久しぶりに花嫁シリーズ。「ドレス選び」について。
私はドレスの試着が大好きだった。
実行にこそ移したことはないが、根がコスプレ好きなのだと思う(笑)
見た目だけでなく、写真で見たらどうなのかも考慮に入れたい。
主人をカメラ係に従え、あれも可愛い。これも素敵とやっていた。
これもいいけど、さっきとどっちがいいかな・・・
「さっきの、もう一回試着いいですか?」
衣装係の営業スマイルにストレス度数を感じることもなかったが、
こちらも一生に一回の晴れ舞台、運命のドレスに出会うため妥協は許せない。(気合い)
このドレスも好きだけど・・・あのドレスも捨てがたい・・・
「ウェディングドレスの後、また、別のウェディングドレスで出てくる
なんて可笑しいですかね?」
「お色直しはお客様が別のお色を期待されているので・・・白ばかりだと
飽きてしまうかもしれませんね」
それぞれに一長一短が・・・あぁ 一つに絞れない。
ドレスにはプリンセス、マーメード、ベルなど様々なラインがあり、
ラインによってキュート、エレガント、クラシックとイメージが変わる。
今一度、自分はどんな花嫁になりたいのかを決めなければ。
これは?
「このドレスはサイズを変更すると、デザインが変わってしまうので難しいですね」
暴飲暴食or断食でなんとか体重の増減調整ができたとしても、
骨格までは変えることはできないよなぁ。
私は標準よりも小さい。肩幅が足りない。対象号数からもれてしまう。
ドレスのデザインを最大限に生かすことができない。
サイズをクリアしても、私の肌の色に映えなかったり、
ドレスを選んでいるつもりが、逆にドレスに選ばれる状況に。
来賓の方のことを思えば、季節感や披露宴会場とのコーディネイトも配慮せねばなるまい。
運命のドレスとは、導かれるものなのね。
幾枚も着替えては似合わない自身にがっくりを繰り返し、辿り着いたドレスとは?
しびれをきらした母が「あんた、もうこれにしとき」試着姿も見ず、秒殺。
今回は母の客観的意見に従うこととした。だって、試着しながら、
結婚式って、何も一生に一回でなくてもいいんじゃないかって気づいたんだも~ん。(気楽)
もちろん、皆様にご臨席していただけるのは一回だけだから。
後は二人だけで、または、家族で。
今回、果たせなかった和装婚とか。写真だけでも!!
二人だけだったら遠方で。水の教会とか。節目、節目でいいから!!
10年後、ふたたび♪
できあがった試着風景には、私のドレス姿の後ろに、
やれやれ顔で肩を落とす主人の姿が小さく写っていた。写真は真実を写す(笑)
あなた、覚悟!
息子は2歳5ヶ月だが、ここ最近ずっと3時すぎに目が覚めて泣く。
原因は怖い夢。きくと、
「パパにアンパンチされた」と言って号泣している。
「パパ、Kにそんなことしないよ。パパの部屋で寝てるよ」
「怖い。電気つけて」
ホットミルクを作って気持ちを落ち着かせ、二度目の寝かしつけ。
吐きそうに眠い。今日はそんな私を支える「いのちのおはなし」
息子が新生児仮死で生まれて・・・
母子同室の為に選んだ個室で独り、なすすべもなくいた。
することがというより、できることがないので、院内にある図書室に向かった。
産後はみんな忙しいのか、幾度訪ねても図書室には誰もいなかった。
私はそこで、日野原重明先生の「いのちのおはなし」(講談社) と出会う。
この絵本は、小学4年生に日野原先生が行った「いのち」についての授業を再現したもの。
日野原先生は、チョークで黒板左はしに0と書き、
そこから右に向かってどんどん どんどん 線をのばしていきます。
長い線の終点に100と書き、
0のすこし右に10を、100の少し手前に95と記します。
95は先生の年齢、10は授業を受ける4年2組の生徒たちの年齢です。
先生は生徒に問います。
「いのちってなんでしょう?
