こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

新聞から

2011-03-29 05:30:30 | いろいろ
我が家は読売新聞をとっているんだけど、3月25日付けのコラム『編集手帳』に私は

おもわず、うんうんとうなずきました。

  大正期の詩人、山村暮鳥に『桜』と題する詩がある。<さくらだといふ/春だといふ/

一寸、お待ち/どこかに/泣いている人もあらうに> ◆詩人は伝道師として東北地方

  の町々を転任した経歴をもつ。今回の巨大地震で被災した福島県の地名を織り込み、

  雲に<ずつと磐城平の方までゆくんか>と呼びかけた詩(『雲』)も知られている。

  サクラの詩は、東北の人情と風物をこよなく愛した人が今日のためにあらかじめ書き

  残した挽歌のようでもある◆人を悼む心が花にもあるのか、今年はサクラの開花は

  遅めというが、それでも四国や九州から、ぽつりぽつりと花便りの届く季節を迎えた

  ◆花に浮かれる心をたしなめて「泣いている人」を思いやった暮鳥の優しさにうなず

  きつ、だが―とも思う。生き残った者の誰かしらが、生かされてある者の誰かが世の

  中の歯車を動かしていかねばならない。音は小さくとも、季節の催事も“ガッタン”

  と刻む歯車の一つだろう◆この春、多くの人が愛でるのは、花ではなく、酒でもご馳  
  走でもなく、生きてある身のありがたさに違いない。宴の筵で、そういう供養もある

                     読売新聞「編集手帳」2011.3.25

毎日紙面に載っている 被災地の人達の様子、行方不明者の探索、死亡者名、あの地震と

津波がなければ 遠く離れた私が知るはずもない人達の姿だ。東北の春は遅く、それで

も4月、5月とその場所でその場所なりの春を迎えていたはずだと思うと残念でならない

テレビでお父さんを探していたあの少年は会えたのだろうか、車の中でお母さんに抱かれ

たままみつかった小さな子供たち、まだどこにいるのか捜しようもない大勢の人たち。

 これから先を考えるにも家族を失い、家も仕事も失い光りも希望も持てないのに

被災した人たちはなんとか、明日につなごうと耐えている。私はなにもできない。

募金をした、役立つならと服も送った。いまは捜索する自衛隊や警察、消防のかたたち

にできるだけ、亡くなられたかたをみつけてあげてと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする