こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

支援

2011-03-19 05:30:30 | 和歌山県
水曜日、町内放送で「串本町は岩手県宮古市に白米を支援物資として送ることにしました。

町民の協力をお願いします」という旨の放送があった。全国各地からの支援物資もなかなか

受け入れ態勢が立ち上がらないために進まないという報道に心配していたので、なにか協力

できればと思っていたところで安堵した。

 串本町は岩手県宮古市、青森県大間町、山口県下関市の4市町で締結している『大規模災

害時における本州四端協議会を構成する地方公共団体の相互援助協定』に基づき 宮古市に

援助物資を送ることになった・・・大間町は大きな被害はなかったそうだ。大地震・大津波

のあと、役場が宮古市に連絡をするもなかなか連絡もつかず、やっと連絡がきてどういう

支援がいいのかきいたら、現地ではお米が不足しているということでその援助を行うことに

したんだそうだ。和歌山県としても県の出先機関で募金を募っているし、関西広域連合とし

ての援助物資も募っている。今回は木曜日の朝9時から夕方6時まで文化センターで白米を

受け付ける・・その他の物資はいまのところまだ未定のようだ。町として募金も募る予定の

ようで、総額の半額を宮古市に、残りは被災地の復興にあてる・・・という熊野新聞の記事


我が家も協力しようと、次男君に送るために確保していた生協の無洗米(研がずに炊ける

米)を1キロ×3袋を持って行くことにした。まえに 水が不足の被災地に無洗米が役立つ

というのを見聞きした記憶がある。ただ、文化センターに早めに行くときっと熊野新聞の

記者やどっかのカメラが来てたら万が一映るとなんだし、だから、少し時間を遅らせてから

行くことに。テレビでは首都圏も計画停電の影響で、お米に乾電池カップ麺、水、自転車ま

で売り切れ続出というのを、いぶかってはいたんだけど・・・文化センターに行く前に

スーパー・オークワに行ってみて驚いた。お米がありません。カップ麺はたくさんあるけど

お米の棚にはなにも・・・無い。買占め?それとも援助物資として出すために買ったのか?

隣の雑貨のほうの店舗に行くと、乾電池に懐中電灯、カセット・コンロ、カセット・ガスが

無い。レジの人におばさんが聞いている「電池ないけど」「地震の翌日くらいから無くなり

つつあった」って・・・。いよいよこの地の人も防災準備に取り掛かったのか?う~ん、

自分を守るために買占め・・・大丈夫と言われても不安になる気持ちもわかるけど。

でも、本当に必要なところに支援できなくなるのは困ったものだ。とくにガソリン、灯油は

東北地方に今一番必要なものだから不要に買わないで貰いたい。被災地ではガソリンがなく

申し訳ないけど流された車からガソリンを抜いているというニュースをみた。被災したうえ

人のものを盗まなければならない・・・その気持ちを私達は少しでもなくしてあげなくちゃ

いけないのでは・・と思う。海外メディアは被災した日本人の冷静さに驚いているそうだが

逆に買占めにはしる人間心情も暴いてやればいいのにとも思う。市場には十分あるのだから

最優先はどこかということを考えなくてもわかるはずだ。

 私が文化センターにお米を持って行った時は、まだ玄関には人の肩ぐらいの高さで二m

ぐらいの広さで置かれていた。名前を記入するよういわれお米のキロ数も書く。潮岬や大島

と書かれている。本当に集まるのか気がかりだったが、夕方6時半の町内放送で1415名

から17.5トンの白米の援助があったと報告が。げげ!17.5トン。。。トンって

すごいやん。みんな何かしたいと思っていたのだ。金曜日あさ10時から文化センターで

出発式があるからお見送りにとも言っていた。雪の降る宮古市に串本の気持ちが届きますよ

う。そして 原発問題も加わり先が見えないくらいの状態を私達は忘れてはいけない。

     




 金曜日の夕方の和歌山ニュースでは 串本町の支援物資のお米が隣の古座川町民からも

支援があって、計20トンあまりになったと言っていた。今できる事を、遠く離れたところ

からも応援することが大事だ。午前中出かけた先のお店で、だんなさんが予備自衛隊員と

いうことで、電話がきて招集があれば出てもらえるか・・という問い合わせがあったと聞い

た。被災した中にも招集が来て、お母さんを被災地に残し自分は行きますという報道を観た

彼は親を残して行くのは辛いが、今行かなければこの先復興しても一生後悔するからと涙ぐ

んでいた。母親も「(行かないで)それは思うけど、ね、・・・・。がんばってください」

 レベル5という原発事故現場に命をけずられても出動している自衛隊員、消防隊員、電力

社員の方たちが一秒でもはやく任務が成功し 被曝することが無く全員戻られることも私は

祈りたい。そして原発に近く屋内退避の地元の人々をもっと安全な暖かい場所に移してあげ

てほしい。死亡者が阪神淡路大震災の死亡者を超えてしまった。そうなりそうだとは薄々

思っていたし、まだ増えるのも確実だ。それも直視し残された国民は 防災を真剣に考え

原発の安全性をもう一度見直し 2011年3月11日のあの時から 新しく生きていく宿

題だと思う。
コメント (2)
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