先ほど前話で無知で勝手な私見を述べさせていただいたが、
時事・政治に疎い私が、世の中の動きとやらを気にし出したきっかけは、妊娠。
(成人、社会人としてかなり遅いが)
私のお腹の中に赤ちゃんがいる・・・とわかったとたんの突然変異。
急に地球レベルまで、壮大に視野が広がった。
日本の将来を思い、世界平和を願い、地球環境まで考える。
今まで自分の足元ばかり見ていたけれど、
これからは10、20年先を考えて・・・しまったり。
いついつまでも平和でありますように・・・祈ったり。
我ながら恥ずかしい変わりようであるが、
この子の住む場所、この子の未来となると他人ごとではないのだ。
体内では太古の昔からの急速な生命の神秘を辿り、
脳内では価値観が一変するような革命が起きる。
妊娠して何がよかったですか?と問われたら、大きくなったお腹をなでながら、
この子のおかげで自分の中に新しい視点を得ることができたことですと答える。
妊娠1ヶ月、ここでの自覚症状はほとんどない。(前述、第152話参照)
予定日を過ぎても生理が来ない、基礎体温が2週間以上も高温を維持している・・・
もしかして?!の可能性、大。 妊娠に気づき始める2ヶ月目(4~7週)。
この頃の赤ちゃんは、魚のような形で頭と胴体の二頭身、
胎芽(たいが)といわれる時期。まだ、胎児ではない。
ここで一気に妊娠モードに盛り上げてくれるのが、つわり!
不快症状あるものの「つわりで・・・」と語る自分に酔って、ちょっぴり快。な~んて
余裕もつかの間、妊娠3ヶ月(8~11週)、つわりは本格的激化。
朝起きた瞬間、もう既に、気持ち悪い。
明日の朝にはどうかすっきりと目覚められますように。
明日こそとつわりの夜明けを念じて、毎晩床についていた日々懐かしく。
朝目覚めた時、すっきりしている。このことがどんなに幸せなことか・・・
失ってはじめて、「何でもないようなことが幸せだったと思う~」である。
自覚症状もなければ、傍から妊婦だと分からないこの妊娠2ヶ月、3ヶ月、
流産のしやすい時期でもある。
つわりは赤ちゃんからの「ママ、僕?(私?)、ここにいるよ」のアピールであり、
「ママ、無理をしないで。体を大切にしてね」のメッセージ。
もしも、つわりが愉快痛快症状だったら?
私は駅まで猛ダッシュ、駆け込み乗車していたかもしれない。
私は激安商品目がけて人ごみに突入、
タイムサービスの雰囲気に衝動買い、重い荷物を引きずっていたかもしれない。
妊娠発覚、歓喜に任せて妊娠記念バンジー(ジャンプ)に挑戦していた
かもしれない? 恐ろしい話である。
横にならずにはいられない不快症状で安静を促すとは、うまくできている。
私は切迫流産を経験している。
つわりは辛いものだが、つわりがある限り、お腹の子供は生きている。
安定するまでの唯一の手がかり。赤ちゃんが生きている証拠だから・・・支えだった。
私は産科健診が待ち遠しかった。
赤ちゃんの心音(心臓の音)をきくと、不思議、嘘みたいにつわりがひく。
つわりの原因でありながら、また、乗り越えることができるのも我が子の存在。
妊娠3ヶ月、赤ちゃんは人間としての原型が完成し、胎児と呼ばれるようになる。
赤子の成長、目覚しく。
体内で、もう一つの心臓がどきどき動き、手足をばたばた動かしている。
こんな劇的な変化が起こっているのだから、
心身共に不安定になるのも当然かもしれませんね。な~んて
喉もと過ぎて、いえること。
つわり真っ只中のあなたへ。
「つわりが永遠に続くことはありません。いずれおさまります」のアドバイスに
どうぞムカつかず、やり過ごしてください。
※切迫流産と診断を受けた時、安静にするよう指示を受けます。トイレや洗面以外、できる限り横になって体を休めるようにとのアドバイスが。私は勤めておりましたので、職場にエレベーターがあるかどうかも尋ねられました。階段の昇り降りもよくないと・・・階段が? ヒール(靴)が? そんなことが?と驚くほどデリケートなのです。この時期、私はこのくらい大丈夫!でなく、赤ちゃんにとっては?を考え、ご自愛下さいませ。
つわり関連話・・・第141話「ほぼあけましておめでとうございます」,第143話「社会温暖化熱望」
「おめでとうございます。妊娠2ヶ月ですよ」
そう、テレビドラマでもよくあるこの台詞。
妊娠したら生理が止まる。
そこから、どうして2ヶ月、3ヶ月になるまで妊娠したことに気づかないのかな・・・
普段から生理不順? 無頓着? 鈍感? この疑問、無知な私の誤解だった。
妊娠40週、始まりは最終生理が始まる日。
妊娠1ヶ月(0~3週)の、0~1週は妊娠以前、
2週目に・・・コウノトリがやってきて・・・と、3週を迎えるころ卵が子宮内に着床。
ここでやっと妊娠成立。
ということは? 妊娠1ヶ月とは、妊娠までの神秘!
