終わった・・・
運動会をベストポジションで迎えるため、体調管理に細心の注意を払って、
ついに迎えた本番。
見事やってくれました。全種目、拒否。
入場行進、歩かず先生に抱かれて退場。
ダンス、大泣き、
かけっこ、座り込みを決め込み、
親子競技(障害物競争)、キャタピラの中の私(段ボールで作った大きなキャタピラの中、
四つん這いになって進んでいく)を残し、勝手に子だけ途中退場。
どこかできいたような曲・・・運動会のダンス曲だ!
音源を辿れば、息子。運動会が終わってから、歌い踊る。
踊れるんだから・・・それ、本番でお願いしますよ(泣)一期一会、だよ。
息子は人に見られるのが嫌い。視線に弱い。
結果は問わないけれど、せめて懸命に取り組んでほしい親。
正直、運動会の記録を「いい感じ」に残したい。
通常の保育中も、みんなと一緒にするよりみんながするのを見ているのが好き。
できれば、好奇心いっぱいに体験してほしい親。
挨拶がきちんとできて、積極的であってほしいと願う。
欲が出てしまう・・・親。
何とか改善したいと人の集まるイベントに参加しては、徒労に終わるを繰り返し、
会場にいた保育専門家が「何か日常で悩み事がありますか?」と話しかけてくれた。
面と向かって突然きかれると、いえ、ありませんと言ってしまいそうになるが、
こんな機会もめったにない。これをチャンスと捉え、
「息子はこういう場所が嫌いですけど、私は色々体験して欲しくて連れてきてしまいます。
息子が嫌がることを無理にさせているのではないかと・・・」
子供が嫌がるからと言って、子供に合わせていればいつまでも変わりませんし、
でも、子供が嫌がることを無理強いしすぎるのもよくありませんよね。
だから、お子様とお母さんの真ん中をとるようにしてください。
お子様が嫌だといったら、じゃあ、今日は5分だけとか。
その次は、5分できたら10分だけとか。
子育てでいつも迷った時は、いつも真ん中をとってください。
真ん中かぁ・・
そういえば、親という字は、立っている木から見る、と書く。
結果をついつい急いでしまって、息子にプレッシャー。
息子の「少しずつ」を待つ身の難しさ。
理想の目標に向かって親が勝手に突き進むより、真ん中を選んで、見守ることを行動指針に。
我が家のヒーローはウルトラマン。
平成のウルトラマンはスカイタイプやらパワータイプやらどんどんバージョンアップするので
私には誰が誰やらわからないのだが、息子は昭和から平成まで名前を覚えるまでに至る。
平成のウルトラマンは小顔で彩り豊かだが、私はやはり昭和のウルトラマンが好き。
息子はセブンがお気に入り。
ファミレスで息子が歌うウルトラ6兄弟の名曲(主題歌)に我が家だけ昭和の香りがして
恥ずかしいのだが、ゴセイジャーは口元が男前顔過ぎて・・・
私はやはり顔の大きいウルトラマンの方が落ち着く(ので、息子にゴセイジャーを見せていない悪親)
今みるウルトラマンがまた面白い。
初代ウルトラマンの顔はベコベコだし、
ウルトラ水流(ウルトラマンの手から水が出る超技)で石油コンビナート火災を鎮火してくれるのだが、
この石油コンビナートが放水の勢いでベコベコに揺れていて笑える。
つっこみどころ満載の初代ウルトラマンだが、この時代にこの技術がすごいと感嘆が勝るから不思議。
初代にして完成されているデザイン性の高さにも目をみはる。
といっても、顔がベコベコしているので平成にリメイクされた昭和ウルトラマンが好き。
(複雑だけど、デザイン性の高さに技術がようやく追いついた今のウルトラマンが好きという意味)
怪獣も個性的。
ウルトラマン80が小坊主に見える。ユリアン(王女)がまたお釈迦様顔で、
