いうのをしやなあかんねん」
息子の年中時代が終り、4月から年長さん。
年長さんかぁ・・・どんな行事も保育園生活最後の、とつく「始まりの終り」年。
来年の今頃は、小学校への期待と不安が入り混じる「終りの始まり」
「始まりの終り」から「終りの始まり」に向かって・・・明日が終了式。
(新しい担任の発表に親子共々ドキドキしている)
落ち込んではいたが、涙など流していなかった。
そんな私に向かって息子が「どうして泣いているの?」と問う。
感情の機微を鋭く察知し、一声かけるやさしさ。(これよ、これ)
一方、主人は・・・
「頑張るって言葉は自分が使う言葉ではないよね」とさらに突き落とす。
(あなた、絶対モテないタイプだよね)
息子が「僕の一番大切なもの、知ってる?」と問う。
仮面ライダーのおもちゃ?それともチョコレートかな・・・ん~
「ママやで」
愛しているとか好きだとか、そんな恥ずかしいこと言えなくても、
大切だとか、大事だという言葉に変換してでいい。言葉で伝える。(これよ、これ)
一方、主人は・・・
息子にスマホ(主人にとってとても大事なもの)を隠され、怒りまくっている。
手元にないと落ち着かないらしい。(あなた、スマホなしでは生きられないのね)
何かを変えようとするのはとても大変だ。
変えようとする力に守ろうとする力が働くので相当なエネルギーを要する。
そんな時、思い出してほしい。
風は冷たいところから暖かいところへ吹く、ということを。
何かを成し遂げようとするとそれなりの抵抗があるということ。
では、どうして冷たいところから暖かいところに流れるのか。
空気はあたたまると、軽くなって上昇する。
冷たい空気の方が重く、暖かい空気の方が軽いので、
その空いたところに重く冷たい空気が流れ込むという。
変えようとする時は、何かに気づいてしまった時。
体にみなぎる情熱のエネルギー。
熱くなると、軽くなって上昇志向になる。そこに重く冷たい空気が・・・という仕組み。
面白い自然現象だなと思う。
重く冷たい空気が悪い側面だけではないこともわかっている。
経験値から危険を回避しようとしているのかもしれない。
守るべきものがあるからかもしれない。
それでも、変えることがよき風を生むと信じたならば、
生みの苦しみを味わうしかないであろう。
どんなにしんどくても辛くても、きっとそうせずにはいられないあなたなのだから。
正確にいうと、頑張っているのに報われないと感じてしまう私へ、かもしれない。
本当に報われていないのだろうか。
信じた道を突き進む中で、突き進むことで、途中やりがいを感じる至福の瞬間があったのではなかろうか。
そんなわずかな、かすかな、小さなひと時があっただけでいいではないか。
頑張っているなんて自分でいう言葉でないといわれるかもしれないが、
頑張っていると自分が思ったら、頑張っているのだ。 精一杯頑張ったのなら、いいではないか。
神様っているんだ・・・って思う瞬間がある。
友人の妊娠がまさにそれ。
彼女のお母様は結婚前に亡くなっている。
赤ちゃんができたときいた時は、お母さんだと2人で確信しあった。
よかったね、ほんとよかったね。
同い年の彼女の初産を心から祝う。
遠方に住む彼女に調子をきく。
順調だというメールが返ってくるだけで幸せな気持ちになる。
彼との結婚を望んで待ち、赤ちゃんができるのを願って待ち、待望の第一子だ。
人の話を本当に楽しそうに聞く彼女。
そんな彼女のために元気な赤ちゃんが無事生まれますように・・・心から祈る。
今、私の中で「漫才」が熱い。
日本再生を担うのは漫才ではないかと思うほどである。
予想もつなかい展開、
勢いだけではないスピード感、
鋭い人間観察、
説得力ある演技力、
繰り返し言葉と変換言葉の絶妙なバランス、
笑いとうまさを同時に味わうことのできる漫才に万歳。
「銀シャリ」は、ウィキペディア(エピソード)まで面白い。
私がコンビ名をつけるとしたら? トリビア?
私のウィキペディアなどないのだが、振り返って考えてみても普通すぎて全然面白くない。
「銀シャリ」というコンビ名も、お互いに20個ずつコンビ名を出し合った結果、
たまたま一つだけかぶっていたものであるらしく、
我々夫婦なら子供の名前を20個ずつ出し合ったとしても、
決してかぶらないと予想されるだけにすごい。
最近テレビが面白くないと思うあなたに・・・大阪のしゃべくり漫才をおすすめする。
最初から最後までドラマ「とんび」を息子と一緒に観た。
ヤッさんを笑う息子に、泣く私。
とにかく登場人物がみんな「いいひと」だった。
ヤッさんの懐(親スキル)がタカレベルで、ドラマを見ながら親とは?を学び、考えた。
TBS・内野聖陽版を見たが、
NHK・堤真一バージョンも観てみたいと思う。 再放送、ないかなぁ。
映画「桐島、部活やめるってよ」を観たが、とにかく「気になる」作品だった。
まず題名が、気になる。
桐島の事が、気になる。
その視線の先が、気になる。
自分の居場所が、気になる。
今どきの高校生を観ながらあの頃の私が、気になる。
中心の不在に周辺が揺れる。
あぁ、いるいる。ある、ある。わかる、わかる。昔も今も変わらぬリアリティ。
懐かしさを新しい形で提示される面白い作品であった。