こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

思い出

2016-12-01 05:30:00 | 我が家
お!おッ!という間にもう12月になりました。

今年は なにをどうした・・・という記憶もないほど一年が過ぎていきました。

おじいちゃんの葬儀から それに付随する諸々がこれでもかと覆いかぶさり もうこの

小さな肩にこれでもかと 時代劇の石積みの拷問のような感じで おじいちゃん関連の

書類を手にするたびに 首筋がパンパンに張ってしまう・・それは数が減ったいまでも

一種の拒否反応のようになっていますが・・・

サンババ修学旅行のあと、数日後。以前からお風呂の湯沸かし釜のあたりからの水漏れが

気になっていたんだけど、突如その流れ出てくる水量が増えて業者さんにみてもらうと

取り換えになるだろうと。しかし湯沸かし釜だけ取り換えることになるとボイラーが

灯油タンクの場所になってしまうという。お風呂は必需品だから そこをなんとか。。

とはいかず、灯油タンクを新しいものに替えることになった。仕方ない、メーカーが

違うからなぁと。そうなると 外に置いていた衣類乾燥機を脱衣所に置けるように

なるというので まぁ滅多に使わない乾燥機も 少しは寿命も延びるだろうと

業者さんにまかせたんだけど、新しいスイッチパネルが新しい場所に付く。

乾燥機も置くとなると セメントの壁に書かれている亡くなった姉の懐かしい文字も

見えなくなることに・・・。昔は そこには薪でお風呂を沸かしていた頃の

落書きが残っていたのだ。いまは もう30年以上前の落書きなので文字も薄くなって

いて、たぶん家族でも書いていた亡き姉の姿を見ていた私しか知らないと思う。

姉は姉妹の中でも絵が上手で 空白があるとどこでも、新聞紙の両端のあの狭い幅の

ところにまでなにかしら絵を描いていた。私たちは 田んぼで働いている両親の

かわりに 風呂焚きを任されていた。夕方の 見たい再放送のドラマとかあるときには

焚き木を釜にくべ込んで 10分テレビを見ては焚き木を入れに走ってきた。

冬になるとそこで座っているほうが暖かいため お風呂が沸くまで火の番をしていた。

けれども退屈すぎて姉が チョークですらすらすらっと字を書いていた。

そこには 絵ではなく文字が書かれていて それがこれ。



もう時間の経過で薄くなっているけど

君は 雨を見ているの

雨をみてるふりだけなの

と書かれている。抒情的だけど 彼女の言葉ではなく 井上陽水の Fun と いう歌です。

井上陽水が脚光を浴びたアルバム≪氷の世界≫。私も姉の影響で 陽水のLPをよく聴いた。

ヒットした≪氷の世界≫や≪傘がない≫とかよりも この歌が好きだった。

今までこの文字を見るたびに 姉を思い出していたけど月日が経つとメロディもうろ覚え状態で

今回 このネタをかくためにYouTubeで探してみたらあって、久々に聴いてみた。

もっと短い歌かと思っていたけど 案外長く「あ~そうそう、こういう歌詞だった」と懐かしく

陽水の声も 昔のほうがいいなと。。。

私は♪日記に書いてることは やっぱり悲しいことかな

    それともきょうから 日記をやめると書いているのかな・・・という歌詞が

とてもとても懐かしい。当時 私は日記を書いていた記憶。きっと 淡い片思いのことなんか

書いていたんだろう(笑)それにしても 陽水の声に聞きほれて もう一曲 絶対井上陽水と

言えば私にとってこの曲だ!というのが≪能古島の片思い≫ 当時 ルビをふっていなかったので

姉となんと読むのかいろいろと話し合った。それが≪のこのしま≫と読むということを知ったのは

数年後だった。確かにその島は九州にある(地図で昔調べた)ようで タイトルは忘れていないのに

メロディも歌詞もすっかり忘れていた。それもYouTubeで聴いた。アルバムは陽水Ⅱ≪センチメンタル≫

もう一度聞きたくなった。大人になった井上陽水よりも 私たちが聞きほれたあの頃の、若いころの

陽水の歌を聴いてみたいと思った。姉はどんな気持ちで落書きをしたのか、たんに歌が好きだったからか

それとも淡い気持ちを持っていたのか・・・聞いておけばよかった


絵の下手な私が書いた絵がお風呂の戸に残されている(笑)



カボチャのようだが女の子である。もっとひどいのが



なぜかカエル。ほっぺたが膨らみすぎだろ~

この二枚は 焚き木の燃えかすで書いた記憶がある・・・



コメント (4)
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