息子が「これ、中に人が入ってるねんでぇ」と現実を受け入れたうえで、
ふなっしーのものまねをしている。
私は私でふなっしーの発言から私と同年代くらいでは?
などとやっぱり中の人のことを思いながら見ている。
さて、昨年度末の事なのだが、
とある大型ショッピングセンターにて女性店員が新年の福袋の準備をされていた。
どんな福袋があるのだろう・・・我々一家が興味本位で見ていると、
女性店員が「そこにおられますと、邪魔なので」と言い放った。
ぎょ とした。(ここだけ、さかなクン)
年末、年始の準備に追われる店員さんから見れば、確かに邪魔な存在だったであろうが、
心に浮かんだ邪魔だという気持ちそのままお客様に提示してしまうのはどうかと・・・
おもてなし、なし。 ある意味、うらないし。
なぜかあれ以来、そのショッピングセンターに行っていない。
個人がその企業の顔になるのだから接客とはおそろしい。
もしも私が店員さんだったら・・・
「こちらにいらっしゃいますと、危険ですのでおさがりください」
相手を気遣う要素を加味して、「どいてもらう」という目的を達成しようかなどと考え、
反面教師にする。 なっしー(笑)
金額を読めるようになってきた息子と共にスーパーを歩く。
298。「これは、にひゃくきゅうじゅうはち」
1129。「・・・」
「千、百、にじゅうきゅう円」
教える段になって気づいたが、1から始まる場合は特殊で通常いっせんとは読まず、
その位だけを発音する。なぜ?
どんどん疑問が膨らんでくる。
398は「さんひゃくではなく、さんびゃく」
びゃくって、なに?
場合によりぴゃくにも変化する。
何気なくそんなつもりになっていたが、改めてどうしてそうなのか説明に苦しむではないか。
チョコレートをくださった方へお礼の手紙を書く(指導をした) 時もそうだ。
○○ さん へ
チョコレート を ありがとう
「へ」(へと書いてえと読む)と「を」(を書いておと読む)
これは一体どういうつもりなんだ・・・?
にんじんがシャワーを浴びていく映像を思い出す。(NHK「ピタゴラスイッチ」ぽんほんぼんの歌)
いっぽん、にほん、さんぼん、よんほん、ごほん、ろっぽん、ななほん、はっぽん、きゅうほん、じゅっぽん♪
日本語ってやつは・・・
息子には「そういう風にできている。そういった方がいいやすいからじゃない?」と断定と疑問で返す。
昔、息子に「パパはブタ年か?」と尋ねられ、干支は見た目ではないことを教えた。
昨晩、息子がパパに向かって「かさぶた!」と暴言を吐いた気になっている。
ブタはブタでもかさぶたはブタにあらず、を教えた。
チョキはチョコレート(6歩)、パーはパイナップル(6歩)、グーはグリコ(3歩)。
じゃんけんで勝った手に応じて進む。
エレベーターを降りたところがスタートで玄関がゴール。
息子も乗り気で早速「最初はグー」といっている。
最初はグーも懐かしい。これぞ伝承遊び。
ルールは簡単。
じゃんけんという小さな勝利を積み重ねながら向かうゴールの達成感。
息子にすんなりウケたはいいが、「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」だの「グ・リ・コ」だの
大きな声で叫びながら進む息子になんだか昭和の香りを感じ、
平成マンションの廊下でしまったなと照れた。これが少し前の話。
不意に息子がなぜか今夜・・・
「チョキはチョコレートやろ、パーはパイナップルやろ、グーはグラスでいいんじゃないの?」
「グーはグラス、それでもいいよ」
「あ、待って。グローブやったら4文字」
「いや、グーはグリコの3文字だから勝負が面白いのよ。全部6文字だったら面白くないよ」
「じゃあ、グラス」
「いいよ、グラスで」
チョコレートにグリコ、バレンタインデーの夜にふさわしい? 息子との会話。
グラスかぁ・・・でも、グラスは子供には格好よすぎるからグリコの方がやっぱり面白い。
息子もきっと勝負が始まったら「グ・リ・コ」と言っている気がする(笑)
意味も脈略もない。これぞ伝承遊び。
前話で身体の回復を待つとはいったが、待つ身の辛さを感じる3日間となった。
初日。
とにかくここが最大の波。
体のどこもかしこも痛く、少しでも楽な姿勢を探すが見当たらず、骨を感じる痛みに耐える。
