第393話 また明日

2011年10月31日 22時56分02秒 | Weblog
祖母危篤の知らせを受けてから、会社帰りに毎日病院に通った。
「おばあちゃん、また明日来るからね」
いつもそう約束をして帰る。
この約束を守ることが祖母にとって何よりの励みになると信じて、続けた。

祖母は10月の上旬に倒れ、入院していたのだが、
危篤ときき、かけつけたそこには祖母の変わり果てた姿が・・・衝撃であった。
きっかけは脳にたまった血を取り除く15分程度の簡単な手術だった。
本来であれば、一度で無事終わるはずの手術だが、
術後のCTにて状況芳しくなく二度目の手術へ向かったが、その途中、心肺停止となり、
一命は取り留めたものの意識不明の状況に陥ったのだ。
脳の手術のため、髪の毛を剃って挑んだ祖母は丸坊主姿のまま横たわっていた。

祖母の頭のCTスキャンを見ながら、担当医が説明する。
血が溜まり、圧迫されたこのような状況下で本来辛いはずなのに、
我慢強い方で、しんどいですか?とたずねてもしんどい、辛いと訴えないんですね・・・

危篤状態になる5日前に会った祖母のことを思い出す。
息子の運動会を楽しみにしていた祖母。
運動会後に会いにいった折、「何等だった?」ときく。
息子はビリだったので、答えずモジモジしていると、祖母が顎で左の戸棚を指す。
祖母は点滴を打っていたので、手が動かせない。財布を出せといっているのだ。
おばあちゃんはKにおこづかいを渡したいのだ・・・いつだってそうだ。おばあちゃんらしい・・・

もともと体が丈夫な方であったので、祖母は人工呼吸器に頼りながらもよく持ちこたえた方だと思う。
日に日にむくんでいく手を握りながら、一方的に話しかけて帰る。
その日も職場の帰りに立ち寄った。
看護婦さんにもう血管がとれないので、覚悟しておいて下さいと言われる。
「おばあちゃん、また明日来るからね」驚いた看護婦さんを残し、病室を出た。

私と別れて1時間後、祖母が亡くなった。
結果として祖母に最後に語りかけたのが、私となった。
おばあちゃんの思い出話を書きたいと思っている。
それは気合も時間も要する作業で、いまだ書けずにいるが、必ず書き上げたいと思っている。
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第392話 マンパワー

2011年10月30日 20時18分55秒 | 観る(映画・ドラマ・アニメ・舞台)鑑賞

今朝、パソコンを開くと「キャッツ 8,000回」とあった。
劇団四季のミュージカル『キャッツ』・・・

私がキャッツを観たのは、真冬。私はロングブーツを履いていた。
ずっと履いての観劇はしんどいなと開演間際にさっと脱ぎ、そっと隣りに立てて置いた。
開演直後、猫たちが登場したと思ったら、なんと私のところに来たのだ!
しまったぁ・・・こんな演出があったなんて(泣)
私だけ、足が4本。ブーツの横には自宅のリビングみたいなタイツ足・・・
私が暗闇の中で靴を履いていない恥ずかしさに動揺する中、猫は猫に徹して、いた。
この時、(失礼ながら)「プロってすごい」と思った。
先端まで、猫。 役者にとって一番大切なものは、この集中力ではないかと思った。
そして、名曲「メモリー」に泣く。

泣いたといえば、宝塚歌劇団。
女性が男性役をする? 宝塚なんてと思いながらも観にいったが、最後、
紫月あさとさん演じる男性役に心を鷲づかみにされる。
そこはもう別世界で・・・「美しさ」に涙があふれた。
相手役の花總まりさん歌う名曲「タイム・トゥ・セイ・グッパイ」に泣く。

小劇場から大劇場まで、独身の頃はよく観にいった。
ストーリーの面白さもあるが、演じる役者のマンパワーを浴びにいく楽しみ。
子供が生まれてからなかなか観にいけなくなったが、
ライブの魅力恋しく、息子が小学生になったら一緒に観にいきたいなと心待ちにしている。

※息子が生まれて我慢しているわけではなく、新しい芸術に触れることができた。
 未就学児童OKな人形劇だ。子供たちに伝えたいことの深さ・・・あなどれない。

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第391話 旧姓

2011年10月25日 20時45分03秒 | Weblog
孫の中で私が一番おばあちゃんに似ている。
そのおかげかおじいちゃんにも一番可愛がってもらえた。(気がする)
子供の頃、おばあちゃんと近所のスーパーまで手をつないでよく歩いた。

