息子はとても恥ずかしがり屋で・・・
「先生に、これ渡して」 とお願いしても 「恥ずかしいからできない」 と言う。
私が手を貸さず放っておくと、いつまでたっても園バックに入っている。
毎日会う担任の先生にさえいまだ・・・(いつまで照れてるねん)
昔から挨拶ができない時、「この子は照れ屋で(笑)」 などと私が代弁し、
息子のためというよりは自分のためにその場を取り繕っていたのだが、
ある日ふと、私のこの言葉が息子の照れ屋に拍車をかけたのではないかと気づく。
それ以来、「K(息子)が挨拶したのに返してくれなかったらどんな気持ちかな?
にこっと笑うだけも(相手は)嬉しかったと思うよ」 と後で伝えるようにしている。
もちろんこんな言葉がけだけで、ある日突然目が覚めるような挨拶をしてくれる訳ではない。
ただ息子の心に「照れ屋」「恥ずかしがり」という言葉を植え込むことをやめたかった。
パパにいいたいことがあるが、またもや 「恥ずかしくて言えない」らしい。
「ママにだったら言える」 らしく、きいてみる。
「Kが恥ずかしいって気持ちより、
パパが嬉しいっていう気持ちの方が大きいと思うから言ってみたら?」 と説く。
待つことしばし・・・「パパから好きやから、いてほしいの!」
相手の気持ちを考えて自分の気持ちを乗り越えるということ。
こんな小さな成功体験でも重ねることで、極度の照れ屋から個性レベルになればいいなと。
恥ずかしがり屋は息子の個性。
自分が損にならない程度に・・・克服すればいいかな。
「そうだね。死ぬね」
「神様は、死ぬの?」
「神様は、死なないよ」
「えー、神様、ずるい」
「ずるくないよ」
「神様って、生きているの? 死んでいるの?」
さて、どう答えたらよいものか・・・保留の案件とする。
息子が「肉食恐竜に食われる草食恐竜が可哀そうだ」と言う。
ご飯を前に「これは生きているもの(動物)か、作られたもの(植物)か」と問う。
「命をいただいて生きていく」話をしても、ベジタリアンへ向かっていく息子。
「草食恐竜は、肉食恐竜には勝てないの?」
毎回負ける訳ではないが、弱肉強食の自然界で不敗であり続ける確率は低い。
どう説明したらよいものか・・・
劇団四季「ライオンキング」のチケットが入手困難で今年の観劇はあきらめた(第621話)が、
思いを断ち切れずDVDを借りて見ることとする。
ムファサ(父・王様)がシンバ(子・王子)に語る。
「ライオンはシマウマを食べるが、ライオンが死ねばやがて草となり、それをまたシマウマが食べる。
命は輪となり、永遠に時を刻む」
テレビ画面に向かって「K(息子)、これが答えだから」とベストアンサーを指差したが、
息子にはまだ「サークルオブライフ」は難しかったようで、きょとんとしていた。
自然界は食物連鎖を繰り返し、命の循環が行われている。
人間は・・・?
ライオンのように草となっているのだろうか。
私は、「おにぎりとお味噌汁」と決めている。
追 伸
主人に「こんな短い話を一話とするなよ」という口頭コメントをいただいたが、
前の話からの流れで、カタカナ(表記の)料理を食べたくなることもあるけれど、
やっぱり最後は、素朴なひらがな料理だったりする。
あなたの最後の晩餐はなんですか?! みたいなことを含めての2行である。
短いけれど、考えた末、選び抜かれた? 2行だと思ってほしい。(笑)
この話を読んだ後、人生の最後に食したいものを考える時間を持っていただけたのなら、
問いかけた私としては、嬉しい流れである。
生きていることの喜びを噛み締めてしまう味がある。
シャングリ・ラ・ホテル東京のチョコマーブルケーキ、
グランドハイアット東京のフレンチトースト、記憶に残るあの素晴らしい味をもう一度。
無性に食べたくなるも、そこはあまりにも遠く、あまりにも高い・・・断念するが、
必ずやきっとまた食べにいくだろうリピーター決定の瞬間。
(その他のものも美味しいが、) 一品(一芸)に秀でると、強い。
もう15年前になるのかぁ・・・
昔見ていたドラマ「きらきらひかる」を見る。(DVD鑑賞)
面白い作品で、タイトルがずっと記憶に残っていた。
当時、年齢的に天野(新人の監察医)だった私は、
いつの間にか杉先生(天野が目標とする先輩監察医)の年齢をはるかに超えていた。
(杉先生、あれで29歳かぁ・・・ちょっとショック)
死者の最後の声をききながら、生と死を見つめる、真実を追求する、
何より信念を持って働くということを考えさせられるドラマだ。
(私なりにではあるが) かなり意識して生きている。 (ため家での安らぎに少々欠ける)
代休をいただいて、たまには1日中ゴロゴロしていたいという思いもあるが、
子供を登園させなければならないので決まった時間に起き、正装に着替え、お化粧もし
・・・それから再び横になる気がせず、いつも「掃除」している。