生きているとは、どういうことだと思いますか?
いのちはどこにあると思いますか?」
日野原先生はお医者さん。聴診器を取り出し、みんなで友達の心臓の音をききます。
「子供の心臓は大人より速く打ち、生まれたときは1分間に130回くらい、
10歳で90回くらい。
心臓は起きているときも眠っているときも、休みなく動いていますから、
年をとると打つ音はにぶくなり、すこしゆっくりで、低い音になってきます」
今度は子供たちが順番に先生の心臓の音をきいてみます。「ほんとだ・・・」
先生はいのちを保つのに大切な体の器官の話をし、見解を述べます。
「いのちは、きみたちのもっている時間だといえますよ。
心臓は大切ですが、いのちそのものではありません。
時間をつかうということは、いのちをつかうことです。
これから生きていく時間。それが、きみたちのいのちなんですよ。」
あとがきにこうあります。
人が生きていくうえで、もうひとつ大事なことがあります。それは「こころ」です。
おたがいに手をさしのべあって、いっしょに生きていくこと。
心を育てるとは、そういうことです。
自分以外のことのために、自分の時間をつかおうとすることです。
息子が保育器から出てきて・・・
生活の中にゆっくりとかのんびりとか、おちおちがなくなった。
眠れない。自分の時間が持てない。
夜泣きに夜掻き。睡眠不足にフラフラになりながら、
頭に浮かぶのは、緑の黒板にひかれた白い線。
長い一生のうちのほんの少しの間、
この子のためにだけ生きる時間があってもいいではないか。
息子を抱けなかったあの病室で出会った「いのちのおはなし」が不眠不休の育児を支えてくれた。
あの時、私の覚悟になった「いのちのおはなし」
※「いのちのおはなし」日野原重明・文 村上康成・絵 講談社です。
4つ目と5つ目の段落は絵本からの抜粋文。
つまり、私の文章以外のいいこと書いてあるなぁというところがすべて引用部分です。
「私の好きな本」の紹介でした。
お迎えに行った帰り、息子を抱いて歩いていると息子から注意を受ける。
「気ィつけや、なぁ。こけたら痛い痛いなるでぇ(顔は本番さながらに痛い表情を作っている)
危ないで、なぁ」
私は息子に諭されながら、昼間、先生に自分が言われてるんやろなぁと笑える。
自転車をこいでいると、また忠告が。
「気ィつけや、なぁ。車にゴツ~んぶつかったら危ないでぇ。なぁ」
だからそれ、自分がお散歩の時、先生から言われてるんでしょう(笑)
家に着くと、これまた先生の真似であろう絵本を自分の後ろに隠し、
「お話、お話、パチパチパチパチ、嬉しい話、楽しい話、始まるよ。
(人差し指を立てて) シィ~」とやっている。
さっと後ろから絵本を取り出し・・・めくるだけ。私が読むんかい!絵本を読みながら、
何を語りかけていいのかわからず戸惑っていた日々を懐かしく思い出す。
私は赤ちゃんを前に、何を話せばいいのかわからず、
たまに語りかけると、噛んでしまうという緊張ぶりだった。
マンションの中で母子二人。息子からの応答がないので、
私の言葉だけ独り言のように響く。急に恥ずかしくなったり、むなしくなったり。
語りかけねば、と気負っていた。
新生児訪問を受けた時のこと、助産師さんが何やら息子と楽しそうに話している様子。
息子の言っていることがわかるんですか?! つめよると、
「わからないですよ。適当に、そうか、そうかいってるだけで」
目からウロコ。その日から私は適当になった。
息子が「あ~、う~」
何を言っているのかわからないけど「そう」と微笑み返す。これでいいのか!
