クラス担任の発表は、保護者としてもドキドキものだ。
入学式の日、発表された担任のT先生。
保育園では女性保育士に囲まれて育ち、私自身小学1年生の時の担任が女性だったので、
「あ、男だ」が心の第一声。
先日行われた授業参観、その後の学級懇談会で、先生の「笑いのセンス」がひかる。
コテコテの関西の笑いではない。
「すみません」とよく言うが、決して下手に出ている訳ではなく、
突っ込みを入れるための、また、入れた後のクッション言葉として使用され、
この謝罪系話術が先生の風貌(キャラ)とあっており、確立されている。
先生の出身はどこなのか、学生時代漫談を習っていたのか・・・気になるではないか。
自己紹介で「29歳」だと言っていた。(こいつは、こいつは可愛い 年下の男の子)
教え方云々学習面ではなく、その独特の話芸に「T先生が担任でよかった」と心から(笑)
息子には1年間、先生の話術に触れ、笑いのセンスを磨いてほしいと願う。
※ 関連話「第690話・関西で生き抜く力」かな
入学式に担任欠席のニュースを見て思うのは、
その後、担任の先生は生徒たちの信頼を回復することができたのかということ。
私も息子の小学校入学式にて有休を使用した身。
このニュースを最初に見た時、小学校の入学式かなと思っていたが、
子供は高校生だという。しかも、男の子。
入学式が重なってしまったと発覚した時、担任の先生は息子さんに
「この日、お母さんはどうしてもはずせない大事な仕事があるんだけど・・・」と相談したのだろうか。
お子様と仕事に対する姿勢を話し合えるいい機会であったのではないだろうかと思う。
私なら、まず息子を男と見込んで話し合う。
次に、自分の代理者探し。
できれば、式の様子を一部始終ビデオカメラにおさめていただける方を求む。
最後に式後、二人で高校に行き、遅ればせながらの記念写真を撮る。
できることなら子供の担任の先生に事情を話し、顔合わせ、ご挨拶もお願いしたい。
そんな自分を息子に見てもらい、
職業人であること、また、息子を大切に思っていることをその後のフォローにて伝えたいと思う。
もしも私が高校生だったら・・・入学式に担任の先生がいないと、やはり辛い。
高校生とはちょっと言いすぎたかもしれない。保護者であった場合、これも辛い。
なんとなく自分を、自分の家族を軽んじられたような気がするからだ。
「先生にそんな事情があったなんて・・・仕方ないよ」と言えるだろうか・・・。
見ず知らずの方と信頼を築くのは身内以上に大変なことであると思う。
先生は、失った信頼を今後取り戻すことができるのだろうか・・・私は式典当日よりその後の方が気がかりである。
初めての授業参観・その3。
起立、礼、着席。この流れは今も変わらず、懐かしい。
先生「お口は?」
子供たち「チャック」
先生「手は?」
子供たち「おひざ」
先生「それでは、授業を始めます」
子供たち「はい、どうぞ」
毎日繰り返されているであろう授業開始前の掛け合いには驚いた。
(まずは、全員参加型か)
先生が授業参観演目(第719話・My name is参照)の説明をする時、
「ぞうさんの声じゃなくて、ライオンさんの声で」と言っている。
黒板横の掲示板にはネズミ、イヌ、ライオン、ぞうの絵があり、声のボリュームをあらわしている様子。
(図解表記がわかりやすい)
自己紹介の後は、ひらがなワーク。参観日は「と」について。
こくごではひとつのマスが4つの部屋に区切られている。左から、1、2、3、4(の部屋)。
「とは、まず1の部屋、その後、2の部屋から3の部屋を通って4で終わるよ」
(ゆっくり丁寧な解説)
わかりやすく楽しい授業に、おいしい給食。(いいなぁ、小学一年生)
先生の問いに右手をまっすぐあげて答える子供たち。この素直さ、実にほほえましい。
初めての授業参観。(その2)
息子が私の到着を見て照れ笑い。ママはここにいるよの念を送る。
授業開始前、
先生が「ワークはまだしまっていててね」とアナウンスしている。
息子を見ると、ワークが出しっぱなし。先生の話をきいていない・・・
息子に無音で「ワーク」(読唇術)、机の中に入れるジェスチャー。
息子が気づき、ワークを机の中に入れる。
先生が後ろをチラチラ見ないと言っていたにもかかわらず、見る息子。
先生の話をきいていない・・・右手で前を向くよう指示。
ついに息子(自己紹介)の番がきた。(前話・「my name is」参照)
息子が私を見る。右手をグーからパーに開き「大きな声で」を指示。
発表が終わると、息子が私を見る。「Good job」ポーズでたたえる。
全員の自己紹介が終わると、先生がワークを出すよう指示。
同時に筆箱も出すようアナウンスしていたが、息子はワークしか出していない。
今度は鉛筆を出せジェスチャー。息子がうなづきながら筆箱を出す。
さっきから私、指示を出しては頷いて・・・監督(野球)みたいじゃない?