共にずんぐり日本人体型が可笑しい。
どうして80だけあんな顔?と思っていたら、エイティは他のウルトラマンから見ると、
どうやら年若いからのようで(といっても8千歳)、
あの小坊主顔にそんな理由があったとは?・・・意外に深いぞ円谷プロダクション。
DVDでは飽き足らず、ウルトラマンショーをみにいく。
これがなかなか本格的な格闘で驚いた。
子供たちの声援がウルトラマンのパワーになるらしく、どさくさに紛れて私も「頑張れー」
なんと、ウルトラマンタロウが赤いマントを羽織って登場。
タロウはセブンの次に好きくらいだったけれど、
マントを翻して登場したタロウの格好よさにテンションあがる。タロウもなかなか捨てがたい。
マンションにクモの巣がはびこっている。
Kがクモの巣目掛けてしばしスペシウム光線ポーズの後、
「Kはまだ光線で~へんねん」と肩をおとす。
面白すぎて、まだまだ当分ウルトラマンワールドから抜け出せない我が家。
パパ「今朝、保育園に行く途中、救急車を見たK君がママじゃないかって心配してやったよ。」
ジーンとしかけた私に
パパ「ママ、ブツブツやから救急車で運ばれたんじゃないかって心配してやった」と笑う。
あ~ 吹き出物で救急車かぁ。治していただけるなら喜んで運ばれるけどね。
K「ママの作ったご飯、いらん。おいしくないの!」
いー
「外のご飯がおいしいの!」正直すぎるぜK・・・
K「ピンクパンサーってなぁ、めっちゃ、ピンクやねんで。」
う、うん・・・
K「会いたかった~♪ 会いたかった~♪」
えー それは、AKB48! その夜、Kに負けずママもAKB研究。イェイ
Kが歌う。
「一本橋、一本橋、お山になっちゃった~ (両手の人差し指をくっつけてお山の形)
二本橋、二本橋、眼鏡になっちゃった~ (セブンみたいにピースをつくって眼鏡の形)
三本橋、三本橋、おひげになっちゃった~(手を3歳にして、猫のひげの形)
四本橋、四本橋、くらげになっちゃった~ (4歳にした手を下向きに、左右にふりふり)
五本橋、五本橋・・・おばけになっちゃったぁ~♪」(パーにした手を下にぶらんとさせ、おばけだぞ~のポーズ)
お~ すごい! ビデオ、ビデオ♪ 「K、もう一回歌って」録画。親ばか全開。
歯磨き粉の味(主人はエチケットライオンしかダメ)にも慣れ、
烏龍茶(サントリーしかダメ)の味にも慣れた私が、いまだ慣れないものがある。
それは、
主人が帰宅する頃に仕上がるよう大急ぎで作った熱々のご飯を前にすぐ食べないで、
「片づけるまでが料理だ」と言って主人が台所を片づけ始めること。
たとえ息子の運動会でも、まず掃除。
出かける前、台所に残る洗い物をすべて片づけないと出発しないこと。
家族で出かけ私が車の中で寝ようものなら、
「運転する私(主人の自称)を励ますものだろう」と私が寝ることを許さないこと。
あぁ どうしてこんな人と結婚してしまったんだろう・・・
「僕はみち子さんを幸せにする自信はないけれど、僕が幸せになる自信があります」
映画『釣りバカ日誌』 はまちゃんのプロポーズシーン。
プロポーズの言葉もなかった我々にこんな回想シーンなどないのだが、
私がたちかえる思いがあるとすれば、
あの時思った「私はこの人を幸せにできるかもしれない」だ。
どうしてこんな人と? の答えが我が内にあって苦笑するしかないのだが、それも悪くない。
幸せな結婚生活を夢見ていた私が、幸せにしてもらう婚ではなく、
幸せにできるかもしれない婚を選んだのだ。ちょっとは大人になった感。
婚活。
私を幸せにしてくれる人を探すより私が幸せにできる人を探すといいのかも?