児童館や園庭開放などに行った時、絵本をよく読んでいただいた。
知らない絵本でも繰り返しが多いので、大人ならすぐ覚えることができる。
動物さんがおならをする。プー。今日もおなか、げんき げんき。と、あいの手が入る。
題名はわからないが、台詞は残る。家に帰ると、息子がうんち。
では早速「今日もKのお腹、元気、元気」とアレンジ使用。
2歳になって出先で息子をビデオに撮っていた。
走りながら、プー。自分の音にびっくりした息子が振り返り、
「K、おなら、出た。お腹、元気、元気」と笑顔。
語りかけの結果、実にいいシーンがとれた。
エア絵本ばかりではない。適当になった私は適当に歌を歌った。
大人になって、再び童謡をきく。「しゃぼん玉」は作詞家、野口雨情が
生後すぐに亡くなった我が子を思って書いた詩であることを知る。
無邪気に歌っていた「しゃぼん玉」にそんな真実が・・・沁みる。
息子とシャボン玉を見ながら、憂いバージョンで歌ってみる。
大人視点でみる童謡は一味違う奥深さがあった。
今、息子のお気に入りは「はたらくくるま」 懸命に歌っている。
色々なはたらく車が出てくるのだが、あいの手に入れる車の名を、
ちゃんと(歌詞より)音量大きめに唱えているのがなんとも面白い。
語りかけに悩めるお母さんへ。
何を語りかけていいのかわからない時は、絵本や歌をお勧めします。
日常の台詞として、使えます!
読むための絵本ではなく、
語りかける絵本としてご覧になってみてはいかがでしょうか?
そうはいっても、やはり気になる隣の芝生。
ということで、行ってきました幼稚園入園説明会。某国立大附属幼稚園。
説明会冒頭。
「この説明会に参加できる方は、平成22年度入園児童保護者に限ります。
該当しない方は、ご退出下さいませ」
どうやら国の税金で営まれているので説明会資料を対象者以外の方に無駄に配布できない、らしい。
4月1日現在で3歳を迎えている児童がその年、幼稚園に入園する。
そう、私はさ来年度入園児童の母。説明会を拝聴する資格はない。
それは説明会案内の時点でうたわれていたので知っていた。が、
万が一、息子を通わせたいなどと思ってしまった場合、
我が家は入園のため、お引っ越しまで必要となる。
その年にきいていたのでは間に合わないではないか。
長期計画として附属幼稚園とはどんなところなのか?! 知りたいではないか。
ここでひるんではいけない。気持ちを奮い立たせる。
再三繰り返されるその前説に忍びがたきを忍び、ようやく説明会が始まった。
「今回の入園説明会の開催に伴い、保護者の方から説明会に子供を連れて行っても
いいのですか?との問い合わせがありました。
説明会案内に何も書いていないということは、どちらでもいいということです。
ただ説明会にはみなさんどんな目的で来られているかを考えていただきますと、
お子様が騒がれました場合、速やかにご退出下さいませ」
自分で判断する。人に迷惑をかけない。親の資質を問われる居心地の悪さを感じた。
説明会途中、後ろの方で子供がグズり始めた。
振り向かなくても、母親の「お願いだから、大人しくしてちょうだい」を感じる。
子供には退屈だ。子供らしい反応をした時点で強制連行となる。
遠ざかる泣き声をききながら、ここは真剣に話をききにくる場所だという考えもわかるが、
説明会をきくために母親が子供を第三者に預けなければならないというのはどうなのか・・・
今まで私が体験した入園説明会は、子供連れの方が大勢いて、
当然のごとく園長先生の声はききづらいのだが、きく側として気にならなかったし、
園長先生も子供の声に負けじと大きな声をあげてくださっていた。
さすが附属幼稚園ともなると、入園志願者が多いのか園の立場が強い。
説明途中、モンテッソーリ、シュタイナー、というような単語が出てくる。
ここでも「みなさんご存知の」的なものを感じ、
具体的な説明をききながら、どんどん私はうがった見方に。
保育料は国立ゆえ、非常にお安い。
けれど、
「うちは登園バスはございません。保護者の方の送り迎えが必要になります。
送り迎えは、親族の方のみ対象となります。お手伝いの方等第三者は認めておりません」
「給食は保護者の方に交代で作っていただきます。 当番にあたった方は検便をして・・・」
基本「園と園児と家庭の3点で」なのだが、
あまりにも園の滞在時間が短いので家庭教育に比重が・・・
親の奉仕が必須。まず、親の姿勢を子供に見せるってことかな。
給食当番の為に年数回の有休消化はあまりにも会社に迷惑がかかる非常識。
働く母には厳しい条件。
説明をきくと、あなたが附属幼稚園に通える環境にないことが確定してしまったわ。ごめんねK。
続いて、園内見学。
園児たちは持ち物、服装にいたるまであえて質素倹約・・・?
