★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ヘッドハンティング 8

2012年03月29日 22時38分05秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 柳瀬が指定した小料理屋は、繁華街のはずれの、人通りの少ない路地の角にあった。
 約束の時刻の5分前に到着した真田たち五人が、仲居に案内されて奥の座敷に入っていくと、そこにはすでに柳瀬と谷岡が待っていた。テーブルの上には造りの大皿を中心に煮物や焼物が並べられていた。

 名刺交換のあと、柳瀬の音頭でビールで乾杯して歓談となったが、四人がいつになく緊張しているのが真田には感じられた。
 その緊張をほぐすように、柳瀬は学生時代の話から海外駐在時のエピソード、スポーツや芸能からギャンブル、女の話に至るまで、硬軟取り混ぜた話題で座を盛り上げた。どの話題にしても、柳瀬の知識の奥深さを感じさせた。

「おおよその話は真田さんから聞いておられると思いますが…」
 全員に適度にアルコールが回った頃を見計らって、谷岡が切りだした。
「私ども、三信興産の通販部門は、各通販会社への商品の卸しや企画提案を業務内容として十年前に発足しました。そしてご存じのように、三年前には通販業界第5位のシーシェルを傘下に入れまして、二年計画による、80億の累積赤字と60億のデッドストックの軽減にようやくめどがつきまして、これから本格的に、通販事業に乗り出す下地ができました」
 先日とは違うダークブルーのイタリアンスーツの谷岡は、年に似合わず落ち着いた口調で説明した。
「現在、通販事業に必要なシステムは、稼働中の旧シーシェルのシステムに改良を加えて整備しております。しかし残念ながら、カタログ作りのノウハウや顧客情報の面に関しては、大手通販にはまだまだ及びません。そこで今回、欧米ではもうかなり前から定着していますが、ヘッドハンティング方式で、カタログビジネスのスペシャリストの獲得を計画しました」
 
 部長の柳瀬の命を受けた谷岡は、通販各社の定例の昇進昇格や人事異動が集中する、3月の中旬から4月の上旬にかけて、興信所を使い、各社からターゲットとなる人物を絞り込んだという。
 昇進が遅れたり、不当に冷遇されたり、あるいは何らかの事情で左遷されたりした人物で、通販事情に精通したキャリア組、という基準で人選をしていた柳瀬にとって、万葉社の粛正人事のあおりでコースアウトした真田たちは、シーシェルの業績飛躍のための、格好のお買得商品だったわけである。

 真田にとってみると、一方ではうまく釣り上げられた魚という印象もなくはないが、しかしその魚に破格の年収という餌と、カタログビジネスの場という、自由に泳ぎ回れる生け簀を用意してくれたのだから、三顧の礼とはいかなくとも、需要と供給のバランスは取れているように思われた。
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ヘッドハンティング 7

2012年03月26日 07時10分17秒 | 小説「ヘッドハンティング」
「俺たちも浮かばれないよな。何かいい話はないのか?」
 大原が溜息まじりに聞いた。
「ある…」
「えっ?」
「いい話かどうかは、おまえの判断しだいだ」
 真田は声をひそめながら、柳瀬からのシーシェルへの引抜きの話をした。
 大原はビールを飲むのも忘れて、じっと腕組みをして考えていた。
「五人の総意と顧客リストか…」
「そう、ひとりでも欠けると話はボツだ」
「おまえはどうする?」
 大原は聞いた。
「乗ってみようと思う」
「そうか。それなら俺も今の万葉社に未練はない。一緒に行くぞ」
「よかった。そう言うと思ってた。ちょっと待っててくれ、今、他の連中を呼び出してみるから」

 真田が取引先を名乗って、他の三人の部署へ電話を入れてみると、梶尾康平だけがまだ在社していた。
 梶尾は五人の中では最年少で、頭の回転が早く、口八丁のやんちゃ坊主がそのまま大人になった、というタイプだった。商品部時代にはインテリア商材のオリジナル開発に尽力し、数々のヒット商品を生み出した。