無頓着でも鈍感でもなく、わかるはずがないのである。
よく子供が生まれるまで十月十日(とつきとうか)というけれど、
判明してから出産予定日まで残り約9ヶ月間、
加えて、妊娠ヶ月はひとつき4週間ごと。
お腹の子供と一心同体マタニティライフの進行はカレンダー月より早く、
暦上では誕生まで7~8ヶ月(しかない)
今、そして、これから妊婦のみなさま。
マタニティライフは思うより短いので、思う存分、楽しんで下さいね。
それにしても妊娠の始まりが、最終生理開始日とは驚いた。
これが最終生理になるんだろうな~なんて思いで迎えていたわけではなく、
妊娠が判明した段階で、いつもの生理が最終呼ばわり。
もしかして?の兆候があらわれた時点で、既にもう妊娠2ヶ月なのである。
目にはさやかに見えねども、1の前には0(ゼロ)が存在している。
ゼロ、妊娠以前の土台作り。
普段(妊娠前)からの母体管理の大切さを思わずにはいられない。
規則正しい生活を。塩分控えめ、バランスのいい食事を。体を冷やさない。
お腹の子の為に・・妊娠をきっかけに心がけた生活改善は
妊娠後も続けていけたらと思っている。
妊婦ばかりではなく、子宮に、すべての女性の体にやさしいのだから。
(もれなく亭主にもよい)
※産婦人科へ行くタイミングは生理予定日より2週間ほど過ぎた頃を目安に。
初診時は私のように会計で冷や汗をかかなくていいよう懐をあたたかくして向かいましょう。
ご無沙汰しております。
いつもご高覧、ありがとうございます。
その気持ちを裏切り、これまで更新できずにいましたこと、
心よりお詫び申し上げます。
待ちに待った産休、
あれもしたい、これもしたいの構想むなしく、
予定より早く生まれるかもしれないとの先生のお言葉に、
すっかり引きこもり妊婦と化していましたが、いよいよのようです。
正期産範囲内突入の妊娠37週、
いつ生まれても・・・な状況から、いつ生まれるか?!な状況となりました。
どうしようまだ母親になる心の準備が・・・
お腹の子との一心同体ライフをもう少し味わっていたいのに・・・
これが、今の本音で・・・
やっと会えるねの境地ではない自身の不安と恐怖が情けなく・・・
妊婦中に出会った一編の詩を思い出し。
子どもについて
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った。
どうぞ子どもたちの話をして下さい。
それで彼は言った。
あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない。
彼らは生命そのものの
あこがれの息子や娘である。
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない、
彼らはあなたがたと共にあるけれども
あなたがたの所有物ではない。
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが、
あなたがたの考えを与えることはできない、
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが
彼らの魂を宿すことはできない、
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、
あなたがたはその家を夢にさえ訪れられないから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが、
彼らに自分のようにならせようとしてはならない。
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。
あなたがたは弓のようなもの、
