7月29日、いよいよ負の遺産である納屋の解体が始まりました。
≪負の遺産≫と言い切ってしまっては これを建てた先祖さんに失礼なんでしょうけど 後々の保存・活用の仕方が
あまりにも適当すぎて 平成のこの時代に取り壊すことになったことを あちらの世界でもご理解いただきたい。
私は こういう取り壊しの時にはなにかお神酒の様なものを掛けてから始まるものかなと思っていたけど、おばあちゃんから
そんな指示もなく 業者さんが足場を組み立てて始まりました。まえに 庭の桜の木を伐った時には幹にお酒を掛けたというような
ことを聞いたことがあったので なんか日本人的やな~と思っていたんだけど。
あらかじめ 納屋の中のものを仕分けてゴミに出したけど なかなかまだまだいっぱい≪ゴミ≫は残されています。
もうそれらを思うことも、見ることもこの猛暑の中では拷問に近いなぁ・・・が家族三人の意見です。
これは醤油納屋(ほんのり醤油の香りがしていたので 昔は木の樽にお醤油を入れてここにおいていたんでしょう)から出たおばあちゃんの
梅干しやらラッキョウ、しょうがなどを漬けていた瓶。まだ残しておくというので 幾多もあった中から 選抜されて破棄されなかった瓶たち。
茶色の瓶は 油瓶か酒瓶で、胴には地区名と名字屋号が掘られていました。いわれも何も聞いてはいないけど まぁ花入れとかでいいかな。
きれいな青の一升瓶。あまりにきれいなので いまは緑と茶色の一升瓶しか目にしないので 最終的におばあちゃんが「いらん」と言ったけど
私がもらい受けました。中身は 年代物のハチミツが入っていました。同時に出てきた マムシ入りの一升瓶、あの瓶が 青だったとしても私は
要らない!と言い切ったでしょう。マムシ入りの瓶は そっくりそのままこの間草刈りに来てくれたおばあちゃんの末弟にもらってもらいました。
納屋の中には 私が子供のころに それを使っていたのを見た記憶がある懐かしい農具が出てきました。やはり お米で生きてきたので
おじいちゃんも使わなくなってからも捨てるに忍びない・・ではなく、たぶん捨てるのができなかっただけだと思うのです、人間て
そんなもんでしょ?
せんばこき さび付いてたぶん歯どうしがひっついているんでしょうね・・・ 小学校の教科書に載っていた記憶があります。
納屋の壁は 土壁、赤土とわらを刻んでねちねちと練ったものを、竹を割って並べたところに塗り付けていたと思います。土と木でできた いかにも日本!
みたいな・・・その上に漆喰を塗ったりしたのかな 白いところもあった。
もみ殻選別機 とうみ 丸い部分の中は水車の歯のようになって手回しで回していたので 子供の時は手を差し込みたくて(笑)
何かに使えるでもないのに 捨てられないモノの典型。たしか古座川町のぼたん荘の玄関に同じようなものが展示されていた。あぁいう 利用の仕方もあったのにね。
リンク先に載っていた 足踏み脱穀機。子供時代に見ました。脱穀を始めたら 電動脱穀機が壊れてしまい、急きょ旧式の足踏み脱穀機を出してきてバタバタ脱穀して
いました。
この とうみ の足元、芋ツボ 芋を保管する穴があります。子供のころに 納屋で遊んでいた時に入ったことがありますが どんな風だったか覚えていません。
いまは板でふたをしていますが 穴になっているんです。木の手桶も、風情よりもなんか杓子で打ち水って 私には似合わない(笑)(笑)
おばあちゃんは若いころ 後ずさりしながら物を運んでいた時に 開いていた芋ツボに落ちて わき腹をしこたま打った・・・と 今も当時のことを
憎々しげに語ります。おばあちゃんは 芋を保存したことはないので 嫁いでくる前に使っていたようです。納屋を取り壊したら 公?に露見するのでツボの底を
割ってもらい 雨水が溜まらないようにしたいとおばあちゃんが言います。そうか 建て物を撤去すると そのあとは 土なので コンクリートにしないと
砕石を入れても 草が生えてくるのでなぁ・・・ またお金が・・・
ふご やっとピントが合った写真になりました。最近は花とか小物類しか写さなかったので モードを変えてなかった。それとも目が悪くなったのか?
