水曜の早朝、起床しお弁当を作り朝食の準備をしてそれをお盆に乗せ、居間のテレビの前に
運んだ時、ちらりと見やったテレビ画面が読売テレビの≪朝生わいど す・またん≫で、
開始早々にスポーツ新聞各紙の一面を貼り出したボードの前で、森たけしアナと辛坊次郎さ
んが神妙に話をしている。新聞の文字が黄色で大きく『たかじん』とどの紙面に出ている。
「うそやろ、たかじん・・・」やしきたかじんが3日に亡くなっていたという報道が、前夜
流れたそうで、関西人なら知らない人はいない たかじんの訃報に、テレビのなかの二人も
記事を読みながら視聴者に伝えてくれていた。大阪圏なら朝刊に間に合っただろうけど、
串本では新聞記事もそうそう刷りに間に合うことは難しいので、ここで詳しく聞かねばなら
ないのです。食道がんで活動を休止中ではあったけど、たかじんの名前の付いた番組は
復帰を待つ格好で、そのまま放映されている。たかじんはペン型指し棒で ボードをバンバ
ン叩きながら芸能・政治・社会などの解説をおもしろく、ときに怒りながら、お酒を飲みな
がらしていた。その風貌とそのしゃべくりの声から想像できない歌う声とのギャップに、
私の大泣きソングも含まれている。またしても・・・だ。年末の大瀧詠一、海原しおり、
そしてやしきたかじん。テレビの番組では「たかじんって右?」と思う時がたまにあったけ
ど、出演者の話には耳を傾け、ツッコミも鋭く、涙を見せる時もあって 会ったことはない
けど、気持ちの熱い関西人ということが私もたかじんのファンの一人であるということなの
だ。歌手としては昔歌本にあった全部平仮名の名前に「みなみらんぼう、みたいなフォーク
歌手かな」くらいの私の認知度でしたが、甲斐よしひろのFM放送でやしきたかじんの
『ラヴ・イズ・オーバー』を聴いて「なんとー!」と驚いた記憶がある。フォーク歌手では
なかったと知り、その後は関西の芸能人が「やしきたかじんさんが」「たかじんさんが」と
よく話題にし、そのころ『たかじんnoばぁー』という番組が放送されていた。もう20年ほ
ど経つのか、昼間の2時から朝日放送で≪晴れ時々たかじん≫というワイドショーで私は
このしゃべくりにハマってしまった。たかじんのお酒にまつわる騒動や幅広い交友関係、
ただキレやすいのが危なっかしいと、年下の私がハラハラするような暴言も多かった。
朝日放送と確執があり、NHKともケンカしたということはいろんな番組で話していたけど、
亡くなってからどのテレビもみんなたかじんのこと、取り上げていたで。NHKは朝のニュース
の項目に入っていたし、映像も流していたで。各局のワイドショーもたかじんの過去の武勇
伝披露してたわ。関西のオバちゃん(街頭インタビューに答えそうな)はたかじんファンが
多いよね。きっと、やんちゃなところを含めて大阪の人間を表しているところなんやろな、
と思っています。そうかぁ、たかじんのトークも歌も聴けないのだ。。。またもや、あちら
の世でのライブが楽しみになってきた。おしゃれな大瀧詠一のライブに行ったあと、私は
あの世の大阪会場あたりで海原しおりとたかじんのトーク&ライブに参加するのだ!!