客観的に見ると、かなりおかしな母親だっただろうと思う(笑)
初めての授業参観。
行って驚いたのが、お父様の姿あり、ビデオカメラ撮影あり・・・
知らないうちに授業参観が記録対象イベントに位置づけられていることを知る。
かつて私の母がそうであったように教室の後ろから我が子を見守る。
息子は一番前の席。
机に座る小さな息子の後姿を見て、開始前から目頭が熱くなる。
「では、これからみんなに自己紹介をしてもらいます。
一列ずつ前に出て、一人ずつ、自分の名前と好きな遊びを言って下さい。
絵はまだ裏向けててね。発表する時に見せてね。」
まずは自己紹介、春は自己紹介の季節だ。
息子の番が近づいてくる。期待に胸が膨らむ。(やっぱり私もカメラを持ってくるべきだった・笑)
「僕の名前はN・Kです。
好きな遊びはバトミントンです。パパとママとするのが好きです。以上です。」
好きな遊びはお友達とのドッジボールだと思っていた。
高齢インドア夫婦の我々は翌日からの仕事に備え、
休日公園にてバトミントンなどという無謀な体力消耗戦などめったにしない。
冬場にしたいとねだられたが、風が強いからあたたかくなったらしようと先延ばしにし、まだしていなかった・・・
なのに、バトミントン。
参観終了後、「ちゃんと大きな声で言えたね、今度の日曜日、バトミントンしよう」という流れになるではないか。
息子よ、素直に両親の良心を攻めてくる実にいいプレゼンであったぞ。
「お子様は一人で傘を閉じれますか?」との言葉に下を向く。
家から保育園まで。建物から建物をつなぐ移動手段は車。
私の傘の中に入って歩き、一人で傘をさして歩くことなどなかった。
雨の朝、傘の閉じ方を教え、送り出したのだが、
迎えに行くと傘が壊れていた。(もう?!)
なぜ壊れたのか問うと、怒られたと泣いている。
もったいないという思いから声を荒げすぎたことを反省。
本来なら保育園時代からひとりでするべきことだったかも。
私は手を貸しすぎていたのかもしれない・・・。
閉じて開いて。傘たてに入れて出して。きっとまだまだ壊すことだろう。
出費がかさむのは痛いが、できるようになるまでこれは避けて通れない経費。
まずは破壊からの摂理。破壊からの再生を目指し、新しい傘を買う。
「99%の人がしていないたった1%のリーダーのコツ」(河野英太郎著)を読む。
ちなみに私はリーダー(管理職)ではなく中間管理職だが、
真ん中ポジションで読んでも新人ポジションで読んでも、ドラマを見ているような面白さがある。
実際の現場も具体的に思い出され、本を見ながらニヤッとしてしまう。
「リーダー」とくれば「チーム」となる。
課でなく、チームと見ることで管理体制に温度が生まれる。
著者曰く性善説に基づいたコツ(アドバイス)に「ついていきたくなる上司」像を見る。
パフォーマンスの高い仕事ばかりやりたがる、(面倒で地味な仕事をやりたがらない)
依頼すれば否定がかえってくる、(手を動かすよりまず口)
進捗状況関係なく時間で帰る・休暇とる、(権利主張型)
などなど、力あるリーダーには見せない顔をセンターポジション女子は見る。
私たちの時代は・・・なんて通用しない世の中に。
頼むことのできない業務をひっそりひとりでひっしに片付ける。
そんな中間管理職のコツをぜひ次作で説いてほしいものである。
学童に迎えにいくと、ランドセルの中に何もない。
教科書も、ノートも、宿題もない。ないから、宿題をしていないという。
小学校の学童は午後6時までなので、お迎えが間に合わない。
なので、我が家は小学校ではなく、私立の学童保育所に通っている・・・再び小学校に行くことにする。
「え~、おなかすいた」などと言っているが、失敗は身を持って償ってもらうこととする。
給食開始初日、給食袋を持たせる。
家に帰ってみると、袋の中に箸箱(ニュー)がない。
息子にきくと、どこにあるのかわからないという。
小学校なのか、学童なのかもわからなければ、仕方がない。
翌日、自分で探すよう指示し、2日目でユーズド感あふれる箸箱を持っていくこととなる。
息子が帰りの車の中で責める。
「健康カルテにハンコ押しておれてなかったやろ」
「え、身長と体重のところに、ママ、ちゃんと押したよ」
「違う。そこだけじゃないねん。
表の○、○、○って書いてあるところにも押さなあかんねん。みんな押してたわ」(憤慨からの泣き)
不慣れから毎日何かと起こるのだが、息子よ、自分の失敗には甘く、人の失敗には厳しくないかい(笑)
4月17日、ついに給食が始まった。
私はこの日をどれほど心待ちにしていたことか・・・とにかく嬉しい。
ちなみに今日18日の献立は息子の好きなカレーライス。
お弁当を作らなくていい解放感・・・あぁ、幸せ。
幼稚園か保育園か、私立小学校はどこにするか、
(表立っては言えないが)実際、給食の有無が進路選択に与える影響は大きいと思われる。
私が保育園を検討する時、重視したのは「献立表」だった。
お米は無農薬有機栽培米、調味料は無添加、日高産の昆布と枕崎の鰹節で作るお出汁・・・
献立表を見ながら、この園でよかったと幾度思ったことか。
「You are what you eat」
「あなたがどんな人かは、食べてきたもの次第」
保育園のお友達はそれぞれ居住地校区の小学校に通う。
バラバラになったが、町立小学校はすべて同じ給食メニューを食べるようだ。
寝食(といってもお昼寝とお昼ご飯だが)を共にした仲間が、
離れてもなお食でつながっていることが・・・なんとなく嬉しい。
「小学校なんか行きたくない」
3日坊主丸出し発言に対し、その理由を問う。
「勉強するの、嫌」
最初は学校に慣れるところから始めるのでまだ授業が行われない。
にもかかわらず、もう勉強嫌いですか・・・前途多難。
ここは、テンション上げ上げ作戦である。
この際多少の出費はやむをえない。即断即決。
週末「妖怪ウォッチ」水筒を購入。
明日からランドセルに入れて持っていこうと添えると、頷いている。
大好きなキャラクター作戦、大成功。
※今、小学校では毎日水筒を持参するそうだ。
なんの疑いもなく水道水を口飲みしていたあの頃の私。
あれはそんなにワイルドな行為だったのだろうか・・・夏の生ぬるい水の味を懐かく思い出す。