★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ヘッドハンティング 15

2012年05月21日 19時06分05秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「真田係長、さきほど池永顧問から内線があって、お電話いただきたいとのことです」
 出社してきた真田に中原智子が告げた。
 池永顧問は現会長、社長とともに万葉社創業のメンバーで、三年前に副社長を勇退してからは、非常勤の顧問として月に二、三回出社していた。顧問がカタログ事業部の本部長時代には、真田たち外人部隊は何かと目をかけてもらっていた。
 久しぶりの呼び出しに、一抹の不安を抱きながら、さっそく電話すると、今日の1時に顧問室へ来るようにとのことだった。


 1時5分前に、本社11階の顧問室に行くと、顧問席の前のソファには、大原たち四人がかしこまって座っていた。
 それを見て真田は、不安が的中したのを知らされた。
 池永顧問に目顔で促されて、真田は大原の隣に腰をおろした。

「昔はこの辺りでうちのビルが一番高かったのに、今ではうちより高いビルが多くなったもんだなあ」
 顧問は席の後ろに立ち、窓から外の景色を眺めながら、誰にともなくつぶやいた。
「創業当時の本社を知ってるかね? 木造の二階建だったよ。社員は全員営業で、成績のいい者は自転車で、あとの者は徒歩で会社回りをしていたよ。あれは慰安旅行の時だったかな…みんなで東京タワーに昇って、東京の街並みを見おろしていた時に、『こんな展望台がうちの会社にもあればなあ』と誰かが言ったのを今の会長が耳にされて、『よし、上場したら展望レストランがある本社ビルを建ててやる』と約束されたんだ。当時はまだ社員20人ほどの小さな会社で、誰も上場するとは思っていなかったよ。それがあれよあれよという間に…」
 最上階に、三方がガラス張りの社員食堂を持つ、12階建ての白亜の本社ビルが完成したのは、上場二年目の春であった。

「今では社員1000人の大所帯だ。われわれ年寄りは、ここまでこの大所帯を引っ張って来たが、今後は今の課長、係長クラスが舵取りをしてこの万葉社を引っ張る番だ。どうだ、君たちにできるか」
 顧問は、五人のほうへ向き直った。
 五人は無言で頭を垂れていた。
「どうだ、真田君、できるか」
「顧問、申し訳ありません。私たちにその資格はありません。私たちは万葉社を…」
「皆まで言うな。事情は三信興産の春日会長に聞いている。春日さんと私は、同郷で大学でも先輩、後輩の間柄だ。引抜きの噂を聞いて、春日さんに問い合せたところ、先方も寝耳に水だったらしい。一部の取締役による、業績不振のシーシェルの再起を狙った独断専行だったようだ。先日、私のところへ丁重に詫びを入れに来られた。この件に関しては、当社の高橋会長と私しか知っている者はいない。高橋会長には、君たちのことは私に一任していただいた」

 顧問は卓上のシガレットケースからタバコを取り出して火を点けた。吐き出された煙が、天井の換気孔へ吸い込まれてゆく。
「君たちも知っているように、社内の組織がしっかりしていないと企業の繁栄はおぼつかない。そして組織というものは、時代とともにその構成員も代わり、拡大、縮小を繰り返して成長していくものだ。今の組織が最良ということはありえない。今の所属部署に関して、君たちにも言いたいこともあるだろう。しかし、それは将来のための試練とは考えられないだろうか」
 五人は無言で、うつむいて聞いていた。

「当然のことだが、私はこの万葉社に心から愛着を持っている。いつまでも繁栄して欲しいと願っている。若い君たちに愛社精神の押しつけはしないが、我社は社員やその家族をはじめ、お客様、取引先、そして多くの株主の方々の期待を一身に背負っていることを忘れないで欲しい。その期待に応えるべく君たちの力を発揮する時が必ず来るはずだ」
 柳瀬の引抜きに乗って、万葉社のノウハウや情報の流出を謀ったことは、未遂に終わったにせよ、万葉社に対する歴然たる背信行為である。懲戒免職になっても文句は言えなかっただろう。それが、お咎めなしどころか、もう一度チャンスを与えられたのである。
 
