀬はコーヒーをブラックで一口飲んで続けた。
「人材にしても、旧シーシェルでは育成教育が遅れていたこともあり、可もなし不可もなしの人材しか揃っていません。そこで、現有勢力のレベルアップと並行して、同業他社からのスペシャリストのヘッドハンティングという方法をとることにしました」
「他社の私にそこまでお話になってよろしいんですか?」
 真田はさえぎるように言った。
「失礼を承知で申し上げますが、先の御社の人事異動は、反体勢力の一掃の意味合いが濃いように思われますが…」
「よくそこまで調べましたね」
 真田は内心の怒りを押し殺しながら、自嘲気味に言った。この分では、興信所でも使って真田自身のことも調べているに違いない。

「私は派閥というものが嫌いです。派閥抗争によって社内の有能な人材が埋もれていくことは、会社にとっても本人にとっても大きなマイナスです。私も長いサラリーマン生活の中で、先輩や同期の人間が、派閥抗争のしわ寄せを食って、閑職に追いやられたり、海外の出張所へ飛ばされたりしたのを何度も目のあたりにしています」
「閑職にまわされたら、カムバックのチャンスはないと…」
「常識的に考えて、捲土重来の可能性は少ないと思われます」
「……」
「身分は三信興産の出向社員、ポストは商品決定権を持つ商品開発の課長を用意します。サラリーは年俸制で現在の二倍を最低保証、業績に応じて最高一年分の特別報奨、年俸のアップも考えています」
 柳瀬に促された谷岡が言った。
 
 …柳瀬の言うように、万葉社にいても、今後、カタログの仕事に携われる見込みは少ない。ましてや、社史編纂という閑職から抜け出せるという保証もない。
 このまま、失意のうちに万葉社で生き長らえるべきか、それとも、出向とはいえ、中堅商社の課長のポストと年収倍増、うまくいけば特別報奨と合わせて三倍増、話半分としても柳瀬の誘いに乗るべきか…。

 真田の天秤は、万葉社とシーシェルの間で大きく揺れていた。
「出来すぎた話ですね…」
「ここに真田さんを含めて、五人の皆さんのリストがあります。まずは、この五人全員がシーシェルへの移籍をOKすることが条件です。他の皆さんにも、真田さんと同じクラスのポストと年俸を用意します」
 谷岡は、内ポケットから四つ折りの便箋を取り出して、テーブルの上に広げて真田に見せた。
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ヘッドハンティング 3

2012年02月29日 17時59分34秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「真田係長、お電話です」
 昼食を済ませて席に戻った真田に、電話の転送ボタンを押しながら中原智子が言った。男性社員はまだ食事から戻っておらず、室内は閑散としていた。

「はい、真田ですが…」
「初めてお電話させていただきます。私、三信興産の通販事業部の柳瀬と申します」 
 電話の声は、丁寧な言葉の中にも、どことなく威厳のある年長の役職者を思わせた。
「三信の通販事業部と言いますと、あのシーシェルの…」
 真田は思わず声をひそめた。
「いやあ、御社ほどではありませんが、同じ業界で細々とやらしていただいてます」
 三信興産は中堅の商社で、三年ほど前に、中堅のカタログ通販会社、シーシェルを傘下に収め通販事業に参入していた。
「それで、きょうお電話を差し上げたのは、ぜひ真田さんと折り入ってご相談したいことがありまして、ご都合をお聞きしたいと思いまして…」
「どういったことでしょう?」
「電話ではどうも…恐縮ですが、できたら社外でお会いしたいのですが…」

 左遷に等しい人事異動のあとで同業他社からの電話、社外での密会の要請とくれば、答はひとつ。引抜きである。
 真田は不承不承を装いながら、柳瀬と会うことを承諾し、日時と場所を伝えた。
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ヘッドハンティング 2