 残業を切り上げて、『なか』にやってきた梶尾に、真田は大原にしたと同じ話をした。
「二倍の年収は、万葉社に対してわずかに残っている期待を払拭するに充分事足りる。よって、俺もその一大プロジェクトに参画することをここに誓います」
 梶尾は躊躇することもなく即答した。 
 シーシェルでの新しい組織作りから、商品企画、仕入政策などのシステム構想をまくしたてる梶尾をなだめながら、真田は言った。
「そう煽りたてるなよ。まだ、あと二人の返事を聞いてない」

 あとの二人、上島信一郎と川本誠は、真田よりそれぞれ一歳と二歳年上で、どちらも堅実なタイプである。
「こんないい話、反対するわけないよ。あの二人、異動してからは残業もしないで、六時ジャストには退社しているらしいし」
 梶尾は、もうすっかり話は決まったものと考えているらしい。
「前の部署では、ほとんど毎日のように残業していたのにな」
 大原が頷いた。
「上さんなんか、残業しないのを課長に皮肉られた時に、残業は単なる小遣い稼ぎか、就業時間内に仕事を終えられない、自分の能力のなさを誇示しているようなものだって言ったらしいよ」
「……」
「そしたら課長は、俺の能力が劣っているって言うのか、それに課長職には残業がつかないんだぞって…そりゃあ、えらい剣幕だったらしいけど」
「で、上さんは?」
「サービス残業をするほどのロイヤルティは持ち合わせていません…だって」
「上さんらしいな」

 上島は、情報部時代にはカタログの情報統計システムの開発設計に従事しており、コンピュータ・システムまわりに精通していた。 彼の仕事に関するドラスティックな割り切り方は、物議をかもすことも多く、たびたび上司や他部署と衝突していた。過去にも何度か会議の席上で、真田や大原と激論になったこともあった。

「川本っちゃんも、奥さんの実家の商売が忙しいらしいから残業はやってないみたい」
 もうひとりの川本は、中学2年を筆頭に、三人の年子の男の子の父親で、極度の恐妻家であった。彼も定時で退社することが多かったが、それは奥さんの実家がやっている、コンビニエンス・ストアの手伝いをするためだった。そのコンビニは繁華街に近く、結構繁盛していたので、残業するよりは確実に実入りは多いらしい。
 川本は顧客情報管理のスペシャリストで、今回の引抜きのもうひとつの条件である、顧客データを分類、分析して、それを管理する部署を経験していた。

「しかし、川本ちゃん、この計画に賛同するかな…あいつのところは、奥さんがすべてのイニシアチブを握っているからな」
 真田が眉を寄せながら言った。
「なあに、旦那の収入が二倍になると聞いたら、喜んでケツを叩くさ」
 梶尾が自信たっぷりに言った。
 結局、二日後には、真田が上島に、大原と梶尾が川本に接触して、あっけないくらい簡単に、シーシェルへの片道キップの予約を取りつけた。
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ヘッドハンティング 6

2012年03月18日 21時53分15秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 柳瀬と会ってから三日後、真田は大原和之を居酒屋『なか』に誘った。
『なか』は真田たちカタログ外人部隊の行きつけの店で、八人掛けのカウンターと、小さな座敷に大小二つの座卓がある、小ぢんまりとした居酒屋だった。万葉社の他部署の社員が来ることはほとんどなかった。

 ふたりは座卓のひとつに席を取った。
「どうだ、調子は?」
 一杯目を一気に飲み干した大原のグラスにビールを注ぎながら、真田は聞いた。
「いいわけないだろう」
 大原はぶっきらぼうに言った。
 もともと大原の言動には企画マンらしい繊細さはなく、どちらかというと、不敵なものの言い方をするので、一部の上役や先輩からは煙たがられていた。しかしながらカタログの企画に関しては非凡な能力を発揮し、仕事の結果で余計な雑音をはね返していた。

「俺も同じさ。時間の流れがもの凄く遅くなった。一日に何回も時計を見てる」
 真田はカウンターの中のママに適当なつまみを頼みながら言った。
「おまえ、知ってるか?一部では俺たちもブラックじゃないかと噂されてるらしいぜ」
 大原が言った。
「誰が本当のブラックかは、俺たちが一番よく知ってるじゃないか。言いたいやつには言わせておくさ」
「しかしカタログ事業部から、俺たち外人部隊はほとんど干されてしまったからなあ。会社のトップのほうはなに考えてんだろう」
「うちは茶坊主が多いからな。正確な情報はトップには届いていないだろうな。当分は山辺摂政政権の天下だろうな」
 