これは入園してからそういう指示がでるのかなぁ。不明。
子供たちがいる。普通だった。別に悪い意味ではない。子供らしい子供という意味。
あ、ヤギがいる。
お母さんたちが子供たちのご飯を作って、自然があって、動物がいて。
昔ながらの風景のような。
ふ~んと周遊して、
国の大切な税金で賄われている貴重な資料とのことのなので、私は願書をいただかず、
園を去った。百聞は一見にしかず。行ってよかった。
職場で私が作ったマニュアルに対するクレームがあった。
確かに私が作ったマニュアルだけあって、わかりずらいものとなっているのだが、
このマニュアルではわからないので、もっとわかりやすいマニュアルを作ってほしいとのご要望だった。
私は前年度からの変更点を強調する形で、いらないものをいらないと記した。
いらないと書いていないところは、いるもの前提であったのだが。
あまり詳しく書くと長くなるし、融通がきかなくなってしまう。
少し余白がある方がいいのかなぁと。
その記されていない部分を、簡単にこんな時はこう、こんな時はこうと
具体的に記して欲しいという。マニュアルのマニュアル?あったら、楽だろうけど・・・改訂か。
不意に説明会の台詞がよぎった。「何も書いていないというのは、どちらでもいいんです」
あぁこういうことか。受け手が問われるというのは。色々、学ぶべき多い説明会であった。
※秋にあった説明会を私の記憶だけで書いているので、レポートといっても、
ぬけおちているところもありますが。
説明者の台詞は、意味はそんな感じで言い回しはあくまで私のイメージ。
実際はもっと口語です。
説明会には、スーツ姿のパパもいて、会社休んできたのかななんて。
同伴のお子様のくつ下がレースつきだったのが、なんともイメージ通りでよかったです。
門の前では受験対策のチラシが手渡され、ちょっと「お受験」の香り。
全体的に子供ではなく、親が問われている気がしました。
今日も保育園について思うこと、あれこれ。
自分の目で見て選んだ納得の保育園。
なのだが、最初から信頼の保育園ではない。
私の育児休暇は1年。
生むまでは、生後半年ほどで職場復帰できたらいいなと思っていた。
でも、産んだ後のことはわからない。
半年の育児休暇申請をして、もしも万一半年で復帰できなかったら?
その時、休暇を短く変更するのと延長するの、どちらが印象いいかを考えると、
短くする方だよなぁと、最大の一年を申請した。
産後、想像を超える予測不可能な展開。まさかうちの息子がアトピーに苦しむなんて・・・
生後6、7ケ月は乾燥の季節と症状のピークが重なって、よかった1年申請してて状態。
春になっても一向によくなる気配がなかったので、どうしよう1年しかないと焦った。
1歳を過ぎると症状がよくなる場合が多いと書いてある。
育児休暇があけるまでに何とかと必死だった。
結果、いざ預けるとなった時には「私ほど息子のことを」思想ができあがっていた。
私がそばにいない間にかきむしってしまわないか? 悪化しないだろうか?
