先日、メロンパンナちゃんへあてたコメントの中に、
「続けて、保育士試験を受けてくださいね」なんて書いて・・・
ふと、そういえば昨年エッセイコンテストに落選したなと思いだし、
住友生命のホームページでエッセイコンクール募集要項を見てみると、
締め切りが9月30日だった。人に受けろといいながら、自分はどうなのかと応募することに急遽決定。
慌てて作成、今、送信してきた。
送ったデータを読み返してみると、句読点の場所が気になったり。内容が濃くなかったり。う~ん。
前回の話(第229話・じぃじのテレパシー)がとても思い入れのあった作品だっただけに・・・
落選した作品を越える手ごたえはなかった今回、入賞はまたもや難しいそう(笑)
綴りながら、
ほんとに月並みなことしか書いていないよな~という思いと、
子育てを通じて結局誰もが辿り着く思いなのかもな~と。
月並みだけど、普遍的。
平凡だけど、気づくことができてよかったこと。
素直に感謝できるようになって・・・そういうことが伝わったらいいなと。
第229話がそうであったように、また来年、ここに再び第311話をUPしま~す。
次は第312話。平常心で綴っていきます。
お盆に引き続き、この日曜日も祝日もこの先にある祝日も主人は仕事。
外は暑いし、息子と2人何をしようか・・・。
保育園に通い始めてからしばらくは息子が休日ごとに体調を崩すので先の予定(会う約束)を組めず、
気がつけば専業ママ友と疎遠な感じ。かといって、
園のお友達ご一家も平日離れている分、休日は家族時間を満喫しているであろうと気軽に誘えない。
普段園に預けているだけに、こんな時こそ親子時間を!と思うのだが、
一週間働いた疲れがどっと押し寄せ、何か約束事でもない限りだらだらと過ごしてしまう。
そんな私にYちゃん(女の子)ママ(専業ママ)から「遊びましょう」のお誘いが。 嬉しい。
我ら母子、Yちゃんの生まれたばかりの弟(生後3ヶ月)に会いにいく。
「赤ちゃんに会いにいくの?」
この企画にKもわくわくしているようだ。
赤ちゃんを前にKがどういう行動をとるのか。あえて事前レクチャーせず、興味津々に見守る。
K、赤ちゃんの頭を優しく、なでなで~(かなりオーソドックスだが)
ガラガラで赤ちゃんをあやす(でかしたK)
ママ、感激。いつの間にかお兄ちゃんになって・・・じんとくる。
Yちゃんと遊ぶ。おもちゃをとられた。普段は私と1対1。こんな事態になることがない。
K、私をちら見。ママは何も言わないし、助けないよ。どうするK?
K、人差し指をくわえて泣く。
パズルをする。最後のピース。2人とも最後は自分で決めたいらしく、最後のピースを離さない。
どうするK? あ、Yちゃんが最後のピースを、はめた。
K、人差し指をくわえて泣く(笑)
ママは最後までお友達に手をあげなかったKを嬉しく思い、抱っこでよしよし。
泣いて、遊んで、また泣いて、けろっと忘れて笑ってバイバイ。
この企画、集団の中のKを見ることができてよかったなと。
しばらくして街であの時遊んだプリキュアのパズルを見かける。
「これ、Yちゃん家にあったな! Yちゃんのと一緒やな!」興奮気味のK。(楽しかったんだね)
Yちゃんママが育児の合間に保育士の勉強をしていることを知った。
あれから私ももう少し落ち着いたら何か・・・なんて思いながら通信講座を探していたり。
母子共に感化され、結局いつもの休日から彩り多き休日に。
互いに休日パパは仕事でいないことが多いので、家族ぐるみ未満の母子ぐるみだが、
母子共にくるまれるっのもいいものだ。
母子ぐるみから拡がってもう少し大きくなったら地域ぐるみにも参加したいな。
1人で高速道路に乗り、車線変更できるのか?
この恐怖に気持ちがくじけそうになるが、
1人で乗り越えないと、いつまでたっても自信がつかないと思いきる。
行くぞと決めた初日の朝は、
最大の難関箇所である車線変更のことで頭がいっぱい。緊張で体はカチコチ。
いざ走り始めてみると、
え~っと、ここはどの車線を走ればよかったったけ?
左車線がなくなるって言っていたような・・・どこでなくなるんだっけ?
なくなるから、真ん中のレーンを走っておけばよかったんだよね?
え、じゃあ、いつ一番左車線に移動しておればいいんだっけ?