休まず、片づけた日の夜。主人が毎回「一体どこを掃除しているのかまったくわからない」という。
成績の悪い子がいる。
一念発起して次のテストでは頑張ろうと試みる。
本人はいつも以上に勉強に取り組んでいたが、テストの結果は散々だった。
同じ×でも結果にいきつくまでの思考回路としては進歩していたのかもしれない。
だが、結果としてその進歩は点数に反映されない。
家に帰ってテストを見せると、親に「結果がすべてだ」と否定される。
その時の子供の気持ち・・・
私なら「結果がすべてだ。結果として表れてないなら、やっていないことと同じだ」
と決して言わない自信がある。
それは、私が毎回言われてすごくヤな気持ちになる断定的否定言葉だから。
お片づけテキスト「断捨離」や「人生がときめく~」も読んだ。
だが、結局捨てることができないのが育児グッズだ。
次の子が生まれたら・・・と捨てることができないものたちが限られた空間を埋め尽くしている。
きっとこの未来への期待を捨てることができたら、この家はすっきりするに違いない。
誰も着ることができない小さな服やおもちゃたち・・・
私が閉経したら、この家は綺麗になるだろう。 あと もう少しだけ待ってほしい(笑)
本屋さんで「家に帰ると必ず妻が死んだふりをしています。3」が目にとまる。
気になる題名だったが、
シュリンクフィルム(あの透明のビニールの名前らしい)に包まれ、閲覧できない。
見渡すと2(ツー)はあるが、1(ワン)がない。
映画やドラマ、様々なシーンで一番面白いのは最初の作品(one)な気がするので、
読むならやはりワンからにしたい。
帰宅して「家に帰ると必ず妻が死んだふりをしています。」を検索、
「伝説のYahoo!知恵袋の質問」を読んで、おおよその内容を把握したのだが、
主人の帰りを迎えるという行為にこれだけのエネルギーをさくことができるなんて・・・
この人(妻)すごい、なのだ。
サプライズは、驚かせるのが目的であるが、
驚かされる側の期待が前提にあり、それに不意打ちで応えるともいえる。
私自身サプライズは好きだが、主人が、あまりにもことごとくサプライズしないので、
私ばっかりなぜ? の気持ちから 我が夫婦にサプライズはなくなった。
女性はとかく「目には目を」攻撃をしてしまうものだが、
相手を楽しませたい、喜ばせたいという遊び心をたまにふりかけなければ味気なくなるかもしれない。
なんてことを考えさせられる本(まだ読書前だが・・・)だった。
実はこのたび主人より妻としては失格宣告された。
主人が求めているのは、私が死んだふりをすることではない。
そんな遊び心より大事な? 「部屋が綺麗に整っており、食事は一汁三菜」であること。
我が家の場合、悲しきかな「毎日家に帰ってくるなり必ず夫が怒っています。」
今年の夏休みに息子の思い出に残るビックイベントをと思い、
ひらめいたのが、劇団四季の「ライオンキング」
独身の頃観たあのミュージカルを今度は成長した息子と共に観る!まさにサークルオブライフ企画。
いざチケット購入画面に進むと、
7月発案では遅すぎたようで「全席完売につき当日券の発売はございません」状態。
8月も、9月も・・・半年先までS1席のチケット入手は困難な模様。
夏休み企画が冬休み企画になり、新年あけてから企画に?
待ちに待ってインフルエンザとか嫌だな、でも、ここは押さえておくかと
購入ボタンへと進んだものの、ご希望の枚数がございませんと出る。
半年先まで連続2席ないとのことで企画は倒れた。
遠方の座席で年内に切り替えるか、小学校入学祝い企画として来春以降にするか、
いずれにせよ気の長い話・・・タイミングを逃して、意気消沈。
DVD「ジュラシック・パーク」に「ロスト・ワールド」を見、(リアル恐竜慣らし)
大阪南港ATCで開催中の「大恐竜帝国2013」に行った。(実践)
2年前、みさき公園で「恐竜動物園」を開催していた。
入園料とは別途・大人1,300円、3歳以上700円、
それなりに立派な値段であったが、思い切って入場。
入ってすぐ、息子は恐怖のため泣きながら退場。
入場価格に比してあまりの滞在時間の短さに怒りがこみあげたことを思い出す。
あれから2年、「獣電戦隊キョウリュージャー」のおかげで恐竜好きとなり、
「大恐竜帝国」大人1,500円、子供900円を無駄にせずに済んだ。(ほっ)
恐竜きっかけで息子が図鑑に興味を持ってくれたのが何より嬉しい。
大恐竜展で私に恐竜の名前を教えながら先頭を歩く息子。
「すごいなぁ! よく知っているなぁ。 恐竜図鑑のおかげやなぁ」
息子が塗り絵に興味を持ったタイミングに73色の色鉛筆を奮発購入。
以来、息子はお絵かきが好きになり、お絵かき名人であることが彼の自信になった。
子供の自発を待って、タイミングよく環境を整えてやることが功を奏する気がする。