ならし保育直前、手続き・ご挨拶に行った折、「こちらが担任の先生です」と紹介されたが、
明らかに不信な顔で月並みな挨拶を交わしたような記憶がある。
あの時、自分がどんな挨拶をしたか思い出せないほど、気持ちはうずまいていた。
ならし保育が始まった。
今までずっと一緒にいた息子との別れ。気が気でない時間。
大急ぎで迎えに行く。担任の先生から息子の様子をきく。
それは私のよく知っている息子の対応であり、反応と合致していた。
母子一対一ではなく、大勢の中の一人となる不安があったのだが、
息子のことをよく見てくれている・・・この時、私の中で信頼の保育園に変わった。
保育園に通い始めてから、人に「K君、笑顔増えましたね」と言われた。
「そうなの。保育園に通わせたのは、息子にとっても私にとってもよかったみたい。
私はこんな性格だから、(アトピーに)集中しちゃうし。
四六時中私がそばにいて監視してたのは、Kにとってストレスだったと思うわ(笑)
お互いにちょっと距離をおけたのがよかったみたい」
そう語る私も息子を預けてからの方が笑顔が増えた。
ならし保育から通常保育へ移行した。
担任の先生から息子の様子をきく。
それは私の知らない息子の成長記録。
保育園に対する不安を楽しさでぬぐい去ってくれたクラス担任。N先生とF先生。
信頼が信仰に変わる。
先生がいて、お友達がいて、兄弟がいて、近所のおばちゃんまでいる。
昔ながらの風景が残っているような。
保育園は現代核家族の救世主だ!とさえ思う。
出産前、通勤前にさっと預けて、できる限り早くピックアップして・・・
というシュミレーションにより、私の子はこの駅型保育園に通うことになるんだろうな
と生まれる前から登録に行っていた。
今になって思えば、この選択は親の便利さが判断基準とも言えなくもない。
出産後、乳幼児期という大切な時期、この子にとっていい保育園とは?
価値観がガラッと変わる。
息子が重度のアトピーで食物アレルギーを持っていた為、食事や対応が気になる。
男の子ということもあり、外遊びができる園庭があるがどうかも重要度を増してきた。
何より息子が一日のほとんどを過ごすことになる場所である。
よし、他の保育園も見に行こう。
保育園入所は基本は、その地域に住む住人(納税者)限定、最優先なのだが、
町内の保育園はもとより、口コミでいいときく近郊(通勤経路と反対側)の保育園、
私の職場と実家近くの保育園まで、納得して預けることのできる園を探そう!と。
行く先々で、園の方針をきき、施設を見学し、
無理をいって入園案内にはない献立表を見せていただき、
見学につきあわされるパパは駅型でいいじゃないかぁと辟易していたが、
各園様々な特色があって、私はこの保育園見学で非常に学ぶべきことが多かった。
棚の角にキルティング加工を施し、赤ちゃんがぶつかっても痛くないよう配慮していたり、
本物を知るためにうちでは陶器の食器を使用していますとか、
牛乳の代わりに脱脂粉乳を飲んでもらっていますとか、
家庭内育児にとても参考になった。
そして最終決断、私がどの保育園を選ぶことになったかというと、駅型をやめ、
少し離れるが、広い園庭があって、園内で食事を作ってくれている町内の保育園。
毎日、通うところである。
子供にとっても親にとっても、距離的に近い方が疲れない。楽、だ。
そして何より、見学に行った私たちに子供たちがワーッと近寄ってきて、
話しかけてくれた園児たちの表情! そこには楽しい、があった。
人に対して興味をもっている先輩園児たちの笑顔が決め手となった。
毎日、自転車をこいでお迎えに行く。
雨の日は来ないバスを待つ。
当初予定していた園より少し遠いが、後悔したことはない。
私が自分の目で見て、納得をしたところだから。
息子が必至に今日の出来事を話している。「先生、好き」と笑っている。
「今日、たまたま材料があったので、米粉でK君のケーキを作りました。
K君とっても喜んで、あっという間に食べましたよ」