 五人は池永顧問の温情ある裁定に言葉もなかった。
「それでは、もう一度聞くが、将来この万葉社を引っ張っていけるか」
「はい、やらせて下さい」
 五人は一斉に立ち上がり、声を詰まらせながらも言った。
 顧問は大きく頷いた。
 顧問の後ろの窓の外には、夏の青空が広がっていた。
 その青空の下に建築中の高層ビルが見えた。
 外壁を被うブルーの雨除けシートには、某有名ホテルの名前が書かれていた。
 またひとつ万葉社より高いビルが増えることになるな、と真田は思った。

                             (了)
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ヘッドハンティング 14

2012年05月17日 07時26分34秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「朝刊見たか」
 大原からの電話だ。
「なんだ朝っぱらから…」
 真田は壁の時計が6時半を指しているのを見ながら言った。
「いいから早く見ろ」
 電話の向こうで大原が怒鳴った。
 真田はよぎる不安に急かされるように玄関へ走り、新聞受けから朝刊を取り出した。
「経済面だ」
 受話器から聞こえる大原の声は、心なしか震えていた。

  三信興産 通販事業から撤収
 
 《三信興産は4日、通販事業からの
  撤収を表明。同社の通販部門であ
  る子会社の株式会社シーシェルを
  今年12月までに整理することを明
  らかにした。同社は三年前に買収
  したシーシェルの業績内容が悪化     
  し、累積赤字が90億を超え…… 》

 その日、定時に仕事を切り上げて、五人は『なか』に集まった。
 一週間前から雲隠れして連絡が取れなかった柳瀬から、昼休みに電話があったことを真田は四人に告げた。通販部門の責任者である柳瀬は、撤収の責任を取らされる形で、北海道にある三信興産の関連会社に出向を命じられていた。早い話が、派閥抗争に敗れた末の都落ちである。
 シーシェルの業績内容の悪化を隠していたことを責める真田に、ただただ詫びるのみの柳瀬の声には、最初に出会ったときの精彩は微塵も感じられなかった。
 
 あっけない計画の頓挫に、五人はただただ痛飲した。
「これじゃあ、まるで甲子園出場が決まっていたのに、監督の不祥事で出場辞退を余儀なくされた野球部じゃないか」
 梶尾が言った。
「野球部なら来年があるからいいさ」
「俺たちにはもう当分チャンスはないな」
「俺、内緒にしてたけど、家買ったんだ」
 上島がポツリと言った。
「本当か…いつ?」
「二週間前に引渡しが終わって、今月の末に引っ越す予定だ」
「なんで黙ってたんだよ」
「シーシェルに入社したら、豪勢にお披露目パーティやろうと思ってたんだ」

 柳瀬から保証されていた年収倍増を当て込んで、上島は借家住まいにケリをつけ、なけなしの貯金を頭金に、新築の一戸建を買ったという。
 毎月20万円、ボーナス月100万円のローン地獄が今後二十年間続くという上島は、とうてい今の会社のサラリーではやっていけないと嘆いた。

 上島だけではない。
 真田は別れた妻への慰謝料、大原はギャンブルによる多額の借金、カーマニアの梶尾はアルファ・ロメオのローン、三人の年子の父親の川本は将来のこどもの教育費…それぞれに年収倍増には、並々ならぬ期待を寄せていた。
 

 一軒目でつぶれた上島を川本がタクシーで送っていった後、真田は、大原と梶尾を古いショットバーに誘った。
 店内には、低音が極端にカットされたスタンダード・ジャズのBGMが流れていた。どこか遠いところから聞こえてくる、懐かしいトランジスタ・ラジオの音のようだった。
 カウンターの向こう側の暗い鏡が、今日の疲れを色濃く漂わせた三人を映していた。

「上島みたいに酔えたらいいよな」 
 大原がピスタチオを玩びながら言った。
「相当ショックだったんだ」
 梶尾が鏡に向かって言った。
「ショックは俺たちも同じさ」
 大原は言った。
「俺が声さえかけなかったら…」
「おまえのせいじゃないさ」
 真田の言葉をさえぎって、大原が言った。
「俺たちは自分自身で納得してこの計画に乗ったんだ。いつの間にか夢を見なくなっていた俺たちに、天が与えてくれた夢だったんだよ。でも夢はいつかは覚めるもんさ」
「浅き夢見し酔いもせずか…」
 真田はこれから何年も続く、社史編纂室での自分のサラリーマン生活の秋を想像して暗澹たる気分になった。
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ヘッドハンティング 13

