「ところで、おまえ、ウッドストックって知っとるや?」
二本目のチェリオを飲み干した下川が僕に聞いた。
「去年アメリカでやっとった、ロックコンサートやろ」
「そうたい、アメリカの一流のロックミュージシャンが総出演した、ヒッピーの大イベントで、アメリカの社会体制に意識変革ば求めた若者の文化的、歴史的、大フェスティバルたい」
下川は彼のバイブル、『平凡パンチ』の記事の受け売りをした。
僕も一応、ウッドストックのフェスティバルについては、音楽雑誌などで読んだことがあったし、スリーホンキーズの高木の持っていたアルバムを聴いたりもしていた。
すでに東京では、アメリカのヒッピーに触発された、和製ヒッピーやフーテン族が社会現象となり、同時に台頭してきたニューロックのコンサートが各地で催されていた。カウンター・カルチャーとかドラッグ、ドロップアウト、ラブ&ピースといった言葉がマスコミで話題に上っていた。
「どうね、おまえも実際にウッドストックのフェスティバルのような、若者の文化ばプロデュースしてみんか」
「東京へ行ってか?」
「いや、この町で、この夏にたい」
「……?」
「実はな、8月の半ばに、兄貴が大学でやっとるロック同好会とアングラ劇団がこの町で合宿ばすると。そいで合宿の打ち上げの日には、大ロックコンサートとアングラ劇ばやるらしか」
「何や、大学のクラブの合宿か」
「まあ聞け、まだ先があると。そのコンサートの特別ゲストが凄かとぞ。誰やと思う?」
「ジミ・ヘンドリクスか?」
「バカ、でも当たらずとも遠からずぞ。ジミヘンとは言わんまでも、日本のロック界じゃあ知る人ぞ知るアーティストたい」
「誰や、もったいつけんと早よ言え」
「その人の名は伊吹マモル、別名マジックハンド・マモル!」
「え~っ、あのマジカル・トラベリング・バンドの伊吹マモルか? 冗談やろ」
「冗談じゃなか、その伊吹マモルたい」
伊吹マモルは、当時のニューロック・シーンで独自の世界を構築し、和製ヒッピーの熱狂的な支持を得ていた。その過激で華麗なギターテクニックは、全国のギター少年の憧れの的で、エリック・クラプトンのスローハンドをもじってマジックハンドの異名をとっていた。
「でも、何で伊吹マモルが大学のクラブの合宿なんかに来ると?」
「いろんな幸運がピタリと一致したからたい」
下川の言う幸運とは、伊吹マモルがその当時、ニューロックを広めようと、全国的規模で百円コンサートという、ほとんど経費持ち出しのコンサートツアーの真最中で、クラブの合宿の打ち上げの日が九州ツアーの移動日だったこと。伊吹マモルの従弟がN大生で、偶然にもロック同好会の会長だったこと。そして伊吹マモルが陶芸に興味を持っていたことであった。
そこで下川の兄はロック同好会の会長をたきつけて、伊吹マモルに渡りをつけ、百円コンサートの日本のロックシーンにおける功績を讃え、かつ、九州の辺境の田舎町の若者文化の窮乏を綿々と訴え、また知りあいの窯元を案内することを約束したらしい。
そのかいあってかどうか、伊吹マモルは一曲だけを条件に、合宿の打ち上げコンサートへの出演を了解したそうだ。
「ところで、今晩うちにメシ食いに来いよ。兄貴がおまえに何か話があるらしか」
「何の話や?」
「まあ、来ればわかる。さあて、そろそろ練習に復帰するとするか。由紀ちゃん、邪魔したな、お代はここに置いとくぜ。釣りはいらねえぜ」
下川は僕を促すと、肥満体を揺すりながら立ち上がった。
*ここまで読んでご興味を持っていただいた方は、ぜびAmazon Kindleストアの拙著「さらば夏の日1970」をお買い求めの上、続きをご購読いただきますようお願いいたします。
二本目のチェリオを飲み干した下川が僕に聞いた。
「去年アメリカでやっとった、ロックコンサートやろ」
「そうたい、アメリカの一流のロックミュージシャンが総出演した、ヒッピーの大イベントで、アメリカの社会体制に意識変革ば求めた若者の文化的、歴史的、大フェスティバルたい」
下川は彼のバイブル、『平凡パンチ』の記事の受け売りをした。
僕も一応、ウッドストックのフェスティバルについては、音楽雑誌などで読んだことがあったし、スリーホンキーズの高木の持っていたアルバムを聴いたりもしていた。
すでに東京では、アメリカのヒッピーに触発された、和製ヒッピーやフーテン族が社会現象となり、同時に台頭してきたニューロックのコンサートが各地で催されていた。カウンター・カルチャーとかドラッグ、ドロップアウト、ラブ&ピースといった言葉がマスコミで話題に上っていた。
「どうね、おまえも実際にウッドストックのフェスティバルのような、若者の文化ばプロデュースしてみんか」
「東京へ行ってか?」
「いや、この町で、この夏にたい」
「……?」
「実はな、8月の半ばに、兄貴が大学でやっとるロック同好会とアングラ劇団がこの町で合宿ばすると。そいで合宿の打ち上げの日には、大ロックコンサートとアングラ劇ばやるらしか」
「何や、大学のクラブの合宿か」
「まあ聞け、まだ先があると。そのコンサートの特別ゲストが凄かとぞ。誰やと思う?」
「ジミ・ヘンドリクスか?」
「バカ、でも当たらずとも遠からずぞ。ジミヘンとは言わんまでも、日本のロック界じゃあ知る人ぞ知るアーティストたい」
「誰や、もったいつけんと早よ言え」
「その人の名は伊吹マモル、別名マジックハンド・マモル!」
「え~っ、あのマジカル・トラベリング・バンドの伊吹マモルか? 冗談やろ」
「冗談じゃなか、その伊吹マモルたい」
伊吹マモルは、当時のニューロック・シーンで独自の世界を構築し、和製ヒッピーの熱狂的な支持を得ていた。その過激で華麗なギターテクニックは、全国のギター少年の憧れの的で、エリック・クラプトンのスローハンドをもじってマジックハンドの異名をとっていた。
「でも、何で伊吹マモルが大学のクラブの合宿なんかに来ると?」
「いろんな幸運がピタリと一致したからたい」
下川の言う幸運とは、伊吹マモルがその当時、ニューロックを広めようと、全国的規模で百円コンサートという、ほとんど経費持ち出しのコンサートツアーの真最中で、クラブの合宿の打ち上げの日が九州ツアーの移動日だったこと。伊吹マモルの従弟がN大生で、偶然にもロック同好会の会長だったこと。そして伊吹マモルが陶芸に興味を持っていたことであった。
そこで下川の兄はロック同好会の会長をたきつけて、伊吹マモルに渡りをつけ、百円コンサートの日本のロックシーンにおける功績を讃え、かつ、九州の辺境の田舎町の若者文化の窮乏を綿々と訴え、また知りあいの窯元を案内することを約束したらしい。
そのかいあってかどうか、伊吹マモルは一曲だけを条件に、合宿の打ち上げコンサートへの出演を了解したそうだ。
「ところで、今晩うちにメシ食いに来いよ。兄貴がおまえに何か話があるらしか」
「何の話や?」
「まあ、来ればわかる。さあて、そろそろ練習に復帰するとするか。由紀ちゃん、邪魔したな、お代はここに置いとくぜ。釣りはいらねえぜ」
下川は僕を促すと、肥満体を揺すりながら立ち上がった。
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