2012年02月27日 18時05分55秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 カタログ通販会社、万葉社は、職場に勤める女性を対象とした、頒布会形式の事業が当たり、創立二十年目にして資本金40億、年商300億で大証二部上場を果たした。その後、新規展開したカタログ事業が、時流に乗ったこともあり、瞬く間に大証一部、東証一部とランクアップして、バブル経済絶頂期には、資本金100億、年商1500億の、通販業界では押しも押されぬ最大手企業に成長した。
 
 会社の成長にともなって、社内には訪販事業部とカタログ事業部の確執に端を発した、お定まりの派閥抗争が渦巻き始めた。
 会社の母体であった訪販事業部の低迷と明暗を分けるかのような、カタログ事業部の飛躍的売上げの伸びと、それにともなう社内での発言力の拡大は、訪販事業部の生え抜きの幹部社員にとっては少なからざる脅威となっていった。

 カタログ事業部発足当時は、歯牙にもかけていなかった真田たち中途入社の社員が、訪販事業部の昇進のスピードを上回る勢いで、主任、係長とランクアップしていくと、訪販事業部は、本社や全国の営業拠点から主任、係長クラスをカタログ事業部へ異動させて勢力の均衡をはかった。
 歴史の浅いカタログ事業部内には特定の派閥などなかったので、業務部、物流部、制作部などが次々に訪販事業部系の派閥の軍門に下って行く中、企画部と商品部の牙城は、中途入社でカタログ外人部隊と呼ばれる、真田たち係長クラスの統率力によって、揺るぎないものに思われた。
 
 しかし、その牙城を内部の腐食がもとで明け渡すことになろうとは、真田たちには思いもよらぬことであった。
 カタログ事業部内でも、特に1200億を売り上げる商品部は、花の商品部と言われ、カタログ掲載商品の決定権、および仕入権を持つ商品部のMDは、社内各部署の憧れの職種であった。

 売上げのもとになる多大な仕入金額は、バブル崩壊後の不況下においては、取引先にとっては大きな魅力であった。取引きの拡大を狙う取引先の、商品部のMDやその上司に対する接待攻勢がまことしやかに噂されだした。中元、歳暮に始まり、食事や酒席の設定、ゴルフや出張旅行の招待、はては女の世話や金銭の授受……。
 社会通念に照らして必要と認められる程度の接待は、日本においては商取引を円滑に進める潤滑油と真田は考える。受ける接待の程度を判断するのは個人の良識である。真田にしてみれば、食事や酒席は可、ゴルフや出張旅行は役職によっては可、女と金は禁断の果実、絶対に不可である。

 接待は、受けた側が黙っていても、取引先の業界の中では公然の噂になる。
 A社を担当するMDが受けた接待は、A社から同業社のB社の耳に入り、B社担当のMDの知るところとなる。食事や酒席ならそう問題はないが、女や金となると問題である。残念なことに、カタログ事業部の中にも、禁断の果実に手を出したと噂される者が少なからず出てきた。
 訪販事業部系の派閥がその噂に飛びつき、興信所まで使った調査が行なわれ、その結果ブラックがあぶりだされた。その中には課長クラスの実力者も含まれていた。
 
 訪販事業部主導の粛正人事では、ブラックやグレーの社員はもとより、接待疑獄に関係のない真田をはじめ、真田と前後して中途入社した、大原和之、梶尾康平らもその対象となっていた。粛正人事に名を借りた、カタログにおける外人部隊外しは明らかだった。

 真田たちの異動を、結局は承認せざるを得なかった直属の部長連中にしても、55歳の定年まであと何年もなく、我が身の保身を考えれば、今回の人事に表立って、異論を唱えることはできなかったに違いない。
 中途採用ではあるが、カタログ事業の黎明期から十年余の間、MD業務に携わってきた真田には少なからず、カタログ事業の屋台骨を支えてきたという自負心があった。
 その自負心を見事なまでに打ち砕く、社内の骨董屋、考古学部などの異名を持つ社史編纂室への異動は、怒りを通り越して、まるで喜劇映画を観ているような気分だった。
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ヘッドハンティング 1