今日も一日、いっぱい遊んで、いっぱい食べて、いっぱい笑ったんだね。
この園を選んで本当によかった・・・親として嬉しい瞬間。
先ほど前話で無知で勝手な私見を述べさせていただいたが、
時事・政治に疎い私が、世の中の動きとやらを気にし出したきっかけは、妊娠。
(成人、社会人としてかなり遅いが)
私のお腹の中に赤ちゃんがいる・・・とわかったとたんの突然変異。
急に地球レベルまで、壮大に視野が広がった。
日本の将来を思い、世界平和を願い、地球環境まで考える。
今まで自分の足元ばかり見ていたけれど、
これからは10、20年先を考えて・・・しまったり。
いついつまでも平和でありますように・・・祈ったり。
我ながら恥ずかしい変わりようであるが、
この子の住む場所、この子の未来となると他人ごとではないのだ。
体内では太古の昔からの急速な生命の神秘を辿り、
脳内では価値観が一変するような革命が起きる。
妊娠して何がよかったですか?と問われたら、大きくなったお腹をなでながら、
この子のおかげで自分の中に新しい視点を得ることができたことですと答える。
ご無沙汰しております。
久しぶりに更新ができそうです。
前話(第259話)で、一人ひとりが企業の顔であること、
人が人からサービスを受けるというのは本来決して安価なものではないこと、
介護サービス、保育サービス、様々に人が人にしかできないことというのがあるんだな・・・
などと今更ながら。
働くところがないとはいうけれど、
働き手を欲しているところはたくさんあるではないか。
ではなぜ求人しても、人が集まってこないのか。
業務内容がハードなわりに給与が安い(生計を立てることができない)からであろうか。
私の母は病院で介護の仕事をしている。
夜勤もあれば、人員不足ゆえに夜勤後そのまま続けて日勤業務なんてのもしょっちゅう。
小さな子をお風呂に入れるのも大変なのに、
女性の力で、身を委ねる大人をお風呂に入れるのはなんて重労働だろうと。
体のケアだけではない。
患者の話し相手にも、わがままにもこたえなければならない精神的なフォローも含む。
看護の方と足並みをそろえて命を守るという現場である以上、気を許せない。
そんな長時間の重労働だが給料は・・・安い。
母に「こんな安い給料のために働くのはもうやめなよ。
こんなハードな仕事を続けていたらいつか絶対、自分が体壊してしまうよ」
辞めて欲しいと訴えているが、
母は「いいねん。好きでやっていることだから」ととりあわない。
今のままでいくと、
高齢化社会。どんどん患者の人数は増える→介護者がいない→
ますます母がハードになる→変な話、母が介護という仕事に殺されてしまうではないか。
願わくば、
介護者の給料が高くなる→人が集まる→介護者の人員増加から勤務シフトが健全になる→母が楽になる。こうなって欲しい。
介護にももっと予算(注目)をと望むばかりである。
子ども手当について、その額や所得制限について、色々議論されている。
果たして子ども手当は純粋に子どもに対しての手当てなのか・・・
親の采配に委ねられている以上、その使用方法は多岐に分かれてゆくであろう。
今、子どもの為に月々使う方もいれば、将来の子どもの為に貯える方もいるであろうし、
家計の足しになる場合も、親自身の懐にいっている場合もあろう。
長期的な使途不明金といえなくもない。
それならばいっそ、施設や教育費(保育料は教育費と同額の負担軽減)、
給食費?(までしていいのかわからないが、
食べているにもかかわらず、払わない方がいるというニュースもあるので)
に充当する純粋な直接投資や相殺処理、現物支給にしてもいいのではないか。
できる限りの公平かつ平等な分配(もちろん余剰分は個人負担)
渡しきりの金銭的援助ではなく、意識改革や環境整備、人を循環させる雇用形態。
子育てを終えた世代、子のない世帯の負担への配慮も考慮した少子化対策が
この国の士気を高めるのではないかと思う。