高速別れ道を目前に、えー、どっち? どっちにいけばいいのー、などと次々に疑問が。
高速道路上、いまさら職場を目的地セットできな~い(泣)
いつも疑問に思う前に後ろから「今や、左に行け」とか指示があったからな・・・。
わかっていると思っていたが、それは同乗者がいた安心感からだったことに気づく。
勇気を奮い立たせる、なんていう行動はここ久しくなかったが、
1人でやってみるというのは、上達と自信への近道だとしみじみ。
1人で帰る帰り道が、景色が違ってまた新鮮で・・・わからない。
スピードの遅い車は一番左車線っていっておきながら、途中で道なくなっちゃうじゃんなどと不服ぎみに
前の車について走っていたら、Pって何? あ、パーキングか。違う、違う私には園のお迎えが。
と、初日はこんな感じで終了。
毎日の高速出勤は赤字なので車で出勤は3日間となったが、
「伸び悩み」(第301話 成長曲線参照)から少し脱却できたような気がする。
でも、3日坊主。ミラーに映る車間距離と左の車幅感覚がつかめていない。まだまだだが、
まさか私が運転できるようになるなんて思ってもみなかった・・・恐怖を乗り越えた先にある喜びを知る。
とびひからアトピーの思い出(前話参照)をたどりながら、
私は息子にあやまらなければならないことがあることに気づく。
赤くはれあがった息子の顔を見て、
いつかツルツルの肌色になってからと先延ばしにし、いつかいつかと待っている間に
結局残せなかった成長記録写真。
世間より圧倒的に少ないのではないかと思われる息子の写真。
大きくなった時、きっとK、かなしむよなぁ・・・とりかえしがつかない過ち。
夫婦共に自分が撮られるのが嫌で、思い出を残す習慣があまりない。
とっさのシャッターチャンスに弱い。
写真は目的地に着いてから撮るものかと思い込んでいた。
嬉しそうに笑いながら走る息子をうっとり見ていると、
横から弟が「今のシャッターチャンスやで」と教えてくれた。
そうか、着く前から(記録は)始まっているのかと今更気づく始末である。
カメラを構え、どう撮ろうかと悩んでいるうちに、息子が走り終えてしまった・・・私には無理だ。
弟にカメラを託すと、これでもかというほど写真を撮っている。
撮りすぎじゃない?ときくと、これいつもより少ないと返される。
その日の夜、撮りすぎじゃないかと思われた写真を見返すと、中に奇跡の一枚が。
ずっと残したかった息子の笑顔。
まずは撮らなきゃだめなのかと思うが、
息子が笑うといつも見とれてしまって(親バカ)カメラを構えることを忘れてしまうのだ。
相変わらず、写真が増えない。ごめんねK。
テレビを見ていると、クモが巣を作る様子がうつしだされていた。
作った巣にてんとう虫がひっかかる。クモが糸を巻きつけ、ついに食べるその瞬間手前で映像終了。
息子「クモ、てんとう虫さん食べたらあかんなぁ。かわいそうやなぁ」
私「でも、Kが肉や魚を食べるように、クモさんも食べないと生きていけないの」
息子「てんとう虫さんは食べたらあかん」
私「じゃあ、クモさんは何を食べるの?」
息子「肉や魚」(←ここ、私の心のシャッターチャンス!)
自分の殺生に気づいていない幼い息子よ。
私は写真では残すのは苦手だから・・・文字にて記録。
ママはウルトラマンの歌を
「帰ってきた、じょ。帰ってきた、じょ~。ウルトラマ~ン」と歌うKが大好きです。
息子がとびひに。
年がら年じゅう何かと掻いているので、いつものことと思ってしまったのが、
伝染性膿痂疹(とびひ)発見の遅れ。
その名の通り、あっと言う間にひろがって、現在鎮火活動中。
その症状を前に、アトピーが一番ひどかった頃のことを思い出す。
行きつけの皮膚科に行くと、いつもだいたい3時間待ち。
月曜は4時間。憂鬱な時。
息子がまだ赤ちゃんだったころ。
アトピーにいい病院があるときけば、電車を乗り継ぎ、息子と共に向かった。
たいがいどこでも待たされた。
今度こそツルツルの赤ちゃん肌に。赤い斑点模様の肌を肌色に。高まる期待。
グズる息子をあやし、ようやく迎えた診察。
先生から開口一番「どうしてこんなになるまで、ほっておいたんですか!」とよく叱られた。
ほっておいたわけではないのだが・・・
息子の前で怒られ、この子がかわいそうではないのかとステロイド治療に対する有効性を説かれた。
ヘトヘトに疲れ、病院に行くのが億劫になった。
漢方でいい病院があると教えてもらう。もちろん遠方。
通院の距離ではなく、そこに通うということは母乳をあきらめねばならず、
考えた末、行かないを選択。
どの病院に通い、どんな治療を選ぶか。親である私に全権限があった。
私のこだわりの為に、息子には随分遠回りの治療をさせたのではないかと思う。
あの時、さっさとステロイドを塗っていたら・・・? 母乳をやめていたら・・・?
息子はもっとぐっすり眠ることができたのだろうか・・・。
もう待つのも、怒られるのも嫌。
こんなひどい状態の息子を連れて、外出できない。
受診放棄にひきこもりまで重なった頃、
見かねた両親が私の代わりに早朝から診察券を入れ、私の代わりに順番を待ってくれたのが今の病院。
塗り薬が息子にあい、調合薬として何が入っているのか一見してわからないのが私にあった。
皮膚科、小児科、アレルギー科・・・色々な先生がいて、色々な治療法を体験し、
ようやく辿り着いた行きつけの病院。
薬を塗る時、手が震えるほどだったとびひのピークを乗り越えたのか
赤くじゅくじゅくだった楕円形のひとつひとつが乾き、今はクレーターのように薄く跡を残しているだけ。
肌色が多くなってきたことが、嬉しい。