2012年02月24日 20時45分13秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 真田雄二は旧部署での業務の引継ぎを先週で終えて、新しい部署である総務部社史編纂室のドアを開けた。
 4月1日の人事異動の発表からちょうど一週間が経っていた。
 本社ビルの一階の社史編纂室には、正面の窓を背にして室長のデスクがあり、その前に向かい合わせに六台のデスクが並べられていた。
「おはようございます。真田です。今日からよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
 真田の挨拶に、課長の本山が物静かに応じた。定年まであと一年の白髪で長身痩躯の学者タイプだ。

「真田係長、おはようございます」
 庶務の中原智子がお茶を運んできた。こちらは白痴美コギャル、20歳だ。
 定刻10分前にもかかわらず、デスクの主はその二人しかいなかった。室長のデスクには出張の札が載せられていた。

 定刻三分前にもうひとりの課長、寺島と、係長の須藤が出社してきた。ふたりは真田の挨拶に儀礼的に答えると、それぞれに新聞や書類に目を落とした。
 寺島は本山より四歳年下の50歳、須藤はそれより三歳若い。どういう経緯でこの社史編纂室へ流れ着いたかはわからないが、ふたりは、枯れた本山とは違った諦観を漂わせていた。


「真田君、時間あるかな?」
 3月中旬のある日、商品台紙のチェックに精を出していた真田に、言葉は遠慮がちながらも、どことなく断りがたい懇願の色を漂わせながら、商品部部長の木村が声をかけた。
「ちょっと、お茶でも飲みに行こう」
 振り向いた真田に弱々しい笑みを投げかけたあと、木村は先に立って5階の喫茶室への階段へ向かった。
 たっぷりコーヒー一杯分の、どうでもいいような世間話では、居心地の悪さが解消できないことを知ると、木村はしぶしぶという感じで本題を切り出した。

 異動の話だった。
 今の部でいかに真田が必要か、異動は決して自分の本意ではない、先方の部署からの懇請に負けた…真田は、木村の白々しい言い訳を、苦々しい気持ちで聞きながら、入社の経緯を思い出していた。


 くそ暑い夏の土曜の午後。
 クーラーもついていない営業車に、クルマの添加剤を積み込んで、ガソリンスタンドや修理工場回りをしていたあの頃…。
 信号待ちで止まった郊外の一本道。
 彼方に陽炎が揺れていた。
 額の汗が目に入った。
 突然、真田はいやになった。
 …何をやってるんだ、俺は。
 もう三年も同じことの繰り返しだ。
 くそ役にも立たない添加剤なんか売るのはもうやめだ。ガソリンやオイルやグリースの臭いはもうたくさんだ…。
 喧嘩の絶えなかった妻とは、一年前に別れていた。学生結婚してから三年半の短い結婚生活だった。
 直接の原因は真田の浮気だった。
 法外な慰謝料も認めざるを得なかった。

 真田はハンドルを切って、そばの喫茶店にクルマを乗り入れた。
 その喫茶店で何気なく見た新聞に、当時売り出し中の人気タレントを起用した、社員募集の全面広告が載っていた。その広告には魅力的な文句が踊っていた。

  《明日のトレンド カタログ通信販売
   企画、制作、開発、仕入担当者 中途採用緊急募集!
   完全週休二日制
   賞与年二回、各三ヵ月、特別報奨制度有り》

 幸運にも中途入社できたその社内は、前の会社とは較べものにならないくらいの活気にあふれていた。
 多くの若い社員、私服の女性社員、出入りのデザイナーやプランナー、ファッション雑誌のようなカタログ…。
 目にするすべてが新鮮だった。
 配属された仕入課で、真田はカタログに掲載する商品を決定して、取引先と仕入折衝をする業務を任された。

 自分が決定した商品がカタログに載る。
 原価交渉をし、商品の供給背景を押さえ、発注する。商品の売れ行きに一喜一憂する。無限の可能性を秘めた、カタログビジネスの未来が、自分の双肩に委ねられているという実感が、確かにあった。
 仕事が遊びみたいに楽しかった。
 そして何よりも、真田は若かった…。
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