その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる。
射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす。
射る者の手によって
身をしなわせるのをよろこびなさい。
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように
じっとしている弓をも愛しているのだから。
「ハリール・ジブラーンの詩」 翻訳:神谷美恵子 角川文庫 より抜粋。
弓となる日、母としての誕生を目前に。
気持ち乱れて。いってまいります。
あと、しばらくの無更新をお許しいただければ幸いに存じます。
マタニティウェア通勤2日目の朝、通勤電車で席を譲ってもらった。
感動した。
座りたい!毎日願っていたことが叶ったそのひととき、私は優しさに包まれ、感謝に満たされる。
現実は甘くない。帰りは、もちろん立って揺られて帰る。
思い出しても、つわり期とにかく辛かったのが通勤電車である。
つわりの症状は、込み上げてくる「吐き気・ムカムカ・イライラ」様々ある中、
「乗り物に酔いやすい」も代表的な症状らしい。
朝の満員電車は座れない。
優先座席前に立つもののまだ妊婦とわからないので、譲ってもらえない。
数少ない優先座席への望みは捨てて、運がよければ途中の駅からでも座れるかもと普通座席扉より乗車。
扉付近通路は人と密着お腹がぺしゃんこになるので、嫌がられても車両真ん中まで突き進む。
つり革をつかむ為とはいえ、上に手を伸ばす行為は妊婦にはよくない。
椅子の手すりを持てる位置に立つ。
持てる位置に立てなくても、手を伸ばして何としてでも下にある手すりを持つ。
伸ばした私の手をロープ代わりに持たれかかる人がいる。
気になるが、この手は離せない。腹筋を使ってふんばることができないからだ。
電車の扉が閉まった瞬間、自分を励ましながら次の駅の到着をひたすら願う。
切迫流産と診断を受けての不安と吐き気の中での立って揺られて通勤。冷や汗ものである。
この妊娠初期が、一番、心から、ほんとうに、座りたかった時期。
乗り換え駅に到着。壁によりかかり、しゃがみこむ。
通勤に急ぐ足音を耳元間近にききながら、酔った体の回復を待つ。
その間に乗り換え先の電車が行ってしまう・・・悔しいがまた一本後の電車に乗ることにする。
このようなことを繰り返していたが、大丈夫ですか?と声をかけられたことはない。
善意で人に声をかけた為の遅延着証明なんて出ないし・・・
例え声をかけられても病気じゃないので、私も大丈夫ですと言い返すしかない。
互いに無駄なことはしていないのだが、いきかう足元を見ながら、ふとさびしくなる。
私も少し前まであんな速度で生きていたんだな・・・立ち上がり、乗り換え先へ向かう。
途中、サラリーマンが全力で走ってくる。間もなく発車する電車への駆け込み乗車だろう。
ふらふらして万一彼にぶつかってはいけない。おなかを守るように歩く。
帰りも、ベットタウンへ向かう電車は座れない。帰りぐらい座りたい。
いったん家とは反対方向に向かう電車に乗る。始発駅に向かい、座って帰るのだ。
つわり期の酔い対策であるが、座って帰れることができても、かかる時間の長さに体力を消耗した。
どうしても、どうしても辛い時は・・・
私、妊娠しております。申し訳ございませんが、お席譲ってもらってもいいですか?
そう声をかけるため、もしもの印籠用に母子手帳を鞄の中に入れて持ち歩いているが、
いまだ使えた試しはない。
朝の静まり返った電車で、私より先に乗っているどなたかを選んで声をかける勇気がない。
妊娠初期は妊娠していることが周囲にはわかりにくい。どうすれば?