告別式の日、私は主人と主人の両親と共に会場後ろの方に座る。
弟と弟の嫁(義理の妹)が二人並んで挨拶をしているのを正面に眺めながら、
不思議な感覚であった。
おばあちゃんと義理の妹とのつきあいはまだ1年にも満たない。
涙を流しながら挨拶をする妹を見ながら、
私がもしも結婚していなかったら、T家の人間としてあそこに並んでいたのかな・・・と。

改めて、旧姓である立場を知る。
結婚した時、あぁもう私はT家(旧姓名)のお墓に入れないのね・・・
(順調にいけば)お父さんとお母さんと一緒のお墓には入ることができないのね・・・
と思ったものが、今回の告別式でもまた姓が変わったことを痛感した。
私は両家の娘でありたいと思うが、主人が私のことを「N家の人間」と言う。

妹(義理の)のお母様がご焼香にきてくださった。
T家の嫁として長男の長男(弟)の隣りで挨拶するわが娘を見つめ、
柔らかな微笑を娘に送り、去っていく。
その家の姓になり、その家を守っていく。 女性というのは、すごいなと思う。
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第390話 家族葬

2011年10月24日 21時39分38秒 | Weblog

「おばあちゃんが、亡くなったって」
「何が、なくなったの?」 息子にどう説明したらよいものか・・・

十月十七日、祖母(私の父方の母)が亡くなり、十八日が通夜、十九日が告別式となった。
危篤状態となってからの日々の中、いつかおとずれる日のことを覚悟はしていても、
いざ現実となると、たった2日間で?の思いがぬぐいされない。

斎場について、驚いた。
ホテルロビーのような受付・ご記帳場。
待合室にはご会葬者用の軽食とドリンク(コーヒーやジュース)が用意され、
不謹慎にも結婚式場(サービス)を思い出してしまう上質空間に仕上がっている。
喪主のお礼状とお清めの塩が添えられている会葬御礼(の品)に加え、
「御会葬御礼(状)」として故人の人柄や思い出、感謝の想いや不行届きに対するお詫びを
かけつけてくださった方々に伝えることができるのが嬉しい。
葬儀は和のイメージであったが、和洋折衷のおもてなし空間となっていた。

夕刻、納棺の儀が行われる。
親族が少しずつ手を添えながら、祖母の死装束を整えていく厳かな時間。
祖父の時は納棺後の対面であったが、
空の棺に芳しい納棺茶を、次に緑美しい納棺樒(葉)をしきつめていく。
湿気をとるため、
ドライアイスで遺体の顔が黒くなるのを防ぐためなどの由来をききながら棺の中を整え、
六文銭(三途の川の渡し賃)を祖母の胸元に入れた時、
ストンと私の中に何かが落ちていくのを感じた。
死に輝く白(衣)と生命の象徴であるかのような樒(葉の緑)のコントラストの美しさ。
ひとつひとつの過程に立ちあい、ゆっくり向かっていくこの儀式のあたたかさを初めて感じた家族葬。

いよいよ骨上げ。
おそるおそる入る。
おばあちゃんが、骨だけになった。
おばあちゃんの喉仏は本当に美しかった。
骨壷に入らない大きさの骨は少しつつくともろく壊れるとの説明を受けたが、
骨を砕く勇気はなく、小さな骨を砕かぬよう、そおっと入れた。


※家族葬とは家族だけで、少人数で送る式ではない(ことを知る)
 家族、親族だけではなく、故人のことを想ってかけつけてきてくださる方々のための、式。
 おばあちゃんの葬儀告別式はとてもいい式であったと思う。

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第389話 座右の銘

2011年10月17日 07時08分09秒 | 子育て・「おママごと」
息子がゴーカイレッドから順番に変身していく。
目下のところ、おもしろキャラのゴーカイグリーンが息子のお気に入り。
緑がおもしろキャラの時代なのだな・・・と。(黄色イメージが捨てきれない世代)
「ゴーカイグリーン」高い声で変身する息子、でも、その変身、ちょっと違うんだよなぁ。
腰を落として肩をまわす、が正解。
「違う、違う。ゴーカイグリ~ン、肩、こう、まわす」見本を見せるため私も変身してやる。
案の定、間違いを指摘されると怒る息子。
人の言うことを素直にきかないと成長しないよと思うのだが、無用な争いは避け、放っておく。