ハマった たかじんへの追悼で再読を始めた凹さん
≪朝生わいど す・またん≫で辛坊さんがあの細いハニワの目といわれる目から、涙を流し
声を詰まらせていた、≪たかじんのそこまで言って委員会≫のことを思い出したのかな。
「彼は番組を見ている人には右に見られていたけど、考えはリベラルでした」と今の日本
や世界にたかじんなりの思いがあぁいう過激な言い方になるんだろうなぁ・・・。
写真の中の一冊「たかじんが来るぞ!」を読むと、なんか私のブログの書き方がこの本の
書き表し方に似ているような気がして、「たかじんと少し感性が近いのか!!」と自己満足
してニヤリ。たかじんのようなパワーとカリスマ性のある大阪人は、もう出てこないのだろ
うな。私のなかの巨星がまたひとつ、遠くへいってしまった。
運んだ時、ちらりと見やったテレビ画面が読売テレビの≪朝生わいど す・またん≫で、
開始早々にスポーツ新聞各紙の一面を貼り出したボードの前で、森たけしアナと辛坊次郎さ
んが神妙に話をしている。新聞の文字が黄色で大きく『たかじん』とどの紙面に出ている。
「うそやろ、たかじん・・・」やしきたかじんが3日に亡くなっていたという報道が、前夜
流れたそうで、関西人なら知らない人はいない たかじんの訃報に、テレビのなかの二人も
記事を読みながら視聴者に伝えてくれていた。大阪圏なら朝刊に間に合っただろうけど、
串本では新聞記事もそうそう刷りに間に合うことは難しいので、ここで詳しく聞かねばなら
ないのです。食道がんで活動を休止中ではあったけど、たかじんの名前の付いた番組は
復帰を待つ格好で、そのまま放映されている。たかじんはペン型指し棒で ボードをバンバ
ン叩きながら芸能・政治・社会などの解説をおもしろく、ときに怒りながら、お酒を飲みな
がらしていた。その風貌とそのしゃべくりの声から想像できない歌う声とのギャップに、
私の大泣きソングも含まれている。またしても・・・だ。年末の大瀧詠一、海原しおり、
そしてやしきたかじん。テレビの番組では「たかじんって右?」と思う時がたまにあったけ
ど、出演者の話には耳を傾け、ツッコミも鋭く、涙を見せる時もあって 会ったことはない
けど、気持ちの熱い関西人ということが私もたかじんのファンの一人であるということなの
だ。歌手としては昔歌本にあった全部平仮名の名前に「みなみらんぼう、みたいなフォーク
歌手かな」くらいの私の認知度でしたが、甲斐よしひろのFM放送でやしきたかじんの
『ラヴ・イズ・オーバー』を聴いて「なんとー!」と驚いた記憶がある。フォーク歌手では
なかったと知り、その後は関西の芸能人が「やしきたかじんさんが」「たかじんさんが」と
よく話題にし、そのころ『たかじんnoばぁー』という番組が放送されていた。もう20年ほ
ど経つのか、昼間の2時から朝日放送で≪晴れ時々たかじん≫というワイドショーで私は
このしゃべくりにハマってしまった。たかじんのお酒にまつわる騒動や幅広い交友関係、
ただキレやすいのが危なっかしいと、年下の私がハラハラするような暴言も多かった。
朝日放送と確執があり、NHKともケンカしたということはいろんな番組で話していたけど、
亡くなってからどのテレビもみんなたかじんのこと、取り上げていたで。NHKは朝のニュース
の項目に入っていたし、映像も流していたで。各局のワイドショーもたかじんの過去の武勇
伝披露してたわ。関西のオバちゃん(街頭インタビューに答えそうな)はたかじんファンが
多いよね。きっと、やんちゃなところを含めて大阪の人間を表しているところなんやろな、
と思っています。そうかぁ、たかじんのトークも歌も聴けないのだ。。。またもや、あちら
の世でのライブが楽しみになってきた。おしゃれな大瀧詠一のライブに行ったあと、私は
あの世の大阪会場あたりで海原しおりとたかじんのトーク&ライブに参加するのだ!!
ハマった たかじんへの追悼で再読を始めた凹さん
≪朝生わいど す・またん≫で辛坊さんがあの細いハニワの目といわれる目から、涙を流し
声を詰まらせていた、≪たかじんのそこまで言って委員会≫のことを思い出したのかな。
「彼は番組を見ている人には右に見られていたけど、考えはリベラルでした」と今の日本
や世界にたかじんなりの思いがあぁいう過激な言い方になるんだろうなぁ・・・。
写真の中の一冊「たかじんが来るぞ!」を読むと、なんか私のブログの書き方がこの本の
書き表し方に似ているような気がして、「たかじんと少し感性が近いのか!!」と自己満足
してニヤリ。たかじんのようなパワーとカリスマ性のある大阪人は、もう出てこないのだろ
うな。私のなかの巨星がまたひとつ、遠くへいってしまった。