ホテルにあって、私の家にないもの・・・バスローブ。
私はバスローブがつくづく似合わない女だなと思う。
ことはさておき、勝手に私ランキング・バスローブベスト1は・・・
ブライトンホテルのワッフルローブ。
ホテルのバスローブが私には重い。
ブライトンのワッフルローブは、浴衣とバスローブの中間的存在で、
浴衣に近い軽さとバスローブの吸水性を兼ね備え、体に添った肌触りが心地よい。おすすめ。
前2話書いたところでコーヒーブレイク。
忘れられない味(飲み物・スープ編)
リッツカールトンの、オレンジジュース
シャングリ・ラの、メロンジュース
有馬温泉 欽山の、お吸い物
鳥羽国際ホテルの、伊勢海老ビスクスープ
おいしい! その驚きと共に記憶に残り、また泊まりたくなる宿へ。
ホテルにホスピタリティを学びにいく。
ホテルショップでの出来事。
日本の伝統工芸職人さんのセレクトショップをのぞく。
息子には「手を触れちゃだめよ」と伝えたものの、
幼児でもその美しさを間近に見たいのかガラスケースに触れて覗きこんでしまう。
息子連れでは落ち着いて選べないなと店を出る時、
視界の端にハンディモップを手にした店員さんが映る。
確かに息子は磨き抜かれたガラスケースを汚してしまったであろう。
が、それは見せてはいけない光景。
私が店を完全に出るまであと3秒待ってからにして欲しかった。
ホテルの格式をそのままご自身の立ち位置と勘違いしてしまうパターンが往々にしてある。
お高くとまるとはよくいったもので、高級感とは自分が醸し出すものではなく、
相手を仰ぎ見るところから生まれるものだと思えてならない。
ホテルにホスピタリティを学びにいく。
ベルガールに説明を受けながら、何かいつもと違うひっかかりを覚える。
その正体は、話し始めに登場する「わたくしども」という言葉。
わたくしどものホテルでは・・・
そう繰り返されるたびに、彼女がこのホテルの一員であることへの誇りが伝わってくる。
出だしに一言添えるだけで届けることができた愛社精神は、
お客様に我が社は信頼に値するものであるという安心を生む。
私も説明する時にあえて「わたくしども」とつけてみようと思う。
これもまた現代人の特徴かな。
こんな時、現代という言葉は便利だなと思う。
アレルギーに悩まされても「最近多いんですよね。現代病ですから」と言われると、
仕方がない。現代に生まれた人間として、つきあっていくしかないと思う。
わからないことがあれば、まずはネットの時代である。
体調不良だなと思えば、症状を記し質問するネット受診。
ドラマの最終回を見逃しても大丈夫、詳細に教えてくれるあらすじネット。
映画鑑賞後、あれはどういう意味だろう・・・に答えをくれる解釈ネット。
How toから まとめ まで、ネットを開けば、いつも答えがそこにある。
あの時の心情は○○で、その後、○○になるでしょう。
解釈ネットを読みながら、試験のように答えがひとつ導き出されるシステムが面白い。
物語には伏線がはられ、幾通りもの答えに耐えうる仕掛けがあるであろう
にもかかわらず、ひとつの答えを求め、同じ思いに行きつくことで、みな安心するのだろうか。
わからなくてもいいとか、
歳を重ねていくごとに解釈が異なっていく、その気づきに成長を思うとか、
余白を楽しむとか。
そういう自分に委ねられているところを模索せず、検索する。
主体性がない気がするのは私だけであろうか。
今、四苦八苦していることといえば迷惑メール駆除。
朝起きて、職場のお昼休憩に、また帰宅途中に、そして、寝る前に・・・と
よくもまぁこんなにたくさん・・・の、メールを削除し続けている。
削除を実行した数だけ心の中で「削除」と言う言葉を唱えるのも
その時見える文面同様、不愉快極まりない。
メールアドレスを変更すればよいかと思うが、
登録されているすべての人にそれだけを告知するのも・・・と思うところもある。
変更することになった時のため、登録更新を思い立つ。
今現在、そして、これからも親交のある方、残す、
疎遠になっている方、残す? 残さない?
