第398話 海路の日和

2011年11月29日 21時34分04秒 | 子育て・「おママごと」

もうすぐ始まるゴーカイジャーショーを前に、お姉さんより前説を受ける。
まずは大きな声でご挨拶「こんにちは」と言う。
ゴーカイジャーが負けそうになった時は「頑張れー」の声援を送る。
ショーには決まってそんな約束事があるのだが、
いまだかつて息子が声をあげ、応えたことはない。本人曰く、恥ずかしいから、らしい。
それが、今回、大きな声を張り上げているではないか・・・
後ろから息子を抱き支えながら目頭が熱くなる。
泣いている私を見て息子が心配するので「嬉しい時にも涙が出るの。うれし泣き」と答えた。

亡くなった祖母の三十五日で、実家に帰った時のこと。
息子が突然泣き出した。びっくりして、事情をきいたところ、
「うれし泣き・・・じぃじがやさしかったから」と言って、わんわん泣いている。
叱られた直後だっただけに、
新しい服(息子が来たときにとじぃじとばぁばが用意してくれていた)を着せてもらったのが、心に沁みたのであろう。
ママが話したうれし泣き、ちゃんと覚えていたんだね・・・これがうちの子のいいトコロなのかもしれない。

心震わせて泣く息子を抱きしめながら思う。
滑り台の階段を上っては、怖いといってまた階段を下りていく息子。
走れば、競争心皆無の平和な走りでビリ。
公園で誰かが先に遊んでいると、不人気遊具で我慢する(笑)
やんちゃでも、わんぱくでもない。男の子だったらもっと・・・と思わないこともないが、
息子はそういう気質なのだ。

挨拶ができない。 頑なに、恥ずかしいから、らしい。
でも、心優しい息子のことだから、
挨拶を返さないと相手が悲しい思いをするのだと気づいた時、いつかきっと返してくれるに違いない。
立ち木から見ると書いて、親。ついつい焦ってしまうのだが、気長に待とう。
慌てない、慌てない。

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第397話 木婚式

2011年11月13日 21時58分13秒 | Weblog

祖母はあっけなく亡くなった。
息子の運動会の後、お見舞いに行った折は気も心も丈夫であっただけに
その様子に安心してしまい、すぐに引き上げてしまった。
次の週末を待たずに連絡を受けた時は、意識不明の重体。
本当に見えていないものなのか、本当にきこえていないのか、思考はないのか・・・
瞼閉じて横たわる祖母にスタジオで撮った息子の七五三の写真を見せた。
結果からしかわからないのが残念だが、あの日が意識ある祖母に会えた最後となった。

祖父は倒れてから、何度も危篤状態を乗り越えながら13年間の介護生活を送った。
長男の嫁である母は献身的に介護した。
祖父も言語障害や半身不随を抱え、自身が不甲斐なく苛立った日々を過ごしていたことと思うが、
いつまで続くのか果てしない介護に娘として母の体調の方を案じていた。
祖母も介護は母に頼りながらも、最後まで祖父のそばにいた。
「おばあちゃんがおじいちゃんのことを好きでね、
 おじいちゃんのことを好きな人がもう一人いたんだけど・・・
 おじいちゃんはおばあちゃんと結婚したの」
おばあちゃんにそんなロマンスがあったなんて!
若かりし頃の思い出に祖母の情熱を見、13年、最後まで祖父に付き添った祖母の気力の訳を知る。

祖父の介護を経験し尽くした祖母の去り際は実に早かった。
意識不明で祖母と話すことはできなかったが、
痛みを感じることもなく逝けたのがせめてもの救いである。
通夜が行われた(10月の)18日、告別式の19日はあたたかく、いい天気であった。
祖母は86歳、必然的に兄妹も、友人もみな高齢である。
汗ばむこともなく、寒くもなく爽やかな秋晴れ。
ご焼香にかけつけてくださった方々の体調を思っての祖母の計らいではないかと思う。

私事であるが・・・
10月15日は私の結婚記念日だった。
15日、医師よりいつ逝ってもおかしくないと言われるそんな状態であった。
毎年、結婚記念日を思い出すと同時に祖母のことも思い出され・・・
悲しい日になるかもしれないことを私は覚悟した。
祖母は持ちこたえ、危篤となって5日後の17日、祖母が亡くなった。
来年の結婚記念日には2日後になくなった祖母のことを思い出すに違いないが、
それでも2日後に祖母のことだけを思うことができる。
おばあちゃん、ありがとう。

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第396話 家族が集う

2011年11月11日 20時22分04秒 | Weblog

通夜ぶるまいが始まったようだ。
私は祖母と共に隣から微かにもれ聞こえる声に耳を傾ける。
話している内容までは聞き取れないが、親戚一同が集まっている賑わいを感じる。