だって、はまちゃんのプロポーズをきくと、
どんなにはまちゃんがみち子さんを想っているのかが伝わるんですもの。
愛する女性が愛される女性・・・か。4回目の結婚記念日を終えて(反省を込めて)思うこと。
※前半10行はいらない文章なのであるが、
この10行はあえて主人に読んでもらいたいから削除せず、掲載。
まあ、ここで訴えても自分を曲げる人ではないので変わらないのだけれど(笑)
観世音菩薩とは、世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩で、
観音とは、広く世音を心で観、心で聞くという意味だそうな。
まだお話できない赤ちゃんは泣くことで思いを訴える。
お腹がすいたの? 何か不快なことがあるの?
要望が違うのだからきっと泣き声も違うはず、なのだが、泣き声だけでわかるわけない新米ママ。
お腹?おむつ?抱っこ?と順番にさぐっていくしかなかった。
その答えに辿り着くまで、そうじゃない、違うと言わんばかりに
息子の泣き声がどんどん大きくなり、私を焦らせた。
息子の泣き声を観じて、対応できるようになりたいな・・・
この時に観音育児という言葉を勝手に創り、私の究極の目標となった。
話せるようになった今でもそう。
心で観て、心で聞くことができたなら・・・もちろん、できていない。
だからこそ私の理想。菩薩さまのような微笑み育児を目指して。
「観音育児」
心の中で唱えると、不思議と穏やかな気持ちになる私の呪文。
家に帰ってくるとすぐに自室に籠って寝ようとする。
リビングにきたかと思うと、リビングにて横になる。
こんな調子だから息子とのふれあいは、もちろん寝たきり育児。
「そんな寝てばっかりいたら、父の日のパパの絵、K、横になっているパパの絵を描くよ。
みんな縦書きにパパの顔なのに、Kだけ横書きの涅槃仏みたいなパパ描くよ」
こんな忠告に、それはいけないと飛び起きるわけでもなく、隙あらば寝ようとする・・・
もう、パパ!!
私だって気を抜かず100%の力を出して働いているが、
家に帰ると気持ちを仕切りなおし、晩御飯を作るところから怒涛のごとく。
私もしんどい。
絵本は寝ながら読み。寝ながらパズル。横になれるところは横になって体力省エネ育児。
ある日、「パズルする」といって息子が横になる。
リビングにて涅槃の家族図・・・あぁ、育てたように子は育つ。
※タイ(ワット・ポー)の涅槃仏はあくまでイメージ。主人は悟りなどひらいていないし、黄金に輝いてもいない。
映画「ロレンツォのオイル/命の詩」を観た。
副腎白質ジストロフィー(ALD)という不治の病に冒された息子を救うため、
奮闘するオドーネ夫妻の実話に基づく物語。
ALDは男の子にしか発生せず(女性は極めて稀)、原因は母親からの遺伝で、
小児発症の場合は・・・
母親にとって残酷すぎる難病を知ったショックで、しばらく立ち直れなかった。
母親からの遺伝という恐怖にネットで「副腎白質ジストロフィー」を調べ、
光を見出したくてロレンツォ君の「その後」を検索、
今は? 今は、治るの?とこの難病の「現在」も探さずにはいられなかった。
旧作のDVD。本来なら一週間見放題なのだが、その壮絶さに繰り返し観ることができなかった。
鑑賞は一回だが、しばらく経った今でも鮮明に思い出すことができる。
医師から死を宣告された直後、両親は絶望の中、息子の元へ向かうのだが、
息子に悟られまいと廊下を一歩一歩、歩くごとに涙をぬぐい、背筋を伸ばし、
何事もなかったように笑顔で抱き上げる強さ。
図書館でALDを調べれば調べるほどに確信する死とあらがいようなく辿る残酷な過程に
胸をかきむしるしかない父の悲しみ。
昼夜を問わない過酷な看護の中、母・ミケーラは周りの人間の助けを排していく。
待ち望んで、やっと生まれたたった一人の息子が自分の遺伝子によって発症するなんて・・・
