修二とみどりは市電で河原町三条へ出て、新京極のマクドナルドに行った。店内には春休み中の女子高生や女子大生、若いアベックなどがひしめいていた。ふたりは窓際のカウンターテーブルに席を確保して、修二はビッグマックとマックシェイクのストロベリーとポテトのMを、みどりはチーズバーガーとコーヒーを注文した。
初めて食べるビッグマックの味は、田舎のパン屋のハンバーガーとはやっぱり歴然と違っていた。味の違いは内容物にあるとにらんだ修二は、ひと口食べたビッグマックを分解してパーツを確認した。
パン、ハンバーグ、チーズ、レタス、オニオン、ピクルス、マスタード…。
出来たてということもあるが、都会の味の秘密は、オニオンのみじん切りのほろ苦さ、スライスしたピクルスの甘酸っぱさ、それをサポートするマックシェイクの、香料の効いた甘さにあるように思われた。いわゆる、不協和音のようなテンションをはらんだハーモニー、それが都会の味かもしれない。
そんなことを考えながら、修二は分解したビッグマックをもと通りに組み立てて、再びかぶりついた。最初は相当な吸引力を必要としたマックシェイクも、だんだん柔らかくなって飲み易くなってきた。
「変わった食べ方だね」
みどりが、まわりの冷たい視線を目顔で示しながら、あきれたように言った。
「そうですか? 別に気にしませんから」
「わたしが気になるの。理科の実験じゃあるまいし、ビッグマックを解剖するのはやめたほうがいいと思うよ」
「すいません。以後気をつけます」
みどりの眉間のシワに恐れをなして、修二は素直に謝った。
マクドナルドを出てから、ふたりは新京極や河原町を歩き回った。
つい2、3日前、ひとりで街を歩いて回った時には、異邦人に冷たく拒絶のカーテンを引いていた店々も、その日はみどりという美貌のパスポート携帯のためか、歓迎の小旗を振っているように思われた。
修二は、みどりの案内で、軒を並べる雑貨ショップやファッションビルやレコード店やデパートをのぞいて回り、田舎とは比べものにならない、豊富で目新しい商品に、いちいち感嘆の声を上げていた。
道行く学生や、ショップの店員たちの羨望の視線を意識しながら、修二は有頂天になっていた。楽器店のショーウィンドウに映る二人の姿は、まさに、お似合いのベストカップルのように思われた。
「やあ、みどりやないか!」
ふたりの背後から声がかかったのは、楽器店に入ろうとしていた、その時だった。
「なにしてんねん、こんなとこで」
声をかけてきたのは、紺色のダブルのブレザー、長髪にパーマの、メタルフレームのメガネの男だった。
「別に、あなたに関係ないでしょう」
みどりの顔に一瞬、朱が走った。
「なんや、冷たいな。まだ怒っとんのか?」
「……」
「まあ、僕の話も聞いてや。向こうにクルマ止めとるんや、ドライブしながら話しよう」
男は半ば強引にみどりの腕をつかんだ。
「ちょっと待った!」
年齢は修二より明らかに上のようだが、華奢な身体で、腕っぷしのほうはそんなに強そうではなかったので、修二は、みどりの腕にかかったその男の手を払いのけた。
「なにすんねん、おまえは」
紺ブレ男は、メタルフレームの奥から修二をにらんだ。
「僕は、この人の連れたい。一緒なんがわからんとか」
「連れ? 君がか? 田舎者はだまって引っ込んどけや」
田舎者と言われて、修二のアドレナリンは沸騰した。
「なんば言うか。この軟弱キザ男」
言うや否や、修二は紺ブレ男の襟首を掴みにかかった。
襟首を掴んだと思った次の瞬間、目の前の天と地が反転した。
気がつくと、修二は不様にもうつぶせに倒されて、背中で右腕の関節を決められていた。つるりとした敷石の大理石模様が、目と鼻の先で冷たく光っていた。