おばあちゃんが「ふご」というので「懐かしなぁ」と思った。平成にふごという言葉は通じるかどうか・・・調べたら≪もっこ≫というものであるらしく
≪もっこ≫自体通じるか・・肩で担ぐものだということなんだけど 昔の運搬道具。今のように機械で運んだりとかできなかった時代に みな人力で運んだ
んですよね。家にはこれの 竹で編んだものもあります。それはいま、おばあちゃんの畑の草取りかごとして利用しているので 廃棄対象となってはいないけど
このわらで編んだものは 置いておくだけで虫が湧いてきそうな気配。どこかに置いておくと 野良猫が子供を産みつけそうだし・・・私は捨てる気でいたら
おばあちゃんが「ほしいなぁ~これでショウガを保存するのにいいのに・・」というから、まぁ自分で管理するなら・・・ということで残した。
中にある 輪のついた金具は これを竹に当てて上から金槌で叩くと、竹を分割にできるという画期的なものだが 分割にする爪が二本欠けてしまっているのに
おじいちゃんはゴミにも出さず置いていた。つくづく捨てられない病?かなと思うし、納屋以外でも道具小屋も大変な状況なのだ。
細工ごとがすきだったせいで あらゆる工具関係のものが所せましではなく 自分で分類しすぎてどこに何があるか全くサッパリわからないという
ことになって、なぜかドライバーは何十本、スパナや金槌、針金、釘 なんでもござい・・小さな金具やが開けそう・・誰かにもらってもらえるなら
いいのだけど、「あんたは大工さんか!」というくらいに釘を箱ごと何ケースも買って放置したのでみんな錆びついて、その箱の中に抜いた釘を混ぜて
、ここでも捨てられない病やね・・・私たちに片付けろという割に 本人は片付けるというより見えないところに移動させる、もしくはすき間に突っ込む?
そのうえにまだ持ちたいのか?って買いたい症候群・・・それらを私がこの世を去るまでに片付けないと 私が子供に恨まれるのであるのだ・・
おじいちゃんが残したものは たぶん普通の人の倍はあっても どれもこれもお金にならないトホホなものなのだ・・壊れたものをなぜ捨てないか?
脳細胞になにか病変としてあったのかと思いつつ、私は仕分けていくのだ・・・、外では解体三日目となり チェーンソーとユンボの音が続いている。
作業の人も暑い炎天下でいるので さっきまでこげと部屋で扇風機で頑張っていたのだけど 気分が悪くなり室温が32.6度になったのでエアコンを
つけさせてもらった。こげの息も少し穏やかになったようだ。納屋がなくなると 外から家の庭や屋敷が丸見えになってしまうので のちにブロック塀を
作るんだけど、それまでの間 ブルーシートで目隠しかなにかしないとちょっとね・・おまけに夜中はシカやイノシシが闊歩している周辺だから。
え?番犬のこげですか? 夜中は怖いし 私たちを守るのが使命みたいな顔をして寝ています
≪負の遺産≫と言い切ってしまっては これを建てた先祖さんに失礼なんでしょうけど 後々の保存・活用の仕方が
あまりにも適当すぎて 平成のこの時代に取り壊すことになったことを あちらの世界でもご理解いただきたい。
私は こういう取り壊しの時にはなにかお神酒の様なものを掛けてから始まるものかなと思っていたけど、おばあちゃんから
そんな指示もなく 業者さんが足場を組み立てて始まりました。まえに 庭の桜の木を伐った時には幹にお酒を掛けたというような
ことを聞いたことがあったので なんか日本人的やな~と思っていたんだけど。
あらかじめ 納屋の中のものを仕分けてゴミに出したけど なかなかまだまだいっぱい≪ゴミ≫は残されています。
もうそれらを思うことも、見ることもこの猛暑の中では拷問に近いなぁ・・・が家族三人の意見です。
これは醤油納屋(ほんのり醤油の香りがしていたので 昔は木の樽にお醤油を入れてここにおいていたんでしょう)から出たおばあちゃんの
梅干しやらラッキョウ、しょうがなどを漬けていた瓶。まだ残しておくというので 幾多もあった中から 選抜されて破棄されなかった瓶たち。
茶色の瓶は 油瓶か酒瓶で、胴には地区名と名字屋号が掘られていました。いわれも何も聞いてはいないけど まぁ花入れとかでいいかな。
きれいな青の一升瓶。あまりにきれいなので いまは緑と茶色の一升瓶しか目にしないので 最終的におばあちゃんが「いらん」と言ったけど
私がもらい受けました。中身は 年代物のハチミツが入っていました。同時に出てきた マムシ入りの一升瓶、あの瓶が 青だったとしても私は
要らない!と言い切ったでしょう。マムシ入りの瓶は そっくりそのままこの間草刈りに来てくれたおばあちゃんの末弟にもらってもらいました。
納屋の中には 私が子供のころに それを使っていたのを見た記憶がある懐かしい農具が出てきました。やはり お米で生きてきたので
おじいちゃんも使わなくなってからも捨てるに忍びない・・ではなく、たぶん捨てるのができなかっただけだと思うのです、人間て
そんなもんでしょ?
せんばこき さび付いてたぶん歯どうしがひっついているんでしょうね・・・ 小学校の教科書に載っていた記憶があります。
納屋の壁は 土壁、赤土とわらを刻んでねちねちと練ったものを、竹を割って並べたところに塗り付けていたと思います。土と木でできた いかにも日本!