この残酷な事実が母・ミケーラの徹底的な献身の陰に絶えずあったのではないかと思われる。
けいれんの発作に苦しむ息子に「あなたがもういいと思ったら、パパとママのことはいいから、逝ってもいいのよ」と語る母。
植物人間と化したロレンツォの看護のため、母はコモロ共和国に住んでいた時の息子の友達・
オモウリ青年をアメリカに呼ぶことを決意。私はこの人選にも母を感じる。
息子にとって何が一番大切か? 真の看護としての誠意をオモオリ青年に感じるからだ。
それにしても医学的知識の全くないところから自分たちで治療法を探すなんて
果たして私にできるだろうか・・・
親の思いと医師としての責務。そのはがゆさに夫婦でALDに効く新薬を発見する道のりは、
ただただすごい。
「親」を感じる一品であった・・・が、しばらく観る勇気はない。
親としてなかなか再生できない一品である。(私は)
「い~っつも、Kのお迎え、遅いなぁ」「もうM君、帰った。M君のお迎え、早いねん」「もうK君、待ちくたびれたわ」
ん~ なかなかバリエーション豊かに「いつも遅い」と訴えてくれる。
ここはひとつ、一度、息子を職場に連れて行くか。
息子と別れてからの私の行程をKは知らない。Kの知らないママの世界を見せることにした。
「Kとバイバイしたらママいつもこっちに向かうでしょ。駅に向かって、電車に乗りま~す」
私は休日、職場の方々に迷惑をかけてもいけないのでお昼休みに目的地到着設定。
「ここがママのいつも働いている場所。これがママの机。Kの写真もありま~す。
Kの写真を見ながら頑張っていま~す」
私がいつも座っている椅子に座ってみたいと言い出し、
パソコン(消えている)のキーボードをニコニコたたいていた息子。
少しは「ママ、お仕事」が視覚的にイメージできたかな?
帰り道、駅に向かう途中、高架下に公園がある。
普段気にもとめていなかったが、息子が遊ぶといってきかない。
この後近くの商店街に寄るつもりなのに・・・また寄り道。
早くお買い物に行こうよぉ・・・まだ寄り道(泣)
やっとこさ商店街に到着。
息子はこの日、背中に「イケメン」と描いたTシャツを着ていた(笑いをとるため)のが災いして、
商店街に一歩入ると、大阪のおっちゃんたちがやたら話しかけてくる。
「よっ。そこのイケメンの兄ちゃん。こっち向いて~」
「何歳や。3歳かぁ。ワシ、3歳の時におやじが死んだんやけどな、記憶にないねん。
3歳までの記憶ちゅうのは残らへんで」って、私でもリアクションに困る話題を息子にどうしろと?
立て続けに濃ゆ~いおっちゃんに恥ずかしがり屋の息子は「なんか怖い」と半泣き。
でも、それが商店街。適当に交わしながら、触れ合いながらお買いもの。
薬局屋さんにいけば、レジで「よし、これ、あげよ」と小さな緑の指人形カエルをいただき、
また違う薬局にいけば、「はい、どうぞ」と製薬会社の景品(小さなバット)をいただいた。
八百屋さんにいけば、あの独特の変な声でのタイムセール紹介。息子と共に並ぶ野菜を選ぶ。
あ、そのマスカットは高い・・・けれど、今日は息子のリクエストに応えて購入。
そうそう野菜と果物は一緒に売ってるもんね。スーパーにはない、を体験。
企画「ママの職場体験と商店街ツアー」
お迎えにいくと「今日もまたお迎え、遅かったなぁ」
残念ながら企画後の息子に(一見)変化はなかったが、変化は私に訪れた。
寄り道の高架下公園。
公園内をじっくり見るのは入社以来初めてのことだった。
何年ぶりかな・・・久しぶりに鉄棒を握り、地面をけった。
瞬間的に昔より重くなっている私に気づいた(笑)が、その重みを反動に変えて一回転。
息子が喜ぶので続いて二回転。
昔はスカートのすそを絡めてぐるぐる回っていたなぁ・・・たまには道草もいいものだ。
前話で、息子の性格としてそういう一面があることを書いたが、
叱ってでもやらせるべきか? 自発的にするまで待つべきか?
