日常絶え間なく繰り返される塵のような悩み。
ひとつひとつの出来事は、些細なことの連続なのだが、
ひらひらと心に降り積もり、気がつけばとてつもなく重い雪と化す。
雪と言ったが決して白くはない。
そのまま放置しておくと、命さえ奪う塊となる点において雪と類似するのではないかと。
子供はいじめられていることをなかなか親には言えない。
言おうとしても言えないのである。
親が上手に引き出し、子が語り始めたとしてもそれはまだ核心部分ではない。
子も言いながら、どうしてどうでもいいことばかりが口をついて出てくるのか・・・
言えば言うほど、こんなことを言いたいんじゃないと核心の周りをぐるぐるまわる。
それほどまでに核心を語るには自身の身を投げる覚悟でないと取り出せないほど
根が深いものである。
1の周辺しかきくことができていない状況で、10の核心を察することが
聴き手の難しさだと思うし、
親といえども、ここは他人が本人の10を計り知ることなどできないという謙虚さで聴きたい。
今日は続けて綴っている仕事論ではないではないかと思う方もいるのではないかと思うが、
これも私の考えるビジネス論。
雪の重荷は笑顔を奪う。職場にいる不機嫌な果実。
理由なく不機嫌であるはずがないので、ヒアリングの機会があればいいなと思う。
就職の折は面接をしていただけたのに、中に入ると査定はあっても面接がない。
人事考課ではなく、社員の全員が語る機会としての面接。
ある企業のある室長、多忙な業務の中でも部下と一対一で話す機会を設け、
部下の名を全員覚えているという。面接ではないが、
名前を呼ばれ、自分の思うところを述べる機会があるということ、
部下にとってどれほどの喜びかと思う。この喜びだけでも充分なヒアリング効果だ。
課内面接と課外面接。上司ヒアリングだけでなく部下ヒアリング。
たとえ真実を語る難しさに思うように話せなかったとしても、
一方向ではなく、双方向の意見が交差する場があるのがいい。
人の数だけ意見を取り入れて考察するのは困難だから、すべてを反映できる志望動機聴取ではない。
それでも一年に一度でもそんな機会があればいいなと思う。
直接会って話す機会は、うつ診断後であるのは悲しいから。そうなる前に、の機会として。
このヒアリング、もう一つの側面を持つ。
相手にもヒアリングの機会があるということから、緊張感が生まれる。
少し透明になることで、下手なこと(陰湿なこと)が抑制されるのではないかと期待する。
雪かきヒアリング、崩壊前に、崩壊しないために、きくところから始めたい。