 先の人事異動に伴う組織改編では、カタログ事業各部を統括する統括部が新設され、企画から商品決定、仕入、販促政策に関するほとんどの権限がそこに集権化された。
 統括部の部長は、カタログ事業本部長の松前光三郎専務が兼ねていたが、大手印刷会社からの天下りをしてから日が浅かったこともあり、実務の権限は次期部長候補と目されている、次長の山辺に委ねられていた。

 漏れ聞くところによると、高級クラブを借り切って行なわれた総括部の結成式は、さながら、山辺教組に忠誠を誓う、取巻き連中による秘密結社入会の儀式の様を呈し、我が世の春の山辺は、数軒のクラブやラウンジをはしごして散々酔ったあげく、最後の店の若いママと高級ホテルへしけ込んだ、ともっぱらの噂である。
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ヘッドハンティング 5

2012年03月11日 23時46分15秒 | 小説「ヘッドハンティング」
  商品一部 仕入一課 係長
   真田雄二(35)

  商品二部 仕入二課 係長
   梶尾康平(34)

  企画部 企画開発課 係長
   大原和之(35)

  情報部 システム開発課 係長
   上島信一郎(36)
 
  業務部 顧客管理課 係長
   川本誠(37)   

 そこには先の人事異動で、左遷同様に異動させられた者のうち、真田を含めて五人のカタログ事業部の係長が、旧所属部署の肩書きで書かれていた。
「まさか、わたしたちは身体ひとつでシーシェルに移れるわけではないんでしょうね」
「カタログ事業に関する情報やノウハウのうち、唯一あなたがたの頭の中に詰め込めないデータが必要です」 
 柳瀬は思わせぶりに言った。
「顧客データ…ですね」
「そう、それも優良顧客を5万から10万件」

 顧客データはカタログ通販の売上げの鍵を握る重要なファクターのひとつで、優良顧客は売上げの重要な基礎票である。
 グループでのまとめ買いをひとつの特色とする万葉社の場合、大きいグループとなるとひとりの代表者(通称お世話係)が何十人もの顧客を組織している。
 仮にひとりのお世話係が、年間100万円分の商品をカタログで購入するとして、5万人のお世話係では年間50億円、10万人だと100億円の売上げに貢献することになる。

「真田さん、あなたはまだ若い。どうでしょう、シーシェルであなたの能力を存分に発揮してみませんか?」
「考えさせてください」
 激しく食指が動く。しかし真田ひとりの意志ではどうにもできない問題である。
「二週間待ちましょう。その間に五人の総意をまとめて下さい。もし総意が得られない時には、この話はどうかお忘れ下さい」


 柳瀬と谷岡が立ち去った後、真田はお代わりのコーヒーを前に考え込んでいた。
 …現在の主流派がいつまでも権勢を誇れるはずはない。
 驕る平家は久しからずである。
 気長にそれを待つのか?
 閑職の社史編纂室とはいえ、一部上場の万葉社にいれば食うに困ることはない。暇な時間は趣味や自己啓発に充てればいい。

 しかし俺のやりたい仕事は、決して社史編纂などという過去の遺物をいじくり回す仕事ではなく、カタログビジネスという無限の可能性を秘めた、現代の時流に密着した仕事なんだ。
 シーシェルでは破格の待遇で、そのやりがいのある仕事ができる。現在は低迷しているとはいえ、最盛期には500億を売り上げ、通販業界の売上げベストテンにランキングされたこともある会社だ。バックには三信興産が控えている。通販部門の責任者の柳瀬の引きとあれば、万葉社ではいろいろ制約があってできなかった、もっとダイナミックなことができるだろう…。
 今の状況を考えると、真田のとる道は明らかだった。
 真田は、冷めたコーヒーを一気に飲み干すと椅子から立ち上がった。
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ヘッドハンティング 4

2012年03月08日 18時55分04秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 真田が指定した喫茶店に、柳瀬は定刻通りの午後7時に入って来た。もうひとり部下と思われる若い男が一緒だった。
 チャコールグレイのいかにも高級そうなスーツに、上背こそ170そこそこだが、スポーツジムで鍛えたようながっしりした身体を包み、ボタンダウンのオックスフォードシャツに、派手めのレジメンタルタイを締めた柳瀬は、客が少なかったせいもあるが、奥まったテーブルで待っていた真田のところへ真っすぐにやって来た。