ゴーカイサーベルは剣なのであるが、最近のおもちゃはよくできている。
剣を振るごとにシャキーン、シャキーンと格好いい効果音がなる。
その前に買ったゴーカイスピアはバキュン、バキュンいっている。
そして、とどめは関智一さんのお声で「ファイナルウェ~ブ(必殺技)」
我が家で毎日、こだまする。

ヒーローには決め台詞がつきものだ。
ゴーカイレッドは「派手にいくぜ」という。
「ねえ、ねえ、派手ってどういう意味?」
そ、そこから疑問?!
「え、派手は・・・派手なんだけど、ん~」必死で息子がわかる言葉に変換する。
私、個人的には同じ日曜日7時からNHKで放送されている「ペンギンズ」の決め台詞
「キュートに決めて、媚びまくれ!」ってのが好き。営業職になった今、座右の銘と化す?
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第388話 闇取引

2011年10月16日 09時00分21秒 | 子育て・「おママごと」

運動会、生活発表会とこれまでことごとく出演拒否を続けてきた息子。
今年の運動会前、「頑張ったら、ゴーカイサーベル(かねてより欲しいといっていたおもちゃを買ってあげる)」
というズルい契約を提案。
運動会当日、合言葉は「ゴーカイサーベル」であった。

昨年度は自分で歩かなかった入場行進。
今年は不満げな顔ではあるが、お友達と手をつないで歩いている様子。
第一関門、クリア。

かけっこ。
昨年度は泣いて走らなかった。
今年度は(私の声援が原因で・前話参照)泣きながら走ってくれた。
ゴール後、泣いている息子を先生がケアしてくれている。(すみません。原因は私です)
ビリではあったが今回の問題は順位ではないので、第二関門、クリア。

昨年度は「踊らへん」といって泣いていた息子。
嫌々顔ながらみんなと共に参加している息子を見て、泣けてきた。第三関門、クリア。

親子競技。親と一緒になので、急に甘えが出てしまう。
これはできていなかったが、次の遊戯で、再び踊っていたので、許す。

最後は色別対抗リレー。
息子の走りは実に平和であった。
欽ちゃん走りを彷彿させるその平和さで、ぬかされつつもバトンを託し、第五関門、クリア。

すべての競技が終了し、今回は「ゴーカイサーベル」を渡すことにした。
息子が「ゴーカイサーベルは?」と問う。
郵送にて送られてくるため購入はしていたものの、届いているのかどうかわからない。
「もしも、神様がKが頑張ったと判定したら、届いているはずだ」と伝えた。
親子共々、届いているかどうか緊張が走る。
帰宅すると、宅配ポストに届いていた。喜ぶ息子、ほっとする親。

その日を境に息子のハヤリは、郵便屋さんごっこ。あえて、直接届けてくれない。
宅配ポスト(家の中にある単なる棚なのだが、みたてて)に入れてくれる。
息子「ねえ、郵便届いてないかなぁって、ポスト見てや、わかった?」
指示通り、芝居してやる。
すると、そこには、折り紙であったり、塗り絵であったり、が入っている。
喜んでいると、郵便屋さんが登場(ここが息子らしいのだが、姿を現す郵便屋さん)
「郵便屋さん、ありがとう! 嬉しい」と言ってやると、
「いえ、どういたしまして」と敬礼して去っていく息子。

きっかけは、息子の気持ちを釣った闇取引であったが、
届いたものよりも、受け取る時のどきどき・ワクワクが息子の心に響いたようだ。
いい買い物であったと思う。

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第387話 宣誓

2011年10月16日 08時21分28秒 | 子育て・「おママごと」
子供の頃、あまり話さない子のお母さんが、非常によくしゃべっているのを見て
びっくりしたことがある。
子供の言葉をお母さんが奪ってしまったみたいで・・・不思議だった。
料理が苦手なお母さんの子が得意だったり、また、その子供が料理が苦手だったり。
蛙の子は蛙パターンもあれば、
反面教師型?というのか、お互いの不足補い型?というのか、
交互に繰り返されるパターンもあるような。