揺られながら、考える。
交通機関妊婦指定席制。通勤朝用にあらかじめ事前に時刻指定で指定席を確保するというもの。
産科検診のある日等、職場を休暇する日もある。完全平日使用確約できないので、妊婦の都合で空席にしてはいけない。却下。
母子手帳提示座席交替制。誰を指名するかストレス有り。加えて、現在妊婦ではないのに妊婦を装った悪質な利用者の発生も考えられる。却下。
失敗が予想される馬鹿な私の失笑案とは異なり、世の中には賢者がいる。
「マタニティマーク」なるものがあるらしい。
妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくするものとして、厚生労働省が推進している。
らしい。どうやら国民に広く周知しているようだが、私は知らなかった・・・
まだ普及率は低いのかしら? では、そのマタニティマークを見て何人の方が席を譲ることができるのかな? 広く国民の関心を喚起することにしたとあるが・・・
カプチーノも厚生労働省の妊産婦にやさしい環境づくりを賛同、
弱小ブログながら喚起に参加。
みなさ~ん、マタニティマーク、可愛いよ! マタニティマークで検索して、見てみてね。
私もこのマークを身につけていたら!・・・?
妊娠中期に入り、ようやくおなかもでてきて、一目で妊婦とわかるように。
だが、相変わらず立って揺られて通勤中。
私のお腹をちらりと見て、席を譲ることなく新聞を大きくひろげるサラリーマン。
できれば私の主人のこんな姿は見たくない。
主人にはこんな時、男としてやはり立ってほしい。
私自身の意思で共働きを選択、時差出勤を心がけずラッシュアワーに乗っているので、「私は妊婦なんだから、席を譲ってよ」などと申し上げる資格などない。
ただ、席を譲ってもらったあの日、私の体を気遣う人の優しさに包まれ、あたたかかったなと・・・
マタニティマーク、シルバーマーク、障害者マーク、マークの周知だけでは心配なことがある。
サラリーマンもOLも学生も、みんな座って下を向いている。
眠っていたり、携帯やゲームをしていたり下を向いているので、マークが見えない。
広く国民の 何を 目覚めさせればよいのだろう・・・
これから生まれてくる我が子に、この世の光がやさしくあたたかいものであってほしい。
感謝で満たされますよう何を目覚めさせればよいのだろう・・・
※かくいう私も今まで下を向いていた側、恥ずかしながら私自身に向かっての言葉。どうか今までの悪行、お許しいただきたい。
安産を願って・・・
妊娠5ヶ月の戌の日、お産が楽な犬にあやかって、さらしの腹帯を巻く習慣があるそう。
この妊婦帯、大きくなって冷えやすいお腹を保温したり、
腰や背中の負担をやわらげたりと身体安定帯だけでなく、
私には精神安定帯でもある。
さらしを巻くと、お腹が大きく丸くなってなんだか妊婦さんみたいで・・・嬉しい。
嬉しくて毎朝、さらしを巻いている?
世の風習に習い、さらしを巻いて出勤すると、
急に目立ち始めたお腹を見て、おめでた?ときかれる。
ほとんどさらしのなんちゃって妊婦ですとも言えず、はいと答えたが最後。
もう後戻りできない。ひくにひけない、とくにとけない妊婦帯である。
毎朝、時間に追われながら必死でさらしを巻いている。
先週末の東京出張。体を冷やしてはいけない。
防寒着を持っていきたいが、重い荷物を持つことは避けたい。
ここはなるだけ身にまとっていこう。
さらしに、コルセット、スパッツ、タイツと重ねに重ねてスカートをはく。
大き目のスーツを用意していたにもかかわらず、最後のホックがしまらない。
仕方がない。
ファスナーを最大限まであげると、どうにかジャケットで隠れる範囲。いける。
渋谷に到着、その時、それは突然起きた。
何?足元を見ると、スーツのスカート・・・?
ひゃ~
スカートがずれてる
を一気に飛び越え、
落ちてる!