2012年05月06日 01時03分52秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「真田さん、はかどってますか? カタログの歴史は」
 資料の整理をしていた真田に、課長の本山が声をかけた。
「ええ、まあ…私が入社してからの社歴とほとんど時期が重なっていますから」
 社史編纂室で真田が受け持った仕事は、カタログ事業の変遷というテーマで、当初は社内ベンチャー・ビジネスといった程度のカタログ事業が、発足後三年目に黒字計上して以来、倍々ゲームのような成長を遂げてきた歴史をまとめることだった。そのためには、カタログ事業各部署を取材して回ることが必要だった。

「ところで、毎週提出してもらってるレポートですが、取材の結果が正確に反映されてないように思えるんですが…」
 本山はどんなに若い人間に対しても、丁寧な言葉遣いをする。
「私のレポートになにか不備な点でも?」
「いや、文章も構成もしっかりしています。私としては満点に近いと思います」
「じゃあ、何が…?」
「かなり精力的に突っ込んだ取材をしているようですが…口の悪い人に言わせると、根掘り葉掘り調査しているみたいだ、という声もあって…」
 本山は歯切れが悪い。

「確かに取材は徹底的にやっています。それを快く思わない人もいると思います。それに私としては、カタログの成長の過程はよく知っていますから、ディテールの部分の確認が主になります。そのディテールは本論の補完要素に過ぎませんから、レポートには反映させていません」
 そう答えながらも、真田は内心ドキリとしていた。
「それならいいんですが…いろんな人がいますから、あまり刺激しないような取材を心がけて下さい」


 社史編纂のための取材という葵の御紋は、山辺政権下のカタログ事業各部署への出入りをかなり容易にした。管理職以上の人間の中には、真田の取材に露骨に嫌な顔をする者もいたが、若手の社員は概ね協力的だった。真田は旧所属部署である商品部へは、管理職が会議で不在の時を狙って取材にでかけて行った。重要書類やフロッピーの保管場所はわかっていたので、必要と思われるものは若手への取材の合間に片っ端からコピーした。若手の中には旧知の気安さから、元上司の真田に、現体制における窮状を訴える者も少なくなかった。

「企画の内容はクルクル変わるし、勝手にハードなスケジュールを決めるし、商品決定と校正に追われて、仕入先との商談の時間もまともに取れない状態ですよ。毎日残業の連続ですよ」
「忙しければ忙しいなりに、時間の管理は自分でやるしかないぞ。キャパオーバーなら課長なり係長に相談したらいいじゃないか」
 真田は当然とばかりに言った。
「上は上で確固とした方針がないんで、その場しのぎの指示しか出てこないんですよ。それも朝令暮改もいいとこですよ。それに媒体はどんどん増やすわ、仕入先に対しては一律5%の値下げは要求するわ、もう、無茶苦茶ですよ」
「上司批判は滅多な人には言わないほうがいいぞ。俺みたいに飛ばされかねないからな」

 つい、ふた月前までは真田の下で、忙しいなりにも不満ひとつ言わず、一枚岩のチームワークで実務をこなしてきた連中がこの変わりようである。
 今の真田に彼らの窮状を解決できる権限はないし、彼らを鼓舞する材料もない。現政権がいつまでも続くわけはない、という希望的観測に基づく慰めは言いたくはないが、若い彼らは山辺政権の交代を待てばいい。しかし真田にはそれを待つだけの時間はない。ましてや、すでにシーシェルへの転職を心に決めているのである。
 商品部以外の部署では、真田は、表立って情報収集ができない大原や梶尾たちから教えられた、業務に精通したキーマンと接触し、専門的な情報収集に努めた。
 
 7月の末には、五人の過去の経験と、集めた情報をもとに、カタログの企画から商品決定、マーチャンダイジング、受注システム、物流システムに至るまでの、カタログビシネスに関する詳細なマニュアルが完成した。
 あとは、9月の上旬にバックアップデータの中から、顧客データを抜き出してコピーするだけとなった。
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