先月の熊野新聞の記事ですが、串本町内の中学校がまた一つ閉校になり大きい中学校
に統合されるようです。この田原中学校は旧古座町にあり私などは、まだまだ旧古座町
内の中学校というイメージが残っています。昔は郡が違っていたので学校の交流はなか
なかなく、中学校でのそれぞれの郡大会ではなく紀南地方の大会でしか会うことはあり
ませんでした。紀南地方といっても新宮から串本町、古座町、古座川町内までの中学校
の大会です。田原中学校には行ったことはありませんし、国道から見えるのが小学校な
のか中学校なのか・・・。当時はもっと人数もいたと思うのに全校生徒が6人は少ない
子供のことを思うともう少し早く 統合しても良かったのに・・と完全な部外者である
私が言うのもなんだけれど、やはり地元民の思いも強かったのであろう。
新年度は古座中学校に通うことになるようだけど、バス通学になるのか電車になるのか
いまはスクールバスを使う学校が増えているけど、新入生を入れても少人数すぎて
スクールバスは、田原小学校が閉校になって古座小学校に統合されなきゃ町も出しては
くれないのかも・・・・。以前ブログで同じ旧古座町内にある姫地区の養春小学校が
今年度で閉校となる・・・記事を書いた・・と思うんだけど、どこだったか見当たらず
きっとぼんくらさんのブログにコメントしただけだったのかも・・・と、最近の物忘れ
に一抹の不安を抱く・・・のだ。
で、3月6日付けの熊野新聞のコラム欄『水平線』が ≪養春小学校≫と題しての
文章が記載されていた。
熊野新聞コラム『水平線』から 養春小学校
本年度末で養春(ようしゅん)小学校は133年の歴史を閉じ西向小学校と統合す
る。多くの小学校は地域名を学校名にしているが、なぜか本校は「養春」の名が付いて
いる。記者は地元の人の勧めもあり同校校長を訪ねた。校長は記者の問いに一枚の紙を
示した。それには「春を養う、春の芽生えのすくすくと、伸びる姿を願ったもの」とあ
った。本校は明治初期の開校時は「姫小学校」といい、その後学区の改正で近隣の六ヵ
村(西向、神ノ川、古田、伊串、姫川、姫)を連合し「考明小学校」として本校を西向
に設置、古田の「履修小学校」と姫の「姫小学校」は分校となっていた。明治26年
4月に「養春尋常小学校」として再出発した。校名はその当時の西向小学校校長の発案
によるもの。現在は在籍児童数13名、明治以来常に100名を超す児童数が学んでお
り、戦後のある時期は200名近いときもあった・・・
姫駅の降者は一人春の雨 (塩地慎介)
最後の俳句の作者が塩地さんかはわかりませんが、コラムを書いたのが塩地さんでしょ
ね。私も、常々この小学校の校名が「なぜ養春?」と思っていたのだけどそういういき
さつだったのね・・・。
この春から小学生たちはどのような通学方法で西向小学校に通うのか?電車だと古座で
降りて戻る形になるし、やはり路線バスで乗っていくのが安全か?とも思うけど。