こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

久しぶりの・・・

2014-01-13 05:30:00 | いろいろ
お正月2日のこと。この日は高校時代の友人たちと久しぶりに会う約束の日。

元三人娘の私達は 出身中学校はそれぞれ違っていて、たまたま串本高校に入学してから

一、二年生のときに同じクラスになって知り合ったというわけで、それでも一年生のとき

は女子特有のべったり一緒ということもなく、普通に会話するクラスメートの付き合いだ

けだった。一人は串本中学校、一人は大島中学校で中学校時代のクラブ活動も違う。

二年生になってクラス替えがあり、なんとこの三人のクラス担任が「あの先生のクラスに

はなりたくない」と当時嫌がられていた先生になぜか当たってしまった。担当教科は英語

で、毎時間小テストがあり、ほかの教科が自習時間となったらすぐさま英語に振り替えら

れ、放課後も英語の時間となったり、土曜日も(その昔土曜日も半日授業があった)お昼

の12時まで他のクラスは11時に終了してもきっちりと英語の授業があった。私は、

日本人なので英語とは 中学校でサヨーナラしていた状態なので、んもぅいやでいやで

しかたない。串本高校には当時英語科という町内のよくできる生徒が入る(古座高校にも

理数科という東牟婁郡内の優秀な生徒が入るクラスがあった)クラスがあり、いわばいま

で言う進学クラスで一日に英語の授業が3時間はあったようなクラスと同じくらいの、

英語の授業に辟易していた。私は日本人なので英語の成績もすごく、ヤバイ状態だった。

この担任は、英語のできる生徒とできない生徒を自分のクラスに両方いれて少しでも、

単位を落とさずにすむように努力してくれていたんでしょうね、小テストもその積み重ね

で点数を補ってくれていたんでしょうね、できる生徒には完全復習みたいな小テストでも

ありぃの・・・。女子は反発はしないけど、年頃の男子生徒のなかにはやはり、補習授業

もサボりさっさと早い時間の電車で帰ってしまう子もいたけど、先生は黙々と授業をした

私はひたすら、先生からあてられることのないように、読むことは読めても意味とか訳と

か聞くなよな!といつも思っていた。病弱なら休んだりできるけど、頑丈な体なゆえ病欠

にもなれない(泣)、毎日ある英語の時間は苦痛でしかたなかった。英語と数学は不得手

でも、ほかの教科は普通なので、それさえなければ楽しい高校生活。だけども、なぜか

私達三人はどうもクラスから浮いた存在だったようだ。自分は普通だと思っていたけど、

この中でたぶん私が異端児だったのではと思う。なので、友達のAちゃんやYには申し訳

ないなと、それはいまも思っているのだ。私と一緒にいるだけで他から浮いて見られるん

だもんね。何がかわっていたのか、今じゃ思い出せないけど。。。

Yは三人の中で一番早く結婚して、いまも大阪で暮している。Aちゃんは県内に住んでいて

私だけが串本町に居残ったみたいな・・・。で、二人は長女でしっかり者、私は三女と

いう組み合わせ的にも不思議な、たぶん私が二人にもたれかかっている感じできたのでし

ょうね。三年生になってYは一年の時の担任のクラスに戻った(んだと思う)けど、私と

Aちゃんは英語クラスに残されてしまった。たぶん、先生は他のクラスに私を出すと単位

が危ないと思ったんじゃないかな。いやほかの教科は頑張ってるし、真面目だったのにな

と、あれこれ思い出していると記憶もところどころ不鮮明になってきている・・。


 Aちゃんが三人集まるのに私を車で拾って、Yの待つ大島へ。そのあと串本でお昼を

食べて話そうという段取りを組んでくれた。が、「もうそこまで来ている」という電話で

慌てて待ち合わせ場所に行くと、「あの電話のあと違う道に入って行きかけた」と言うの

だ。どこを間違うのかと思うんだけど、住宅地のほうに行きかけたって・・・。車にナビ

が付いてんのに・・とこの時思ったんだけど、大島へ一刻も早く走らせるので黙っていた

てっきり、大島の待ち合わせ場所も判ってんだろうと思っていたら、どうもあやふやな

返答に、私も「大島の港はたぶんここを左に行ったらいいんちゃう?」とは言ったものの

大島を詳しく知っているわけでもないけど、たしかフェリーが着いていた大島港の近くに

家があったはず、Aちゃんもそれは覚えているので大島港を目指すのだが二人で「え~、

こっち?あっち?」とそう広い島でもないのに道路が整備されすぎ。おまけにお正月だか

ら交通量が多い。「ちょっと~、ナビついてんだからそれで探したら」と言ったら

「それはこの辺で使うもんじゃないのよ。仕事でよそに行く時のモノ!」と言うから

安心してたら「こっちやろ、港みたいやし」と行きかけた先には≪大島フィッシング≫

なんて看板!「なんで釣りせなあかんのよ!もっと下って行ったら海が見えるはず」と

走っていくと、やっと広い昔のフェリー乗り場が見えてきた。まったくよその土地は記憶

だけで辿っていくと、とんでもないところに行くことになってしまう・・・

こうして顔を合わせるのは、二、三年まえの普通科全体の同窓会以来で、あのときは

全体が何十年かぶりの再会だったためYとはゆっくり話す時間も無かったのよね。


お昼は串本に戻ってサンドリアで食べ、再度大島に戻ってYの家で喋りまくる。勤め人二

人に専業主婦の私だから、どうも会話がのほほんな生活の私とはずれが出てくる。二人は

私の≪わけわからん人々≫との戦いにこれからの対策を伝授し、それでも不安げな私に

ハッパをかけてくれる。頑張らないと、あとで大変なことになると・・・。ひょぇ~な

話に内心怖じ気づきそうにもなる。しかしYの一言「田舎の人は よそからの人を受け入

れないところがあるもんね」  ドキッとしたわ!そぅ、でもねぇ、農地や山林って

子供のときから親が手間ひまかけて手入れをしているのを見ているから、若い頃は

「んなもん、できなくなれば売ればいいやん」と思っていた私でさえ、「それってなぁ

そうしていいもんでもないよね」と思うようになってしまったのは、歳をとってきたせい

でもあるのか。とはいえ 草を刈ったりするのは私一人でやらなくちゃならない現状に

二人は「旦那を引き込め」というけど、言わなきゃ腰を上げない現実に「それなら自分で

ボチボチやっていくほうが精神的に楽ちゃう?」と思うの。あ~だ、こ~だと辺りが

暗くなるまで二人が私の将来の姿を心配してくれた。そこでお開きとなった。


        大島港から見た夜の串本 ロイヤルホテルの灯り

久しぶりの再会で疲れて眠ろうと布団に入ったらメールが来た。YかAちゃんだと思ったら

中学校時代の同級生からで「寝てなかったら電話を」とあるから電話をした。こっちは

男子で親戚の家で飲んでいるらしく、普段よりよく喋る。三人で女子会をしたというと

この二人はAちゃんとは面識もあるので「なぜ誘ってくれなかった」と文句を言われ、

次回に会う時は(お盆か正月に)自分たちも混ぜるように言われてしまった。こうなると

完全に私はAちゃんを呼びだすための≪ダシ≫となるのだ・・・まぁ、酔っ払いはなにか

グダグダ言っていたけど、そんな約束を取り付けられて電話を切ったんだけど、年に一度

でも久しぶりの顔を見るのも、楽しみになってくるのも老けてきた証拠か??





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