汚いとかズルいと思うことありますか?
私は、あります(笑)
目の当たりにして、私の目は濁っているのではないだろうか・・・
友人に打ち明けると、
「それがドロッとしたもんに見えるってことは、目は濁ってないのとちゃうかしら」と。
汚いって見えるのは目が濁っていない証拠だと勇気づけてくれた友人に感謝。
要領が悪く、不器用な自分に自己嫌悪することも多々あるけれど、
ふと、私って信頼に値するんじゃない? かと。
小さな主観の中にあるけれど、自分で自分を信じることで、いつか自信になればいいなと。
新郎から見た新婦は? の問いに主人より、
とにかくまっすぐで、意思が強い。
一度決めた事は困難にぶちあたっても、必ず達成する。
ただし、途中ぶちあたっては結構傷つくので、心を支える人が必要に思える。
私が出会った中で魂がすさまじく清廉で、間違いなく信頼できる。
と評してもらった私。
主人に気に入っていただけた清さだけは見失わずにいこうと思う。
息子の笑いのセンスが関西人ではなく外国人なのに困惑する。
関西人は一日にしてならずだし、まだボキャブラリーや経験値の少なさから
幼少期はやむをえないこととは思うが、日々反抗の疲れた体に堪える(笑)
(反抗の疲労がマイナス疲労なら、この笑いのツボのズレはまだプラス疲労だけど)
2歳児クラスの時は、保育園で単語の後ろに「おしり」や「おちんちん」とつけるのが流行っていた。
ただ「おしり」とくっつけるだけなのだが、言った方も言われた方も大変な盛り上がりを見せる。
子供の特徴とはいえ、小学生男子が「うんち」と言っては大爆笑していたことを思い出し、
この笑いのツボの違いがいつまで続くのか・・・果てしない。
何が可笑しいのか大爆笑の尾をひく息子を前に私の愛想笑いも一度は力尽きるものの、
息子が顔を赤くしながら笑い続けているのを見て、
(・・・まだ? 何がそんなに面白いの視点からどうにかこうにか)再び笑うことができる。
私は息子が面白いと思い込んで狙ってはなたれるネタより、
聞き間違って覚えた歌詞を堂々と歌う息子に笑える。
真剣に歌う息子が「もう、笑わんといて!」と憤慨しているのだが、
彼にアドバイスをするとすれば、今はその天然を大事にした方がいいということだろうか。
無理なツッコミより自然なボケでいい。
子供は大人と異なる異文化の中で生きている。
お母さんは児童館で大人同士の会話ができることにほっとすることが多いのではないだろうか。
乳幼児という異国人と1対1でずっと・・・ではさすがに息がつまる。
お父さんにお願いしたいのが、お父さんも疲れていることとは思いますが、
一日中子供の話をきかされるお母さんをフォローするため、
ぜひお母さんの話をきいてあげてくださいということ。
特に赤ちゃんの頃は、お父さんとの会話がどれほどお母さんを癒すことか・・・
大人としてお母さんと話すこともお父さんができる育児サポートであると私は思います。
※ダーリンは外国人・いまとなってはその1は第352話です。
ここで書いていることだけを見ると、
子育てが楽しくてキラキラしているように見えるかもしれない。
でも、実際は第一反抗期とやらを思う存分味わう毎日だ(笑)
渋滞の高速道路で不意に息子が「Kはまだ飛ばれへんからなぁ」と残念そうに語り、
車内の険悪な空気が緩和する。
いつか飛べると思っているんだ・・・
こういうキラッとした一言が育児の「ほとほと」「へろへろ」を救う。
友人の手紙に子供の寝顔を見ながら、今日も怒りすぎてごめんねと思うと書いてあった。
「もうママなんて、大、大、大嫌い」と泣いた夜、
母の存在を手探りで確認するため、寝ぼけながら私を抱いてくる小さな手。
まだ背中まで手が届かず、肩の上に置かれた息子の手の軽さ。
16センチの上靴を見ながら、その小ささに愛おしさがこみあげる。
闇の中にあってもキラッと光るものが身を潜めて待っている。
これがすべてではなく、一部であったとしても、
一日、一週間、一か月と重ねていく中でほんの一粒でも光る何かを見つけたら、
ここに残していく価値あるものだと思う。
園で体操教室が始まった。
体操のお兄さんどうだった?と振り向くと息子がいない。
あるはずのところに顔がなく、下を見ると息子が小さくまとまっている。
三角座り?
「ちがう。お山座り!」
体操教室初日に学んだ息子のお山座り姿にアドレナリン大放出。
まだ100センチない息子が三角座りをすると50センチくらいになって・・・
可愛い!(親ばか)
パパが帰ってきた。
「Kがお山座りできるようになったんだよ。見て」(と誘う)
Kが得意げに小山を作る。そのフォルムに夫婦で大爆笑。
この小ささ。懸命さ。
この頃が一番可愛いと言われる所以かな。
ママの絵を書いてくれるという。
描いた顔には耳も鼻も眉毛もまつ毛もない。
にもかかわらず、両目から真下に向かってたて線が・・・たぶん下まつ毛だと思う。
幾重にもひかれた縦線がクマのようで、なんだか病んでるみたい・・・
な私ができあがる。
最初は丸に目だけの顔だった。そのうち、にこにこの口が生まれた。
しばらくずっと尼のような私であったが、ここ最近、髪の毛を描いてくれている。
耳を描くと、髪を忘れる。まつ毛を描くと、眉毛なし。
どうやら見えているものすべてが反映されるわけではないようだ。
次にパパの絵を描く。
パパの顔は私より大きく描かれ、目は小さい。こぼれおちそうな頬が福々しい。(実際、そう)
大小・長短の区別ができており、特徴をつかんでいる。(親ばか)
目の周りに丸を描いている。上に耳がある。
パンダだ!
これはなかなかの傑作だと思ったら、赤いクレヨンで塗りつぶし始めた。
えー、上手に描けていたのにどうして?!
「これ、トマト食べ過ぎたパンダやねん」
そんな構想があったなんてママ、わからなかったわ・・・画伯の絵は味わい深い。