「初めまして、三信興産の柳瀬です。これは部下の谷岡です」
「真田です」
 交換した柳瀬の名刺の肩書きは、取締役通販事業本部長となっていた。
 年の頃は50歳そこそこ、ロマンスグレイを短く整髪し、適度なゴルフ焼けをした柳瀬のビジネススマイルは、いかにも商社マンらしい精悍な印象を与えた。唯一、メタルフレームの奥の目が、人当たりのよいさわやかな笑顔の中で、如才なく光っていた。

 一方の谷岡のほうは、柳瀬と同じ部署の主任で、30歳前後の長身、ライトグレイのブランド物らしいイタリアン調のスーツをさりげなく着こなしていた。
 柳瀬はウェイトレスにコーヒーを注文してから、真田に突然の呼び出しの非礼を詫び、あたりさわりのない世間話をした。コーヒーを運んできたウェイトレスが去ると、柳瀬はおもむろに用件を切りだした。

「面倒な前置きは抜きにして単刀直入に申しあげますと、今日、真田さんにご足労いただきましたのは、シーシェルへの転職をお願いするためです」
 柳瀬は、真田の顔色を確認するように一旦言葉を切った。
 真田は無言で先を待った。
「ご存じのように、当社はシーシェルを三年前に傘下に入れまして、ようやく前期の決算で、シーシェルが抱えていた累積赤字とデッドストックを大幅に削減しました。今期は、来期からの本格的な通販事業の展開に向けての、システムまわりの構築と、人材の養成を進めているところです。各通販会社のシステムやノウハウをいろんな情報源から収集しているのですが、なかなか、皆さんガードが堅くて思うようにいってないのが現状です」

 柳瀬はコーヒーをブラックで一口飲んで続けた。
「人材にしても、旧シーシェルでは育成教育が遅れていたこともあり、可もなし不可もなしの人材しか揃っていません。そこで、現有勢力のレベルアップと並行して、同業他社からのスペシャリストのヘッドハンティングという方法をとることにしました」
「他社の私にそこまでお話になってよろしいんですか?」
 真田はさえぎるように言った。
「失礼を承知で申し上げますが、先の御社の人事異動は、反体勢力の一掃の意味合いが濃いように思われますが…」
「よくそこまで調べましたね」
 真田は内心の怒りを押し殺しながら、自嘲気味に言った。この分では、興信所でも使って真田自身のことも調べているに違いない。

「私は派閥というものが嫌いです。派閥抗争によって社内の有能な人材が埋もれていくことは、会社にとっても本人にとっても大きなマイナスです。私も長いサラリーマン生活の中で、先輩や同期の人間が、派閥抗争のしわ寄せを食って、閑職に追いやられたり、海外の出張所へ飛ばされたりしたのを何度も目のあたりにしています」
「閑職にまわされたら、カムバックのチャンスはないと…」
「常識的に考えて、捲土重来の可能性は少ないと思われます」
「……」
「身分は三信興産の出向社員、ポストは商品決定権を持つ商品開発の課長を用意します。サラリーは年俸制で現在の二倍を最低保証、業績に応じて最高一年分の特別報奨、年俸のアップも考えています」
 柳瀬に促された谷岡が言った。
 
 …柳瀬の言うように、万葉社にいても、今後、カタログの仕事に携われる見込みは少ない。ましてや、社史編纂という閑職から抜け出せるという保証もない。
 このまま、失意のうちに万葉社で生き長らえるべきか、それとも、出向とはいえ、中堅商社の課長のポストと年収倍増、うまくいけば特別報奨と合わせて三倍増、話半分としても柳瀬の誘いに乗るべきか…。

 真田の天秤は、万葉社とシーシェルの間で大きく揺れていた。
「出来すぎた話ですね…」
「ここに真田さんを含めて、五人の皆さんのリストがあります。まずは、この五人全員がシーシェルへの移籍をOKすることが条件です。他の皆さんにも、真田さんと同じクラスのポストと年俸を用意します」
 谷岡は、内ポケットから四つ折りの便箋を取り出して、テーブルの上に広げて真田に見せた。
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