★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ヘッドハンティング 3

2012年02月29日 17時59分34秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「真田係長、お電話です」
 昼食を済ませて席に戻った真田に、電話の転送ボタンを押しながら中原智子が言った。男性社員はまだ食事から戻っておらず、室内は閑散としていた。

「はい、真田ですが…」
「初めてお電話させていただきます。私、三信興産の通販事業部の柳瀬と申します」 
 電話の声は、丁寧な言葉の中にも、どことなく威厳のある年長の役職者を思わせた。
「三信の通販事業部と言いますと、あのシーシェルの…」
 真田は思わず声をひそめた。
「いやあ、御社ほどではありませんが、同じ業界で細々とやらしていただいてます」
 三信興産は中堅の商社で、三年ほど前に、中堅のカタログ通販会社、シーシェルを傘下に収め通販事業に参入していた。
「それで、きょうお電話を差し上げたのは、ぜひ真田さんと折り入ってご相談したいことがありまして、ご都合をお聞きしたいと思いまして…」
「どういったことでしょう?」
「電話ではどうも…恐縮ですが、できたら社外でお会いしたいのですが…」

 左遷に等しい人事異動のあとで同業他社からの電話、社外での密会の要請とくれば、答はひとつ。引抜きである。
 真田は不承不承を装いながら、柳瀬と会うことを承諾し、日時と場所を伝えた。
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ヘッドハンティング 2

2012年02月27日 18時05分55秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 カタログ通販会社、万葉社は、職場に勤める女性を対象とした、頒布会形式の事業が当たり、創立二十年目にして資本金40億、年商300億で大証二部上場を果たした。その後、新規展開したカタログ事業が、時流に乗ったこともあり、瞬く間に大証一部、東証一部とランクアップして、バブル経済絶頂期には、資本金100億、年商1500億の、通販業界では押しも押されぬ最大手企業に成長した。
 
 会社の成長にともなって、社内には訪販事業部とカタログ事業部の確執に端を発した、お定まりの派閥抗争が渦巻き始めた。
 会社の母体であった訪販事業部の低迷と明暗を分けるかのような、カタログ事業部の飛躍的売上げの伸びと、それにともなう社内での発言力の拡大は、訪販事業部の生え抜きの幹部社員にとっては少なからざる脅威となっていった。

 カタログ事業部発足当時は、歯牙にもかけていなかった真田たち中途入社の社員が、訪販事業部の昇進のスピードを上回る勢いで、主任、係長とランクアップしていくと、訪販事業部は、本社や全国の営業拠点から主任、係長クラスをカタログ事業部へ異動させて勢力の均衡をはかった。
 歴史の浅いカタログ事業部内には特定の派閥などなかったので、業務部、物流部、制作部などが次々に訪販事業部系の派閥の軍門に下って行く中、企画部と商品部の牙城は、中途入社でカタログ外人部隊と呼ばれる、真田たち係長クラスの統率力によって、揺るぎないものに思われた。
 
 しかし、その牙城を内部の腐食がもとで明け渡すことになろうとは、真田たちには思いもよらぬことであった。
 カタログ事業部内でも、特に1200億を売り上げる商品部は、花の商品部と言われ、カタログ掲載商品の決定権、および仕入権を持つ商品部のMDは、社内各部署の憧れの職種であった。

 売上げのもとになる多大な仕入金額は、バブル崩壊後の不況下においては、取引先にとっては大きな魅力であった。取引きの拡大を狙う取引先の、商品部のMDやその上司に対する接待攻勢がまことしやかに噂されだした。中元、歳暮に始まり、食事や酒席の設定、ゴルフや出張旅行の招待、はては女の世話や金銭の授受……。
 社会通念に照らして必要と認められる程度の接待は、日本においては商取引を円滑に進める潤滑油と真田は考える。受ける接待の程度を判断するのは個人の良識である。真田にしてみれば、食事や酒席は可、ゴルフや出張旅行は役職によっては可、女と金は禁断の果実、絶対に不可である。

 接待は、受けた側が黙っていても、取引先の業界の中では公然の噂になる。
 A社を担当するMDが受けた接待は、A社から同業社のB社の耳に入り、B社担当のMDの知るところとなる。食事や酒席ならそう問題はないが、女や金となると問題である。残念なことに、カタログ事業部の中にも、禁断の果実に手を出したと噂される者が少なからず出てきた。
 訪販事業部系の派閥がその噂に飛びつき、興信所まで使った調査が行なわれ、その結果ブラックがあぶりだされた。その中には課長クラスの実力者も含まれていた。
 
 訪販事業部主導の粛正人事では、ブラックやグレーの社員はもとより、接待疑獄に関係のない真田をはじめ、真田と前後して中途入社した、大原和之、梶尾康平らもその対象となっていた。粛正人事に名を借りた、カタログにおける外人部隊外しは明らかだった。

