ある時はスーパー戦隊、またある時は仮面ライダー等、
種々様々な決めポーズを順番に行っていく様を「見て」と言われる。
これが意外に難しい。
息子はとにかくずっと見て欲しいらしく、ながら見など言語道断、
途中、集中力を欠いて視線を逸らそうものなら泣くわ、わめくわ、また一からやり直し。
そんな息子につきあいきれず、まず最後まで見ることができない。
最後まで見たとしても、心ここにあらず。
やれやれようやく終わった。もういいでしょ的対応。子供って、傷つくことが多いんだろうなと。
朝は朝で、晩は晩でママだって、やらなきゃいけないことがいっぱいある。
つきあっている暇なんて・・・本当にないのだろうか。
たった5分ではないか。どうしてきちんと向き合ってあげることができないのだろう・・・
子供と寄り添うことの難しさを思う。
傾聴という言葉がある。
反省し、息子のなりきりシリーズをたまには傾観してみることにする。
ウルトラマンメビウスのオープニング曲。
右手を上にあげる登場から下から出てくるメビウス、色々な角度からの映像があるのだが、
そのカメラワークにタイミングをあわせ、ゆっくり回る息子・・・きちんと見ると、結構面白い。
「どうしてパパには首がないの?」
(見えないものでも あるんだよ ちょっと埋もれているだけ)
「パパは太ってるから、あんなに怒りっぽいの?」
(そこに因果関係はないと思うよ)
「どうしてパパは男の子やのに女の人みたいに、胸、ぼ~んと出てるの?」
(う~ん、確かにママより巨乳・・・)
昔は、パパが基準だった。
外出先では「ママ、あの人、パパより痩せてる。痩せすぎやな」と語っていた息子だが、
比較と統計が可能となり、パパが逸脱していることを知る。
第443話で書いたが、目指すは次の天王山(プレゼンテーション)が終わった。
初戦より落ち着いて話せたが、自己満足度は低い。
場数を踏みながら、精進していくしかないのだろう。
プレゼンテーションに限らず、広報や営業にはその人の生き方が出てくる。
話を聞く時、人は耳だけで聞くのでなく、目で、心で、聞く。
人生かけて話さなければならないというと大げさだが、
好感度となるかならないか、信頼に値するかしないかを左右するのは、
これまでの生き様にあるのではないか。
とすれば、少しでもいい衣(雰囲気)をまとって話せるよう、
次回に向け、日々の生活を大切にしなければと思うところである。
今年も「平野郷(杭全神社)夏祭り」が終わった・・・
宮入前、だんじりが行きつ、戻りつ。
ちょうちんの明かりに浮かぶだんじりが、夜桜に見え。
7月12日・13日は、毎年、必ず、ここに帰ってくる。
息子に言う。 「また、来年。 Kが6歳になったら、また会えるからね」
事故したらどうしよう。人をひいてしまったらどうしよう・・・
身分証明書用にと免許をとった私にとって、運転することは、恐怖だった。
緊張を背に、恐怖を乗り越えての運転・・・だったのだが、
日々の繰り返しの中で習慣となり、日常となる。
恐怖が全くなくなった訳ではない。
事故しないよう、人をひいてしまわないよう、あの頃の緊張を胸に、車窓から見える風景を楽しむ。
例えとして運転をあげたが、勇気を出して一歩、前に踏み出すことだと思う。
さあ、 退屈を置いて 出かけよう
息子が5歳になりました。
身長99.9cm(惜しい)、体重13.7kg
短冊に「くるまやさんになりたい」と書いてある。
くるまやさん?
「Kはどうしてくるまやさんになりたいと思ったの?」
「パパがな、いつもな、くるま欲しい、欲しいって、
でも、お金ないからなぁ・・・ってゆってるからな、
ぼくが車屋さんになってパパに車かってあげるねん」
昨年の短冊は「チョコレートがいっぱい食べれますように」だったのだが、
今年は自分の思いより相手の思いにこたえるタイプに・・・息子の成長をかみしめる。
他の子の短冊も拝見。
「メテオ(仮面ライダー)になりたい」「プリキュアになりたい」憧れのヒーロー、ヒロイン系と
「ケーキやさんになりたい」手に職、マイスター系(売り子系ともいえる)が多かった。
年中児、「公務員になりたい」リアリティも、微笑ましい。
昔は当たり前だったこと、体験や経験に、お金がかかる時代なんだなと思う。
身近にないから、わざわざカリキュラムに組み込む。
体験を仕掛けていく、わけだ。
「人間は土から離れて生きてはいけないのよ」
天空の城ラピュタの名言を思い出す。
「土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう」
こんな名言に出会うと、一軒家が欲しくなる(笑)
お正月に立てた目標(第442話・2012年の計 辰 参照)をずっと考えている。
息子の人生の様々な折にふれ、読んで欲しいと思うとなかなか筆が進まない。
まだうまく明文化できないが、この作業は自分にとって何が大事かを知る作業となり、
完成すれば、きっと私の教育理念になるものと思われる。
そうすると他、保育園の、幼稚園の、小学校の、教育理念が気になる。
気になって調べてみると、各校さまざまで実に面白い。
その学校が考える大切なことが見えてくる。
息子の名を考える時、どうしても使いたい漢字があった。
それは「和」 高校時代の教えだ。
一、和を以て貴しとなす
一、四恩に報いよ
四恩とは
国の恩
父母の恩
世間の恩
仏の恩なり
一、誠実を旨とせよ
一、礼儀を正しくせよ
一、健康を重んぜよ
高校進学の折、この学園訓に惹かれて進学したという訳ではない。
当時、結婚願望の強かった私が、
「四天王寺高校を出たというのは花嫁道具のひとつになるよ」
と言われたことがきっかけだった(笑)
この言葉が本当だったのかどうかは謎だが、
ただ唱えていく中で、いつの間にか私の中に根づいていたことを(命名の折に)知る。
一年の半分が過ぎた。
一年の終わりには「息子に贈る言葉」は完成しているのであろうか。
宣言して半年、ここに決して考えていないわけではないよという途中経過報告をする。