しぼんだ風船が落ちている。
大人な私は何事もなく通りすぎるところ、息子は「あ、きびだんごの袋!」と拾う。
明らかに汚い風船片手に、K君ももたろう(自分の名前に名前を重ねるところが子供らしい)の始まり、始まりぃ。
「はい、どうぞ」とエアだんごを渡される。
犬になったつもりで食す。食べている私に向かって息子が
「鬼が島に一緒に行くなら、きびだんごをあげてもいいよ」と言う。
忠実なしもべなので、もうもらっているんですけど?などと主人に恥をかかせない。
「はい、どうぞ」
猿になってウッキウッキ食す。
食べている途中でまた息子が「鬼が島に一緒に行くなら・・・」と言う。
先に言ってよねなどと口が裂けても言わざる。
「はい、どうぞ」
キジになりきれていない自分を感じながら食す。
K君ももたろうは与えてから交渉するリズムを打ち続けている。
キジで困ったので、今度はライオンになって登場。息子が怪訝な顔をする。
「ライオンて強いでしょ。鬼が島に連れて行ったら役に立つと思うよ」と自分から売り込む。
納得したようで、きびだんごをくれる。
今度はうさぎになりすましながら、パパの帰還を待つ。
動物ものまねも底をつきてきた頃、ようやく戻ってきたパパ(鬼)をここぞとばかりに攻撃する・・・
しぼんだ風船からここまでふくらませることのできる子供の想像力は時と場所を選ばない。
スーパーのプレススポットで公開親子寸劇だ。
昔話もいいものだと家で「おむすびころりん」を読んでみる。
おむすびが穴へころころ、突如「K君が拾ったろ」と息子が転がるおむすびを受け止める。
あ、ありがとう・・・おしまい。
しぼんだり、ふくらんだり予想のつかない日本昔ばなしがあることを知る。
私がこのブログを書く時に自分に課した制約は、写真を使わないこと、絵文字を使わないこと。
でも、こんな風に写真が使えたらいいなと思う時がある。
気張って生きてしまう自分に嫌気がさす時がある。
そんな時、開いてしまうのが「日下部一司さんの閑話」
(名前と閑話で検索するとホームページが出てきます)
3月6日の「控え目ながら雑技的」と
3月16日の「現実と戦っている湯」と
3月20日の「はからずしも危険」は何度見ても飽きない。お気に入り。
でも、こんな風に写真が使えたらいいなと思う時がある。
気張って生きてしまう自分に嫌気がさす時がある。
そんな時、開いてしまうのが「日下部一司さんの閑話」
(名前と閑話で検索するとホームページが出てきます)
3月6日の「控え目ながら雑技的」と
3月16日の「現実と戦っている湯」と
3月20日の「はからずしも危険」は何度見ても飽きない。お気に入り。
いつもの日常が二度と叶わぬ日常になるなんて・・・
春は別れの季節。
幼稚園入園年の節目にあたる今年は、引っ越しあり、保育園から幼稚園に転園あり、
0歳、1歳と2年に渡り、息子を見てくださったM先生のご退職もあり・・・
息子にとっても私にとってもいつも以上に別れ多き春となった今年。
二度と会えないということがわかっているのだろうか・・・
新しいクラスで2週間後、息子に尋ねてみることにした。
「最近、Yちゃん、見かける?」
(Yちゃんは退園したので、新天地で頑張っていること承知のテストだ)
息子は「Yちゃん、まだ来てないねん。どうしたんかなぁ。しんどいんかな・・・」
思わず抱きしめたくなる。
「M先生は?」
「M先生も最近見かけへんなぁ。どうしたんかな・・・」
泣きそうになる。
息子がお友達や先生が来るのを待っているようなので、私も一緒に待つことにした。