強引に身体を起こそうとする修二に、醒めた声が頭の上から降ってきた。
「暴れると関節がはずれるで」
鋭い右腕の痛みに、修二は思わず身動きを止めた。
パチーンという乾いた破裂音が、短い膠着状態を打ち破った。
「やめてよ。怪我させるつもり?」
みどりの放った平手打ちと鋭い叫びに、紺ブレ男はたじろいだように、修二の腕を離して立ち上がり、まわりにでき始めていた人だかりに気づいたようだった。
「悪かったな、でも正当防衛や」
修二に言うと、みどりに張られた右の頬を撫でながら足早に去っていった。
「大丈夫?」
みどりは、立ち上がった修二の服についた汚れを手で払い落としながら言った。
「何者ですか?」
修二は痛みの残る右腕をぐるぐる回しながら聞いた。
「ちょっとした知り合い」
みどりの返事は素っ気なかった。
「軟弱そうでしたけど、結構、素早い奴でしたね」
「合気道の有段者よ」
「どうりで…いやあ、完全に一本取られましたね」
修二は照れ隠しに、首をすくめておどけてみせた。実際、あまりの早わざに、恐怖を感じる暇もなかったし、腹立ちもなかった。
「バカ、怪我でもしてたらどうするのよ」
「……」
みどりの剣幕に修二はたじろいだ。
「ごめん。大声出したりして…」
並んで歩き出したものの、みどりは、なにか考え事でもしているらしく、修二の問いかけにも上の空で、さっきまでの和やかさが嘘のように、ふたりの間になんとなく気まずい雰囲気が漂い始めていた。
「わたし帰る」
気まずさを断ち切るように、みどりが立ち止まって言った。
「えっ?」
「きょうは楽しかった。ありがとう」
「僕のほうこそ」
「じゃあ、また」
みどりは小さく片手を上げると、くるりと踵を返して歩いてきた道を戻っていった。
修二は半ば呆気にとられて、みどりの後ろ姿が角を曲がって見えなくなるまで、ぼんやりと見送っていた。
*ここまで読んでご興味を持っていただいた方は、ぜひAmazon Kindleストアにて「京都青春セレナーデ」をお買い求めになり、続きをご購読いただきますようお願いいたします。
初めて食べるビッグマックの味は、田舎のパン屋のハンバーガーとはやっぱり歴然と違っていた。味の違いは内容物にあるとにらんだ修二は、ひと口食べたビッグマックを分解してパーツを確認した。
パン、ハンバーグ、チーズ、レタス、オニオン、ピクルス、マスタード…。
出来たてということもあるが、都会の味の秘密は、オニオンのみじん切りのほろ苦さ、スライスしたピクルスの甘酸っぱさ、それをサポートするマックシェイクの、香料の効いた甘さにあるように思われた。いわゆる、不協和音のようなテンションをはらんだハーモニー、それが都会の味かもしれない。
そんなことを考えながら、修二は分解したビッグマックをもと通りに組み立てて、再びかぶりついた。最初は相当な吸引力を必要としたマックシェイクも、だんだん柔らかくなって飲み易くなってきた。
「変わった食べ方だね」
みどりが、まわりの冷たい視線を目顔で示しながら、あきれたように言った。
「そうですか? 別に気にしませんから」
「わたしが気になるの。理科の実験じゃあるまいし、ビッグマックを解剖するのはやめたほうがいいと思うよ」
「すいません。以後気をつけます」
みどりの眉間のシワに恐れをなして、修二は素直に謝った。
マクドナルドを出てから、ふたりは新京極や河原町を歩き回った。
つい2、3日前、ひとりで街を歩いて回った時には、異邦人に冷たく拒絶のカーテンを引いていた店々も、その日はみどりという美貌のパスポート携帯のためか、歓迎の小旗を振っているように思われた。