頬骨や歯を感じる顔面分離に悩まされる。喉が熱い。
この頭の中をガンガン吹き荒れる嵐が過ぎるのをただただ待つ。
2日目。
初日ほどの波ではないが、繰り返される波に備える。
咳などしたくないのに次から次へとあふれ出るため、喉が痛い。
病院まで行く気力なし。
インフルエンザ検査員なるものはないのか・・・訪問医療制度を切に願う。
3日目。
波も落ち着き、峠を越えた感じ。
度重なる咳により筋肉痛発症。
やや回復傾向の私を見て主人が「いつになったらご飯を作ってくれるんだ」発言。
びっくりするほどの冷たさに再び悪寒が走る(笑)
車の修理代は12万円だったが、実際はもう少し手を加える必要あり、
あと6万円必要との診断を受けている。
おとといの夜から息子が体調を崩し、隣りで寝ている私もうつった模様。
最後は体調を崩すだったらしい。
これ以上さがることはないのであとは身体と運の回復を待つばかりだと思いたい。
熱により寝息の荒い息子を隣りに感じながら、昨夜は咳が出て眠れなかった。
私がうとうとし始めたら息子が「お茶」だの「おしっこ」だの言うので、起きて要望に応える。
母親になって睡眠が浅くなった。
夜中にふと目を覚ましては息子に布団をかけてやり、寝息がきこえないと心配で口元に手をやる。
「よかった。息、してる」
何度思ったことだろう。
眠る息子のまぁるい頭を幾度なでたことだろう。
息子は知る由もないが、私は夜中に母の愛を伝えている。
来年10周年を迎えることに気づき、
よくもまあ、こんなに芽の出ないことを細々と・・・続けていることに驚く。
昔書いた話は恥ずかしくてとても読み返せない。
かといって消し去ることもできず、生きるってとても恥ずかしいことだと思う。
あまりの恥ずかしさにのた打ち回ることになろうが、
いつかじっくり読み返してリライトしたいと思っている。
1,000話書いたとしても再読に耐えうる作品は100あるかないか・・・
かもしれないが、お気に入りの話を集めてブラッシュアップして・・・
やっぱり いつか「本」という形にしたい。となると・・・自費出版?(笑)
壊れる時はいつも突然で、突然という言葉が正しいのかどうかわからないが、
最後の最後は突然という言葉が似合う。
真っ黒な画面を見ながら途方にくれる。
いつも自宅のパソコンで話を書いている。
ダイニングテーブルの上に置いているノートパソコンを開いて、
前日のカウンター数を確認して、デスクトップにあるワードを開いて・・・
書く姿勢が決まっているので携帯では更新できなかった。
パソコンを買わねばならぬタイミングで車が壊れた。
いつもの道をいつも通りに右折したつもりだったが、タイヤがバースト。
レッカーされていく車を見送った。(久しぶりにドナドナを思い出す)
結局、車の修理に12万・・・パソコンの購入は遠のき、初期化にかけてみる。
これまでのデータは何も残っていない。
何もかも失った。
裸一貫から またがんばろうと思う。
(前話の流れから)
そう来たか!の意外性と言えば、漫才である。
私は漫才で繰り広げられる「裏切り」が大好きだ。
この裏切りとは、この場合こうくるだろうなという予想に反するズレを言う。
余談だが、漫才師はNON STYLE (漫才コンビ名)や銀シャリ(漫才コンビ名) が好き。
ひとつの状況設定に対する無数の拡がり(バリエーション)、
予想もつかない展開(ボケ)と修正(ツッコミ)、
繰り返し(スピード)、韻(リズム)、言葉の選択(センス)によって 醸し出す笑い。
勢いだけでなく、空気感だけでなく、ネタと間が命の漫才。
残念ながら息子は黙っていてもモテるタイプではない。
息子には人間観察力と演技力を駆使した対話力を漫才から学び、
将来、トークにて嫁をゲットして欲しいと願う。
「見て。あの人、めっちゃ ふくらんでる」
「太る」ではなく、「ふくらむ」チョイス。
確かにその方はとても大きく、ふくよかを越えていたが、
その風船のような言い回しは大変申し訳なく、子どもの無邪気さに焦る。
「あの人、めっちゃ たるんでる」
さて、これはいったいなんの話でしょうか?
正解は・・・温泉で見たご年配の方の おっぱい。
「たれる」ではなく、「たるむ」チョイス。
子どもの言葉(選択)は面白く、ここに記録せずにはいられない。