渋谷駅東出口バスターミナル前。
ロングコートの内側には黒タイツのみの私は女江頭2:50。
・・・きゃ~
一緒にいた先輩がどうしたらいい?端による?ときくものの、
スカートはくるぶし。動くことができない。
笑いながらその場でスカートをたくしあげるしかない女江頭2:50。
人工的にふくらましたお腹におぼれ、最後のホックがしまらない・・・
夏の暑い日も肌の露出は極力控え、キャミソール姿で出歩いたことのない私が
まさかこの歳になってこんな大胆なことを・・・しかも、真冬。
なんちゃって妊婦からあやうくストリートキングである。
妊娠中期5ヶ月目。
新米ママへのアドバイスに「腹帯を巻きましょう」の他、
「そろそろマタニティウェアが必要です」とある。
遅ればせながら、本日よりマタニティウェアを装着開始!
ようやく、つわりがあけました。
まだ完全にとはいえませんが、ほぼ完全に、です。
そろそろつわりが終わるといわれる4カ月に、二度目の切迫流産。
近況を綴りたい、訴えたいことがあるのにままならず、更新途絶えましたが、
昨日、我が子の心臓の音もきけ、ようやくひと安心の5ヶ月目突入となりました。
主人には、ここまで書かないほうがいいんじゃないのかい?と言われます。
私を知る方の視線を思って、私を想っての言葉だと思います。
それでも、私は書きたいのです。
一度目の切迫流産の時、
「育つか育たないかまだわかりません。出血が止めまればいい。安静にするように」とのみ。
この事実の衝撃に、診察室では何も聞き返せず、
一人になってから、不安が大きくなっていきます。
本を購入し、パソコンで切迫流産を検索し情報を集めました。
しばらく・・・って書いてあるけれど、出血はどれぐらい続いても大丈夫なの?
安静にするって一体いつまで?どの程度?
不安な中、続く出血に調べて得た知識に恐怖感が伴います。
もし、「胞状奇胎」だったらどうしよう?
私の場合、結局20日間の出血が見られましたが、我が子は「育っ」たのです。
私のこの20日間という事実が、誰かの不安を和らがせる材料になれば・・・。
腹痛がずっと続いていました。相談すると、
「お腹が大きくなると妊婦さんはよく腹痛を訴えます。
内臓を圧迫することから痛みが生じるのでしょう。
異常だといって診断するけれど、たいてい何もないですよ」
確かにこの時点では何でもない腹痛でしたが、その後、再び続いた腹痛は切迫流産の診断でした。
2度目は出血がないため、この診断に驚いたくらいです。
自覚症状がなくても、危機的状況に陥っている可能性があるこの経験談が、
誰かの悲しみを食い止めるきっかけになれば・・・。
だから、私は書きたいのです。
趣味でブログを発信し始めましたが、その先に受け止めてくれる誰かがいることが嬉しいのです。
多くの方と出会いたいですが・・・一人でもいいのです。
読者と書き手の、手をつないでいるようなこの感覚が好きなのです。
これからもあなたと手をつないぎたいから、
だから、私は書きたいのです。
久しぶりの更新です。誰かが私と手を受け止めてくれますように・・・おやすみなさい。
ご無沙汰しております。
花嫁はブライダルプランナーシリーズを中途半端な形で放置し、
お休みをいただきましたこと、深くお詫び申し上げます。
と共に、
変わらずカプチーノのほころび茶話んをご高覧いただいておりますこと、
心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
このひとつき…
妊娠とチョコレートのう胞の発覚、
切迫流産、お腹の中の子が育つか育たないかわからぬ状況…
このひとつき…
私は、この世の奇跡を知りました。
流産は15%といいます。10人に1.5人。親として、子の生命力を信じ、時が経つのをただひたすら待つのみ。
祈ることくらいしか何もできません。
これから先のいくつきも。
この世に生まれること、
今、生きていること、
心拍を確認できた時の喜び、
私に授かった奇跡、
命こそ、奇跡と呼ぶのだと確信しました。
自らの命を絶つ方が後をたたないとききます。
どうか、今ひとたび、授かった奇跡に思いとどまって下さい。
あなたが今生きている奇跡に比べたら、
あなたの今いる場所はあまりにも小さい気がします。
あなたの今いる場所がこの世のすべてではありません。
私は子に生きて欲しいと願います。
あなたの命こそ、すべてなのです。
私の、私たちのこの世のすべてに
メリークリスマス。