修二は、みどりの案内で、軒を並べる雑貨ショップやファッションビルやレコード店やデパートをのぞいて回り、田舎とは比べものにならない、豊富で目新しい商品に、いちいち感嘆の声を上げていた。
道行く学生や、ショップの店員たちの羨望の視線を意識しながら、修二は有頂天になっていた。楽器店のショーウィンドウに映る二人の姿は、まさに、お似合いのベストカップルのように思われた。
「やあ、みどりやないか!」
ふたりの背後から声がかかったのは、楽器店に入ろうとしていた、その時だった。
「なにしてんねん、こんなとこで」
声をかけてきたのは、紺色のダブルのブレザー、長髪にパーマの、メタルフレームのメガネの男だった。
「別に、あなたに関係ないでしょう」
みどりの顔に一瞬、朱が走った。
「なんや、冷たいな。まだ怒っとんのか?」
「……」
「まあ、僕の話も聞いてや。向こうにクルマ止めとるんや、ドライブしながら話しよう」
男は半ば強引にみどりの腕をつかんだ。
「ちょっと待った!」
年齢は修二より明らかに上のようだが、華奢な身体で、腕っぷしのほうはそんなに強そうではなかったので、修二は、みどりの腕にかかったその男の手を払いのけた。
「なにすんねん、おまえは」
紺ブレ男は、メタルフレームの奥から修二をにらんだ。
「僕は、この人の連れたい。一緒なんがわからんとか」
「連れ? 君がか? 田舎者はだまって引っ込んどけや」
田舎者と言われて、修二のアドレナリンは沸騰した。
「なんば言うか。この軟弱キザ男」
言うや否や、修二は紺ブレ男の襟首を掴みにかかった。
襟首を掴んだと思った次の瞬間、目の前の天と地が反転した。
気がつくと、修二は不様にもうつぶせに倒されて、背中で右腕の関節を決められていた。つるりとした敷石の大理石模様が、目と鼻の先で冷たく光っていた。
強引に身体を起こそうとする修二に、醒めた声が頭の上から降ってきた。
「暴れると関節がはずれるで」
鋭い右腕の痛みに、修二は思わず身動きを止めた。
パチーンという乾いた破裂音が、短い膠着状態を打ち破った。
「やめてよ。怪我させるつもり?」
みどりの放った平手打ちと鋭い叫びに、紺ブレ男はたじろいだように、修二の腕を離して立ち上がり、まわりにでき始めていた人だかりに気づいたようだった。
「悪かったな、でも正当防衛や」
修二に言うと、みどりに張られた右の頬を撫でながら足早に去っていった。
「大丈夫?」
みどりは、立ち上がった修二の服についた汚れを手で払い落としながら言った。
「何者ですか?」
修二は痛みの残る右腕をぐるぐる回しながら聞いた。
「ちょっとした知り合い」
みどりの返事は素っ気なかった。
「軟弱そうでしたけど、結構、素早い奴でしたね」
「合気道の有段者よ」
「どうりで…いやあ、完全に一本取られましたね」
修二は照れ隠しに、首をすくめておどけてみせた。実際、あまりの早わざに、恐怖を感じる暇もなかったし、腹立ちもなかった。
「バカ、怪我でもしてたらどうするのよ」
「……」
みどりの剣幕に修二はたじろいだ。
「ごめん。大声出したりして…」
並んで歩き出したものの、みどりは、なにか考え事でもしているらしく、修二の問いかけにも上の空で、さっきまでの和やかさが嘘のように、ふたりの間になんとなく気まずい雰囲気が漂い始めていた。
「わたし帰る」
気まずさを断ち切るように、みどりが立ち止まって言った。
「えっ?」
「きょうは楽しかった。ありがとう」
「僕のほうこそ」
「じゃあ、また」
みどりは小さく片手を上げると、くるりと踵を返して歩いてきた道を戻っていった。
修二は半ば呆気にとられて、みどりの後ろ姿が角を曲がって見えなくなるまで、ぼんやりと見送っていた。
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