祖母は4人の息子を育てあげ、9人の孫と4人のひ孫を産湯につけた。
産湯といっても、文字通り生まれたばかりの赤ん坊を初めて入浴させたわけではなく、
実際は産院から退院後、お風呂に入れてきたという意味だが、
祖母にはベビーバスという言葉より産湯の方がしっくりくるので使用したい。

毎年、お盆とお正月は祖父母宅に集まっていた。
祖父が亡くなり、孫も大きくなるにつれ、誰かが来れば、誰かが来ず、
一堂に集まるという機会がなくなりつつあった。
久しぶりにみんなの声をききながら、祖母は喜んでいるに違いない。

親族・親戚だけではない。
近所の方々、友人もご焼香にかけつけてくださった中に見慣れない人たちがいる。
後できくと、いとこの職場の方々らしい。
「おばあちゃんが寂しがると思って・・・こんなにたくさんの人が来てくれて嬉しい」と話す。
お盆とお正月を何より楽しみにしていた祖母。
祖母が寂しがり屋であることは孫の代まで知れ渡っている事実。
よかったね、おばあちゃん。

酒を酌み交わし、談笑する。
通夜ぶるまいというこのシステムが私には不思議でたまらなかったが、
お酒が必要なことも、笑いが必要なことも、お腹がすくことも理解できた気がする。
壁を隔てての、生と死があり、故人と残されたものとの関係があった。
祖母の葬儀が悲しくも、どことなくすがすがしくもあったのは、
祖母が87歳という天寿を全うし、
先に生まれたものが、先に逝くという順番が大きいのではないかと思われる。

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第395話 おかんの子供

2011年11月09日 21時02分41秒 | Weblog
(前話の流れから)
男性にとっての母親の存在といえば、父もおかんの子供であった。

祖母は5人の男の子を産んだが、1人、水難事故で亡くしているので、
4人兄弟を育てあげた。
祖母をはじめ、父からも亡くなった子供(父にとっては、弟)の話は話題にのぼることはなかったが、
亡くなった四男が非常に聡明な子供であったことを母から聞いたことがある。
近くの川で遊んでいての事故であったらしい。
それまでずっと父は4人兄弟だと思っていたし、
祖母にそんな過去があったことなど知らず、衝撃であった。
私が息子を産んでからのある日、
「こんなちょっとの水でもな、亡くなる子は亡くなるねん・・・絶対、目ぇ離したらあかんで」
唐突な忠告ながら、その真剣さに私は頷くしかなかった。
私も子供を産み、母となった今、
祖母が亡くなった我が子を思い、どれほどの涙を流し、また、隠してきたことか
その計り知れない悲しみを思う。

話はそれたが、
納棺の儀(第390話・「家族葬」参照)、4人兄弟が祖母の死装束に手を添えていく。
長男である父で64歳、
大の大人が母親の体に触れるということは日常生活ではないことであろう。
指示に従って神妙な面持ちで紐を結ぶ祖母の子供たち。
母、危篤。
父という男の子は足繁く面会に通っては話しかけることもなく、すぐに病室から出てしまう。
祖母の変わり果てた姿を見るのが辛いのだと。
そう言って父は笑っているつもりであろうが、私には泣いているようにしか見えない。
葬儀中、4人の息子たちはそれぞれのタイミングで涙をぬぐう。
普段の様子から計り知れなかったが、4人の男の子たちは、皆お母さんが大好きだったのだ。
女性のように流れるものではないだけに、その一粒、一粒に祖母の偉大さを感じる。


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第394話 鏡よ、鏡

2011年11月06日 06時49分32秒 | 子育て・「おママごと」

息子とO先生(保育園の先生)の話になる。
私「O先生って美人だよね~」
息子「ん? 美人じゃないで」
私「なんでぇ、綺麗やん!」
息子「え? だって、ママのが綺麗やもん」 ママ、感激!!

この息子の口説き文句に舞い上がっていたが、ふと友人の言葉を思い出した。
友達の息子さんやねんけどな、自分のお母さんが世界で一番美人だと思い込んでるねん。すごいやろ?
確かに、すごい・・・息子にとっては、世の中のお母さんがミスユニバースになれる
という仕組み。
子育てにヘロヘロになりながらも、ある日突然のこんな言葉に癒される。

息子よ、息子よ、息子さん、
この世で一番美しいのはだぁれ?
それは、お母さん、あなたです。

たぶん、我が家にしか通用しない常識であり、
また、息子にとっても期間限定の誤解であるので、ここに書き留め、
よき思い出として残しておくこととする。
この先、おかんと呼ばれ、口もきいてくれなくなるかもしれないけれど、
あなたも昔、こんなことを言ってくれていた証として・・・遠い昔の話だけれど。

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