顔が思い出せない、この方とは一体どういう関係だったのか・・・ん?
携帯を手にした頃からずっと引き継いできたアドレスは、
登録件数と実態が伴っていないことを知る。
実態に添って仕分けてみたものの踏ん切りがつかず、アドレスの変更には至っていない。
パソコンのメールには過去購入した先からの告知メールの数々。
こちらが望んでいない時に、望んでいないものを押してこられ、こちらの削除にも勤しむ。
あっちでも、こっちでも削除。
たまった迷惑メールを削除するためにメールをひらく煩わしさ。
削除に追われ、とられる時間。 本来は便利なツールなのにとため息をつく。
生活発表会はその後、家で繰り返し見るホームビデオが面白い。
当日は息子だけしか見えない私も落ち着いて周りのお友達をみることができる。
息子の隣りにタンバリン担当のK君がいる。
K君の左手にはタンバリン。
たたく前、調子(3回お休み)をとるため右手をグーに元気いっぱい上下させている。
その振りの大きさがタンバリンをたたく一打より目立つ。
全身で拍をとるその可愛さに、子供っていいなぁ・・・と。
合奏曲は「にんげんていいな」
息子はカスタネット。
普通に手をパーにし、ラフにたたくのかと思いきや、
お茶をたてる時のようにピンと伸ばし、指先でたたいている。
気合い入ってるよなぁ・・・その生真面目さが面白い。
いいな、いいな、にんげんて、いいな。
心の中で口ずさみながら私も子どもたちにつられて首を上下に振ってしまう。
ママはいつも僕を見守ってくれているけど、パパはいつも携帯を見守っているよなぁ」
パパは横になりながら携帯ばかり。
パパと遊んでほしい息子が携帯を隠す。
携帯がなくなれば、「携帯、どこいったか知らんか?」と
パパがリビングに来ることを予想してのこと。
携帯を隠され、本気で怒っているパパ・・・携帯を人質にとる息子がいじらしい。
パパは重度の携帯(ネット)中毒。
情報検索しているのだというが・・・どれだけ情報追うねん!
(前話の気持ちの流れから)
やさしい子に育ってくれたなと感慨深い反面、彼の繊細さが心配でもある。
ちょっと大きな声で注意をすると、叱る前から怒られたと言って泣いてしまう。
もっと小さな時から「一喝」してくればよかったかな・・・
この打たれ弱さ、社会に出たらどうなるのだろう・・・上司に怒られ出社拒否?
自分でゴミを拾うのはいいことだけど、
ゴミを捨ててはいけないと人に注意するのはやめておいた方がいいだろうな・・・
正しいのはよいことなのだが、正しすぎるのも・・・なんでもすぎると生きづらい。
何事もほどほどに、を今後どう教えたらよいものかと思いながら歩く。
同じ子を持つ親の気持ちを思いやりながら、一方で我が子を第一に考えるのもまた親。
人の命を救おうと犠牲になられた方のニュースに複雑な気持ち。
子供には何が何でも生きていてほしい。亡くなられた方のご両親の心中はいかに・・・
親として子供に正義感をどう教えたらよいであろうか考える。
車の運転をしていると、無茶な運転のバイクを見る。
息子が大きくなって友達にバイクに乗ろうと誘われたらどうしよう。
バイクなんて絶対ダメ。でも、禁止すれば余計乗りたくなるもの。どうしよう・・・
あれもどうしよう。これもどうしよう。
5歳児の親の悩み事ではないことを今から悩んでいるような?
私が教えなくても悩まなくても、本人が他者との関係性の中でほどよさを見つけていくであろう。
とは思いながら、何かと考えすぎる私。