 真田たちの異動を、結局は承認せざるを得なかった直属の部長連中にしても、55歳の定年まであと何年もなく、我が身の保身を考えれば、今回の人事に表立って、異論を唱えることはできなかったに違いない。
 中途採用ではあるが、カタログ事業の黎明期から十年余の間、MD業務に携わってきた真田には少なからず、カタログ事業の屋台骨を支えてきたという自負心があった。
 その自負心を見事なまでに打ち砕く、社内の骨董屋、考古学部などの異名を持つ社史編纂室への異動は、怒りを通り越して、まるで喜劇映画を観ているような気分だった。
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ヘッドハンティング 1

2012年02月24日 20時45分13秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 真田雄二は旧部署での業務の引継ぎを先週で終えて、新しい部署である総務部社史編纂室のドアを開けた。
 4月1日の人事異動の発表からちょうど一週間が経っていた。
 本社ビルの一階の社史編纂室には、正面の窓を背にして室長のデスクがあり、その前に向かい合わせに六台のデスクが並べられていた。
「おはようございます。真田です。今日からよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
 真田の挨拶に、課長の本山が物静かに応じた。定年まであと一年の白髪で長身痩躯の学者タイプだ。

「真田係長、おはようございます」
 庶務の中原智子がお茶を運んできた。こちらは白痴美コギャル、20歳だ。
 定刻10分前にもかかわらず、デスクの主はその二人しかいなかった。室長のデスクには出張の札が載せられていた。

 定刻三分前にもうひとりの課長、寺島と、係長の須藤が出社してきた。ふたりは真田の挨拶に儀礼的に答えると、それぞれに新聞や書類に目を落とした。
 寺島は本山より四歳年下の50歳、須藤はそれより三歳若い。どういう経緯でこの社史編纂室へ流れ着いたかはわからないが、ふたりは、枯れた本山とは違った諦観を漂わせていた。


「真田君、時間あるかな?」
 3月中旬のある日、商品台紙のチェックに精を出していた真田に、言葉は遠慮がちながらも、どことなく断りがたい懇願の色を漂わせながら、商品部部長の木村が声をかけた。
「ちょっと、お茶でも飲みに行こう」
 振り向いた真田に弱々しい笑みを投げかけたあと、木村は先に立って5階の喫茶室への階段へ向かった。
 たっぷりコーヒー一杯分の、どうでもいいような世間話では、居心地の悪さが解消できないことを知ると、木村はしぶしぶという感じで本題を切り出した。

 異動の話だった。
 今の部でいかに真田が必要か、異動は決して自分の本意ではない、先方の部署からの懇請に負けた…真田は、木村の白々しい言い訳を、苦々しい気持ちで聞きながら、入社の経緯を思い出していた。


 くそ暑い夏の土曜の午後。
 クーラーもついていない営業車に、クルマの添加剤を積み込んで、ガソリンスタンドや修理工場回りをしていたあの頃…。
 信号待ちで止まった郊外の一本道。
 彼方に陽炎が揺れていた。
 額の汗が目に入った。
 突然、真田はいやになった。
 …何をやってるんだ、俺は。
 もう三年も同じことの繰り返しだ。
 くそ役にも立たない添加剤なんか売るのはもうやめだ。ガソリンやオイルやグリースの臭いはもうたくさんだ…。
 喧嘩の絶えなかった妻とは、一年前に別れていた。学生結婚してから三年半の短い結婚生活だった。
 直接の原因は真田の浮気だった。
 法外な慰謝料も認めざるを得なかった。

 真田はハンドルを切って、そばの喫茶店にクルマを乗り入れた。
 その喫茶店で何気なく見た新聞に、当時売り出し中の人気タレントを起用した、社員募集の全面広告が載っていた。その広告には魅力的な文句が踊っていた。

  《明日のトレンド カタログ通信販売
   企画、制作、開発、仕入担当者 中途採用緊急募集!
   完全週休二日制
   賞与年二回、各三ヵ月、特別報奨制度有り》

 幸運にも中途入社できたその社内は、前の会社とは較べものにならないくらいの活気にあふれていた。
 多くの若い社員、私服の女性社員、出入りのデザイナーやプランナー、ファッション雑誌のようなカタログ…。
 目にするすべてが新鮮だった。
 配属された仕入課で、真田はカタログに掲載する商品を決定して、取引先と仕入折衝をする業務を任された。

 自分が決定した商品がカタログに載る。
 原価交渉をし、商品の供給背景を押さえ、発注する。商品の売れ行きに一喜一憂する。無限の可能性を秘めた、カタログビジネスの未来が、自分の双肩に委ねられているという実感が、確かにあった。
 仕事が遊びみたいに楽しかった。
 そして何よりも、真田は若かった…。
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