みたいな・・・その上に漆喰を塗ったりしたのかな 白いところもあった。
もみ殻選別機 とうみ 丸い部分の中は水車の歯のようになって手回しで回していたので 子供の時は手を差し込みたくて(笑)
何かに使えるでもないのに 捨てられないモノの典型。たしか古座川町のぼたん荘の玄関に同じようなものが展示されていた。あぁいう 利用の仕方もあったのにね。
リンク先に載っていた 足踏み脱穀機。子供時代に見ました。脱穀を始めたら 電動脱穀機が壊れてしまい、急きょ旧式の足踏み脱穀機を出してきてバタバタ脱穀して
いました。
この とうみ の足元、芋ツボ 芋を保管する穴があります。子供のころに 納屋で遊んでいた時に入ったことがありますが どんな風だったか覚えていません。
いまは板でふたをしていますが 穴になっているんです。木の手桶も、風情よりもなんか杓子で打ち水って 私には似合わない(笑)(笑)
おばあちゃんは若いころ 後ずさりしながら物を運んでいた時に 開いていた芋ツボに落ちて わき腹をしこたま打った・・・と 今も当時のことを
憎々しげに語ります。おばあちゃんは 芋を保存したことはないので 嫁いでくる前に使っていたようです。納屋を取り壊したら 公?に露見するのでツボの底を
割ってもらい 雨水が溜まらないようにしたいとおばあちゃんが言います。そうか 建て物を撤去すると そのあとは 土なので コンクリートにしないと
砕石を入れても 草が生えてくるのでなぁ・・・ またお金が・・・
ふご やっとピントが合った写真になりました。最近は花とか小物類しか写さなかったので モードを変えてなかった。それとも目が悪くなったのか?
おばあちゃんが「ふご」というので「懐かしなぁ」と思った。平成にふごという言葉は通じるかどうか・・・調べたら≪もっこ≫というものであるらしく
≪もっこ≫自体通じるか・・肩で担ぐものだということなんだけど 昔の運搬道具。今のように機械で運んだりとかできなかった時代に みな人力で運んだ
んですよね。家にはこれの 竹で編んだものもあります。それはいま、おばあちゃんの畑の草取りかごとして利用しているので 廃棄対象となってはいないけど
このわらで編んだものは 置いておくだけで虫が湧いてきそうな気配。どこかに置いておくと 野良猫が子供を産みつけそうだし・・・私は捨てる気でいたら
おばあちゃんが「ほしいなぁ~これでショウガを保存するのにいいのに・・」というから、まぁ自分で管理するなら・・・ということで残した。
中にある 輪のついた金具は これを竹に当てて上から金槌で叩くと、竹を分割にできるという画期的なものだが 分割にする爪が二本欠けてしまっているのに
おじいちゃんはゴミにも出さず置いていた。つくづく捨てられない病?かなと思うし、納屋以外でも道具小屋も大変な状況なのだ。
細工ごとがすきだったせいで あらゆる工具関係のものが所せましではなく 自分で分類しすぎてどこに何があるか全くサッパリわからないという
ことになって、なぜかドライバーは何十本、スパナや金槌、針金、釘 なんでもござい・・小さな金具やが開けそう・・誰かにもらってもらえるなら
いいのだけど、「あんたは大工さんか!」というくらいに釘を箱ごと何ケースも買って放置したのでみんな錆びついて、その箱の中に抜いた釘を混ぜて
、ここでも捨てられない病やね・・・私たちに片付けろという割に 本人は片付けるというより見えないところに移動させる、もしくはすき間に突っ込む?
そのうえにまだ持ちたいのか?って買いたい症候群・・・それらを私がこの世を去るまでに片付けないと 私が子供に恨まれるのであるのだ・・
おじいちゃんが残したものは たぶん普通の人の倍はあっても どれもこれもお金にならないトホホなものなのだ・・壊れたものをなぜ捨てないか?
脳細胞になにか病変としてあったのかと思いつつ、私は仕分けていくのだ・・・、外では解体三日目となり チェーンソーとユンボの音が続いている。
作業の人も暑い炎天下でいるので さっきまでこげと部屋で扇風機で頑張っていたのだけど 気分が悪くなり室温が32.6度になったのでエアコンを
つけさせてもらった。こげの息も少し穏やかになったようだ。納屋がなくなると 外から家の庭や屋敷が丸見えになってしまうので のちにブロック塀を
作るんだけど、それまでの間 ブルーシートで目隠しかなにかしないとちょっとね・・おまけに夜中はシカやイノシシが闊歩している周辺だから。
え?番犬のこげですか? 夜中は怖いし 私たちを守るのが使命みたいな顔をして寝ています