運動会、息子(年少児)のかけっこの順番が来た!
息子が私の方に走ってくる!!
力の限り「K、頑張って!」と叫んだ私に向かって、
息子が「もう、ママ、頑張って、いわんといて!」と怒った後、泣いてしまった・・・
私の応援が息子を泣かせてしまうとは・・・私、張り切りすぎ?
入場行進でも、お遊戯でも、笑顔なしの不服顔。 冷めている息子。
私、熱すぎ?
私が息子の興奮を奪ってしまっているのかしら・・・
確かにサファリパークでも興奮するのは息子より私。
大興奮の私が息子に「もうわかったって」といさめられること、しばしば。
頑張っているのに、頑張ってと言われるのが嫌いな息子。
息子の気質にあった応援ができていなかったことに反省。

来年度は星飛雄馬のお姉さんのような応援(木陰からひっそり)をしようと心に誓う。
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第386話 熱闘運動会

2011年10月15日 07時23分26秒 | 子育て・「おママごと」

毎年恒例、年長さんの鼓隊から始まる運動会。
毎年のことながら今年も泣いてしまう。
お友達のお兄ちゃんがいたり、
息子と共にいつも遅くまで一緒に残っているお兄ちゃんがいたり・・・
直接話すことはないが、思い入れが深い学年だ。

年長さんのかけっこ。
息子が入園したとき、同じフロアにいた2歳児クラスの子供たちが今の年長さん。
すらっと伸びた足で力強く走るその姿を見ながら、あのおぼこかった子供たちが・・・
今年最後の運動会だと思うと涙が止まらない。

年長さんの組立。
(兄弟もおらず、今まで息子の競技が終わると帰っていたので初めて見たのだが)
組立がこんなに感動的な種目だと初めて知った。
年長さんの保護者の方がビデオを撮りながら泣いている。
それを見て、また溢れ出す涙。

最後の種目は年長さんのリレー。
競争心が芽生え、その思いが速さとなる反面、
後ろが気になってしまい、振り向きながら走るところが子供らしい。
懸命に走る姿の美しさに、運動会は年中行事興奮トップ1イベントであると
ゆるぎなく思う! すばらしい!!

熱闘甲子園ならぬ熱闘運動会なるものがあったら、私は号泣間違いなしであろう。

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第385話 一抹の不安

2011年10月10日 07時05分31秒 | 子育て・「おママごと」

この子にだけはいいものを食べさせてあげたい。
この子にいいところを思う母心。
買い物をしながら、ご飯を食べながら「本当にこれは大丈夫なのだろうか・・・」
とよぎる気持ち。

食=命である。
偽装事件のニュースを見ながら「殺人罪ではないか?」と言った意見に共感する。
食を扱うということは、命を扱うということ。
利潤追求のために食するものの命を軽んじたことへの重罪を問いたい。
スーパーで表示を見ながら、一抹の不信がよぎる。

我が子が意味もわからず「マイクロシーベルト」と言う時代になった。
風があり、雨があり、食物連鎖がある。その基準も、影響も不透明である。
目には見えないだけに、すぐにあらわれないだけに・・・
お母さんが子供に安心して食べさせることができるように。
この母視点レベルで、国の力を求めるところである。

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第384話 浅い眠り

2011年10月09日 06時02分22秒 | 子育て・「おママごと」
子供が生まれてから、眠りが浅くなった。

真夜中、息子が「おしっこ」と言えば、
今、起きるのはちょっと・・・という深い眠りから這い上がり、
ねぼけながらフラフラ歩く息子を誘導する。

真夜中の突然のつぶやきにも応える。
悲しい気持ちには頭をなで、納得いかない気持ちには共感してやる。
安心して眠る息子を確認してから眠る。

息子はとにかく寝相が悪い。
おなかにかかと落とし、顔面キックの痛さに飛び起きることもあれば、
ふと気がつけば、息子が北枕になって寝ていることもある。
息子だけ北枕で寝かせるわけにはいかない。
寝ている息子の向きを変える力はなく、まずは私から・・・の思いで私も北枕に寝る。

子供の頃、「まだお母さん、起きてる・・・一体いつ寝ているんだろう」
という光景に何度も出会った。
北枕の息子を覆い隠すように私も北枕になりながら、母の愛の深さを思う。
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