彼の苦手な部分をあえて克服しようとせず、いいところを伸ばすことに全力を注ぐべきか?
子育て選択の難しさを思う。
それにしても、叱るというのは難しい。
私は自身の予想に反して、子に対して怒らない母親になった。
(もちろん全くとか一度も怒らないではない)
その原因は、きっと難産であったからだと思う。
息子が生きている奇跡に、それは怒るほどのことではなかったし、
後遺症に怯えた日々から解き放たれた感謝で、それは怒るほどのことではなかった。
普段そう思いながら育児などしていないが、
気持ちのずっと奥、底の方に子供に対して申し訳ないという思いもある。
だから、感情に任せて怒るということ(頻度)を避けてこられたのかもしれない。
安産であったなら・・・と思わぬことはないが、
容易くなかったことが育児に反映されているのは確かで、メリットだと感謝している。
なかなか子供に恵まれなかったとか、
私と同じように出産に何らかの負荷のかかったママはこのような傾向があるのかもしれない。
こう書くと、甘やかしていると思われるかもしれないが、
私自身は怒る代わりに、譲らないことで対応してきたつもりだ。
出先でこれが欲しいと言ってきても、私の意に介さなければ、絶対に買わない。
買うつもりがないことを伝え、待つ。
彼が気持ちの折り合いをつけることができるまで伝え、ひたすら待つ。
何をしても叶わないことがわかれば、諦めてくれる(笑)
怒らずに済んだというわけだ。今までは。
穏やかに育ててこれた(といっても、まだたった3年だが)のはよかったが、
来年からは世間でいう幼稚園入園年である。
区切り年を前にしつけを考え、いよいよ叱らねばならぬ時がきたかもしれない。
難産という無意識下の罪悪感を捨てて。
今は大声を張り上げなくても睨みをきかせるだけで、
「ママが怒ったぁ。K君、かなしいぃ」と泣いてくれる。
これも一重にあまり怒ってこなかったおかげかなと、笑いをこらえている。
今はどう叱ればいいのか?で悩んでいるが、
ある日、怒りんぼママに突然変異する日がやってくるかもしれないので(笑)
あまり大きなことは言えないが、できれば、美容のためにも目くじら立てず、
効率のいい叱り方を研究したいと思う。
昨年度の生活発表会ではみんなと一緒に踊りの輪の中に入らなかった。
運動会の親子競技は2年連続、泣いて嫌がっている。
今年の運動会を前に、親子予行練習に幼稚園の運動会に行ってきた。
目的は未入園児参加競技。
お兄ちゃん、お姉ちゃんのかけっこを首を伸ばしながら見ていた息子が、
いざ自分の出番となると「イヤだ」と泣きだす。
「ママと一緒だから。大丈夫。一緒に行こう」と連れ立ったものの、
結局、私にぴったりくっついたまま彼が地に足をつけることがなかった。
周りの視線が嫌なのか・・・?
お兄ちゃん、お姉ちゃんの頑張る姿を観覧しながら、質問していく。
どっちが勝つかな? 白だと思う? 赤だと思う?「わからへん」
リレーで、何色が勝つと思う?「わかれへん」
そんな会話を繰り返しながら、ハッとした。
生活発表会で踊らなかったのは、自分はうまく踊れないと思っていたからだったし、
質問に笑ってわからないと答えるのも、間違うのが嫌でわからないことにしまうのではないか。
「どっちが勝つと思うか、Kが思ったことを言っていいんだよ」「・・・わかれへん」
息子には失敗や間違いを極度に嫌がり、試さないという傾向があるなと。
だから、思ったことを話さず、答えがわかるものだけを答えるではないかと。
まずはチャレンジ、やってみないことには。これからどう失敗体験をさせていくべきか・・・